小澤征爾さん娘,征良さん&毛利衛さん対談,世界初,宇宙へ音楽配信,熱き思い!

小澤征爾さん(88歳)が令和6年2月6日、心不全のため亡くなられ、葬儀は近親者で行われ、後日、お別れの会を開くことを検討しているそうです。

この記事では、令和4年12月1日に配信開始されたばかりの最新情報をお届けします。私は、このお二人の対談の中で、セイラさんが、ご自身の思いを語られるのをお聞きし、父親の征爾さんは、車いすでの生活なのですが、これからまだまだできることがあるということ、そして、小澤征爾さんは、最後の最後まで、音楽への思いを強く持ち続けた人生だったんだなと、思いを馳せているところです。



小澤征爾さん長女セイラさんと毛利衛さんの対談内容は?

今回の宇宙への音楽配信の経緯や、小澤征爾さんの近況についてのお話しがありました。

小澤征良
小澤征良さん

今日、本当にお話できることを光栄です。ありがとうございます。

毛利衛
毛利衛さん

こちらこそ、楽しみにしてきました。

お二人の間には、安心感と信頼関係、そして将来への希望などについても語られていました。



小澤征良さん(せいら)さんが宇宙への音楽配信企画を着想!

セイラさんは、次のようにご自身の思いを語られました。

小澤征良
小澤征良さん

今回のワンアースミッションっていう企画なんですけれども、

どうしてそういう企画を毛利さんに突然お願いするようなことになったかというと、

3年ぐらい前に、コロナが始まった頃だと思うんですけど、

 

ISSが日本列島の上空を通過するっていうのを何かの記事で読んで、

息子と一緒に探したんですね、夜空に。

 

そしたら、物凄い力強い流れ星、だけれども、すごいスピードで、光が見えて。

明るくてびっくりしました。

 

それ以来、この3年で、何回か、調べておいてみようって言っていて。

 

その中で、コロナって未知のものだし、みんな怖い気持ちとか、もちろん病気のことなんで、世界中が閉塞感とか、先が見えないこととか、

実際にすごい苦しいこととか悲しいことがもたらされている中で、

上から見たら地球ってどんな風に見えるんだろう?って。

 

それを想像すると、自分が、ちょっと違うところから毎日が見れて、

すごく気持ちがほわっと広がったというか、

楽になったというのは変なんですけど、

息がしやすくなって。

 

その時に、父はもう60年以上、彼の信念として、

音楽はあらゆる国境とか人種とか政治とか、いろんなものを、

性別とか年齢も超えて、そこにいる人と気持ちと気持ちをつながることができるって信じていて。

 

身体的にいろんな苦しいこととか痛いこととかたくさんある中で、

サイトウ・キネン・オーケストラと一緒に音楽をすると、毎回、涙が止まらなくなっちゃうんですけど。

 

本当に魂と魂で、良きことのために一緒になって、人と人がそうなると、

すごいことができる、すごい音ができるっていう。

 

音楽が、もし、ISSで、宇宙からその音楽を聴いて、地球を見たら、どんな気持ちがするんだろうって、毎回考えるようになってしまって。

 

毛利さんにお尋ねしたくなっちゃって、どうしても。

 

それでちょっと勇気を振り絞ってメールをしたんです。

 

ちょっとびっくりされたかと思うんですけれども、そしたら、すごくすぐに返信とお電話いただいて、もう、興奮してその日は眠れなくて、嬉しかったんです。

 

毛利さん、どのように感じられてますか?

とっても気持ちのこもった、熱い思い、そんな前向きな思いがとても伝わってきました。

征良さんは、息苦しさを感じる日々が続いていたのですね。

きっと、征爾さんの姿を見ながら、自分に問いかけていたのだと感じました。

こうした発信活動をして、現在のありのままの姿を皆さんに知ってもらうことが、征爾さんにとっても、セイラさんにとっても最善の試みだったのだと思ったのです。

これは、毛利さんのお人柄を知っているからこそ、できることであったと思うと、毛利さんの人徳、これに尽きると感じました。

 



毛利衛さんは今回の企画についてどう思ったのか?

