羽生結弦選手,北京オリンピックエキシビションでユーミンの「春よ、来い」ピアニスト清塚信也さん編曲

羽生結弦選手が北京オリンピックのエキシビションで演じる姿に感動!芸術性の高い羽生選手の演技は私たちを夢の国に誘ってくれます。ユーミンの「春よ、こい」をアレンジした清塚信也さんとの共同作品といっても過言ではないと思います。



北京オリンピックでの羽生結弦さんのエキシビションに感涙!

これは、2018年に神戸で開催されたファンタジーオンアイスの動画ですが、「春よ、来い」での演技、しかも、生演奏での演技ですので、どうぞお楽しみください!

羽生結弦選手のエキシビションは、ユーミンの「春よ、来い」🎵

「春よ、来い」を編曲した清塚信也さんの演奏動画がありましたのでお聴きくださいね。

「春よ、来い」は、松任谷由実さんの曲の中でもとっても好きな曲のひとつ。

1994年10月24日に発売された26枚目のシングル。

曲はもちろんいいのですが、歌詞もすごく心あたたまる。

歌詞は著作権があり掲載できないのですが、ご存じない方は、ググってみてくださいね。

イントロから、春が訪れる感じがしてくるこの曲、

ユーミンの原曲と同じキー(調性)D♭で作られていますが、

あらためて清塚信也さんのピアノ曲を聴いてみたところ、AメロとBメロが出てきませんでした。

ユーミンの原曲でのAメロは、ちょっぴりノスタルジックでとっても好きな部分、そしてBメロへ少しずつ移行し、サビのCメロへと自然に進んでいくのです。

春の息吹きが少しずつ現れてくるような表現なのです。

清塚信也さんの編曲においては、氷上での舞いの音楽として、イントロとCメロのサビの部分が繰り返されており、キラキラした作品に仕上がっています。

D♭は、黒鍵が多いキーのため、何かしら天に舞うような雰囲気が出ると感じています。

それにしても、この北京オリンピックの季節にこの曲でのエキシビション、

本当に本当に、羽生選手の感性って格別で上質でなんと表現したらいいのでしょうか。

言葉では表現できないのです、上手く語れないのですが、

羽生さんのような、これ程までに芸術性の高い人がこの世に生まれてきてくれたこと、

そして、羽生さんが氷上を舞う姿を観ることができる同じ時代に生きていることへの感謝!

感無量です。

そして、この『春よ、来い』を編曲した清塚信也さん。

清塚さんの才能も素晴らしいですね。

とっても素敵なピアノ曲にアレンジされ『春よ、来い』は、ひとつの新たな作品として誕生したのですから。

その音楽は、羽生結弦さん芸術性の高い舞いと折り重なりあってとっても輝いていました。

羽生さんが氷上で『春よ、来い』のピアノの音色を舞いで表現している、、、

それぞれが、それぞれを引き立たせているのです。

オリンピック史上最高のエキシビションになったのではないでしょうか。

私は、感涙し鳥肌が立ちました。

きっと、テレビを見ていた世界中の人はその芸術性の高さに圧倒されたことでしょう!

ピアノの残響音が消えるその瞬間に、羽生さんの目に涙とありがとうの言葉!

悔いのない演技ができた満足感がその表情から読み取れました。

羽生さんの演技が終わった後に、鈴木明子さん(元オリンピックフィギュアスケーター)が清塚さんからのメッセージを読み上げ紹介していました。

鈴木明子さんの声の暖かさも大好きです。

癒されます。

中継したNHKのアナウンサーは「唯一無二のスケーター」と称賛していましたね。

清塚さんは

この『春よ来い』は羽生選手の感性を通して作らせてもらった作品。

自分だけでは作ることができなかった傑作なので、

音楽家として作らせてもらったこと、本当に羽生選手に感謝しています。

今日は北京には行けないけれど、心はそこにあります。

清塚さんが、「自分だけでは作ることができなかった傑作」という表現をされたのですが、本当になんて素敵なんだろうと思わずにはいられませんでした。

音楽とスケート、音楽とダンス、音楽と絵画、音楽と華道、音楽と書道など、他にも様々なコラボがあるけれど、お互いの個性を尊重して融合することで、最高の芸術が展開していくことに感動を覚えます。



ユーミンの原曲「春よ、来い」があってこそなのです!

原曲が素晴らしいと、音楽家は色々と編曲したくなるものですね。

ユーミンの曲は、私がボーカルスクールで作曲の講座を受けていた時(約20年前)にも、コード進行の学習のための資料として使われていました。

それだけ、作曲の学習にも使われているユーミンさんの曲。

シンガーソングライターを目指す若者たちの憧れの存在なのです。

今でもきっとそうです。

原曲の美しさがあってこそ編曲も輝くのですから!!!

そして、編曲された音楽は、また違ったひとつの世界を創り、素敵な作品になって飛び立っていくという循環があるのです!

巡り巡る感じでしょうか~ (#^^#)

羽生さんが、この曲を選んだ理由は、この歌詞にもありそうだと思いました。

羽生さんにも、春がやってきたと思います。

今までに怪我などのアクシデントがいろいろとありましたが。

北京オリンピックの最後にこれ程までに私たち視聴者に感動をくださった羽生さんに本当にありがとうと伝えたいのです。



清塚 信也(きよづか しんや)さんプロフィール

清塚信也さん:生年月日 

1982年11月13日 39歳

清塚信也さん:家族

日本人の父、韓国人の母をもつ

妻は女優・タレントの乙黒えり、娘2人

清塚信也さん:出身

東京都

清塚信也さん:肩書は?

日本のピアニスト、作曲家、編曲家、俳優と、

色々な才能がある人ですね。

メディアに出ての活動は、数えきれない程あります。 (*^-^*)

私は、クラシックTVが大好きで毎回必ず見ています!

とっても楽しくクラシックのことが学べる番組です。

清塚信也さんの歩み,学歴,コンクール歴など

清塚信也さんは、桐朋女子高等学校音楽科(男女共学)卒業し、モスクワ音楽院(留学)しています。

コンクール歴としては、1996年、調布市立第四中学校2年生在学時に「第50回全日本学生音楽コンクール」中学生ピアノ部門で入賞し、1998年、東京交響楽団との共演でデビューします。

そして、2000年に、第1回ショパン国際コンクールin ASIAで1位を受賞翌年の2001年には、桐朋学園大学付属ソリストディプロマコースに入学。(これは、反田恭平さんと同じコースです)

桐朋学園大学に入学した清塚さんでしたが、自分が正しいと思ったことが周りに受け入れられず、自分がピアノマシーンのようになっていると気付いたそうです。

そして、なんと、入学して間もなく、清塚さんは、自分を知る者がだれもいない世界へ行こうモスクワ音楽院へ留学し、セルゲイ・ドレンスキーに師事しました。

しかし、留学先で何もすることがない自由時間が一番辛く、映画鑑賞や飲酒をしたり、ときには放浪の旅に出たりしながら2年間過ごし、何も得られず帰国したそうです。

清塚さんは、帰国してからは家族以外に話し相手がいなかったそうで、ピアノさえも嫌いになっていたといいます。

そんな、清塚さんでしたが、コンサートの依頼はあったため、思い立って自ら人脈づくりをしていく努力をし始めたのだそうです。

それで、今の清塚信也さんがいるのですね。

現在、活躍している方、皆、それぞれ苦難の道を乗り越えてきているのですね。

清塚さんのピアノ曲もそんな思いが沢山詰まっていることでしょう!

嬉しいHaruharu

とにかく、この感動をありがとうと伝えたい気持ちで記事にしました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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