セイラさんの問いかけに対して毛利衛さんは次のように話されました。

毛利衛
毛利衛さん

まず、素晴らしい企画だなと思ったんですね。

 

ISSから見るとまさに地球はこんな感じで地球が青く白く輝いているんですけど、こんなに小さくないですよ。ISSは、もっともっと地球に近いですので。

 

でもその話を聞いた時に、今、この地球は昼間ですけど、夜に北極南極に近づくとオーロラが見えるんですね。そのときの自分の経験が思い出されたんです。

 

それは、初めて宇宙に行って、オーロラを見た時に、オーロラってカーテンのように、もやっとしたあの空に、そのカーテンを突っ切って宇宙船は通るんですけどね。

 

だんだんカーテンが近づいてくるのを見てるときに、何か、かぐわしい香りと、それと不思議なんですけど、雅楽とバロック音楽が同時に聞こえてくるような、そういう錯覚じゃないんですけど、

 

それを見た時に、音楽、音と言うのは、自然とか宇宙とか自分との共鳴によって出てくるんだっていう気がしたんです。

 

考えてみると、音楽芸術としての役割というのは、私たちの社会を平和に豊かにするため、これはまさに科学技術と同じ、

 

まあ、そういう意味で文化としての音楽が、

私たち地球人全体に色々な癒しとか、感動を与えてくれている。

 

生きる力を呼び覚ますと、それが地球ばっかりじゃなくて、もう宇宙に住んでる人もいるわけですよね。

 

今まで地上の音楽っていうのは、全部地上向け地球の人向けにしてきたんですけども、もう住んでる人がいますよ。

 

そういう人たちも忘れないで、という時にちょうどそういう話があって。

 

これからは、宇宙も含めて人類の住処になっているわけですからね。

 

それよりもさらに素晴らしいと思ったのは、やはりあの小澤征爾さんというね、東洋の音楽とか西洋の音楽とかを超越した世界で素晴らしいファンを持っていつもいつも挑戦されている方が関わっていただけるっていうことでね、私もワクワクしました。

毛利衛さんが宇宙から地球を観たときの思いを昔テレビで語られていたことを思いだしました。毛利さんのお話しも大変惹きつけられます。



毛利さんの言葉を聞いた小澤セイラさんの反応は?

小澤征良
小澤征良

あーすごい!

もうなんか今からだよわくわくしちゃってて。

 

自分の中でも興奮しちゃってるんで。

冒険の前みたいな感じで。

 

うちの父のその信念に、国境とか、音楽は、七歳の子供が音楽好きな気持ちと、自分の音楽好きな気持ちと全く同じで、そこに少しの年齢差とか経験さはあるけれども、人間は同じなんだっていう、

国境や政治や人種とか性別とか職種とかは関係ないっていう、すごく強い気持ちを持っているんですけれども、音楽に対して。

 

私、そこをすごく尊敬してるんですね。

 

でも、宇宙飛行士の方たちも、ジャクサの方々も、今おっしゃってたように、音楽もそうだけど、最先端の技術は、人類を全部、国境とか線をなく、

多分、宇宙から見た地球って、そういうものがない一つの生きてる星、っていう感じなのかな、と想像するんですけれども、、、。

 

毛利さんは、宇宙から見た地球について語ります

毛利衛
毛利衛

音楽には国境がないというふうに言われますけれども、実際に宇宙から見た地球には、国境は見えないわけですよね。

 

しかし、夜の地球を見るとですね、人が住んでいるところは、全部オレンジ色に光っているんですね。

 

大きな町、小さな町、それがつながっている様子をまさに宇宙から見ると、

高速道路とかね、鉄道とか、そこまで実際に見えるんですが、しかし国境はないんです。

 

みんなつながってるんですね。

 

そういういつながりを見た時に、これも音楽や芸術や科学と同じように、

社会はなくて人類みんなが共有に大事に思っているものがつながって、

我々ずっと昔からね、そういうものを文化として生き伸びてきてるんだなということに、宇宙から見ると、とてもよくわかりますね。

セイラさん

小澤征良
小澤征良さん

すごい、なんか想像できないけれども、毛利さんのお話を伺っていると、

眼に浮かぶものを実際に見ていらっしゃった、っていうのはすごいなあ。

毛利さん

毛利衛
毛利衛さん

地球は、本当に光ってるんですけども、

この半分の方は夜なんですね。

一回ぐるっと回るのに国際宇宙ステーションは今若田宇宙飛行士が出ていますけれども、わずか90分しかかからないんですね。

小さな星っていうことですね。ある意味。

 

しかし、この表面に全部の人間ばかりじゃなくて、生物それから植物も全部含めて生きています。

 

全て存在しているというところで、すごく宇宙から見た地球が貴重だなっていう、そういうことで、今まさにここでね、

みなさんにそれをお見せしたいなと思って作ったんですね。(宇宙から見た地球の映像)

セイラさん

小澤征良
小澤征良さん

素晴らしいです。

もうあの息子を連れてきた時もこれずっと見てて、

下からここに居るんだねっていう話をしていたんですけれども

音楽も科学もジャクサの方たちも、

私にとってはもう憧れの皆さんとお話していると、

全然分野はその違うけれども、でも目指してるところが

みんなにとって、人間にとって、別になに人とかじゃなくて、

人間にとってより良きもののために、

より良い所へいい気持ちの所へ行くための頑張りといいますか、

みんなそこを目指してるっていう意味では、

ものすごくシンパシーというか、すごく親近感を感じるんですけれども。

毛利さん

毛利衛
毛利衛さん

科学技術や、音楽も、スポーツも、政治も、みんな一生懸命社会が平和で豊かになることを、そのために挑戦してるんですよね。

私たちも、国際宇宙ステーションができたら、さらに月に行きたい。

これは、本当に人類としては挑戦なんですけども、

それは、あることによって、

私たちが、さらに、もう一つ段階高いレベルで生活ができるようになるんですね。

それから、また、いろんな問題を解決できると、そういう意味で、音楽の素晴らしい点、

特に、小澤征爾さんのような、いつもいつも新しい音楽に挑戦して、

それを成し遂げてこられた方、それと同時に、

世界にも本当にファンもいますよね、わかってくださる方がいる。

なぜかというと、人類に凄く貢献されているわけですね。

音楽を通じて人に感動を与え、生きる勇気を与えてきてると。

セイラさん

小澤征良
小澤征良さん

それは、私もうちの父はすごいと思うんですけど、いろいろと身体の制約というか、いろいろ病気とか乗り越えてきまして、この13年。

 

だけど、音楽が好きというのが凄く伝わってくるんですよ。

 

サイトウ・キネン・オーケストラとやっているときに凄くわかるんですよ

 

サイトウ・キネン・オーケストラとうちの父が一緒にやるときって、

お客さんのためではないんですけど、お客さんもいないリハーサルで、

やっぱ車椅子だったりもする時もあるけれども。

 

本当にね、もうそのピュアさが、ちょっと他ではわからないけど、そこが本当に毎回感動し感動しちゃうんですね。

 

みんないろんな国から来てますから、背景が違う人たちがいっぱいいて

だけど気持ちはパッと一つの生き物みたいになってるっていう。

 

それはもし、それを宇宙に生中継というか中継するってのは、

初めてのことで、いろんなチャレンジが技術的にもあると思うんですけど、

 

いろんなこの地球のいろんなところに行って、いろんな困難を今抱えている人たちに届けば、すごいそれはプラスになるんじゃないかなと。

 

プラスというかなんか、こういいものをいっぱい広げられたら、それは、みんなにもいいんじゃないかなと思ったんですけど。

毛利さん

毛利衛
毛利衛さん

あのずっとね、

コロナで苦しめられてきた世界中の人たちがいますよね。

 

それから、もう戦争で配送も非常に被害を大変な生活されている方々にね。

 

少しでも音楽は個人個人に届きますから、そういう意味で、生きる勇気を与えてあげるのはとっても大事なことだと思いますね。

 

と、同時にね、実は科学技術でロケット間違いなく打ち上げようという人たちの心意気もまさに同じなんですね。

 

もちろん小澤征爾さんのような、天才、、、ではないですけれども、地上で、お互いに協力しながら間違いなくロケット打ち上げようというときも、やっぱ一つになるんです。

 

音楽は使えませんけども。

 

一つになるんですけど、その時に目指してるものが同じだからですね。

セイラさん

小澤征良
小澤征良さん

そこはすごく感じます。

フィールドが科学と音楽とって言う風なそういう見方で見れば違うものかもしれないけど、

気持ちがみんなが一緒になっていいことに向かうっていうところが、

本当に似てるというのはあるんですけど。

すごく共通点を感じて。

毛利さん

毛利衛
毛利衛さん

そういう意味で今回のミッションがね、

小澤征爾さんのサイトキネンオーケストラが宇宙に居る若田宇宙飛行士含めて、初めて宇宙から宇宙へ配信、音楽を流すわけですね。

その意味っていうのはとても私は大きいかなと思ってますね。

セイラさん

小澤征良
小澤征良さん

毛利さんのおかげです。

もう私、本当に、そんなことを突然何年かぶりに突然メールでなんかでお伺いするのってすっごく図々しい、失礼だと思ったのに。

なんか気持ちがすごく高揚しちゃって、まず書いてしまったんですけど。

毛利さん

毛利衛
毛利衛さん

小沢征爾さんがもう素晴らしい人だということは、もうずっと子供の頃から存じ上げてますし、

 

それプラスね、今、宇宙という役割もあるわけですね。

 

国際宇宙ステーションがなぜできたのかというと、一国だけでは、なかなか成し遂げるものが小さいですよ、

 

だったら、ほかの国と協力してやると、人類のシンボルとして宇宙ステーションが今あるんですよね。

 

で、その時にあの全ての人が協力、すべての国が協力しないといけないという、本当に時間はかかりましたけども、完成するのに。

 

はじめは、1992年、今から30年前にできる予定だったんです。

 

それがなんと、2010年、ずいぶんかかって、でもできてみると本当にシンボルですよ。

 

それが今度はさらに月にまで行こうとしてますからね。

 

そういう意味で、地球がこれから限界がある環境問題とかいろんなものが出てきてるんですけども、それを乗り越えていくと言う一つのシンボルが、宇宙開発であり、

 

それから、それをみんなが共通の認識というか、知識だけじゃなくて、その時に音楽と言うのが共通に感動しますよね。

 

個人個人が言葉とかを国を超えてですよね、そういう役割のシンボルとして今回のミッションがあるのかなと思ったんですね。



サイトウ・キネン・オーケストラが松本に来た年と毛利さんが宇宙に始めて行った年が偶然にも一致!

セイラさん

小澤征良
小澤征良さん

あの1992年ってサイトウキネンオーケストラと父のあの松本のフェスティバルができた年なんですけど、

その年に初めて毛利さんが宇宙に行かれたのですね。

今年が30周年なわけですね。

毛利さん

毛利衛
毛利衛さん

そうですよね。

国際宇宙ステーション今若田宇宙飛行士がいますけれども、本来は、完成は1992年の予定だったんです。

 

アメリカいわゆるアメリカ大陸発見というのが1492年ですが、その500年後にアメリカは国際宇宙ステーションを作りたいと思ってたんです。

 

ところがあのご存じかもしれないけれども、チャレンジャー号の事故の爆発とかいろんな大変なことがあって、当時はソビエト連邦が崩壊し、

世界全体が一緒になってやるためには、ソビエトじゃなくなったロシアも交えて国際宇宙ステーションを作ろうということになって。

実際にはそれから20年後ほど遅れてしまったんですけど。

それが今のISS。

 

で、私が選ばれたのは、その日本が国際宇宙ステーションISSでいろんな実験をして、さらにはあの日本にとってね、宇宙工場、工場を宇宙に作ろうという構想があって、

 

そのために私は宇宙で最初に実験したんですね。

その記念の年が1992年。

 

まさかサイトウ・キネン・オーケストラが、その時に長野松本に来ることになったとは。

セイラさん

小澤征良
小澤征良さん

ホームコートであるホームベースである松本のフェスティバルができたのが1992年。

その前はツアーをしてたんです、欧米で。

で、日本にホームコートがホームベースが欲しいと言うので始まったのは1992年なんです。

なんかもうほ勝手にすごいいろんなご縁がつながっているっていう風に今ひしひしと感じています。

毛利衛
毛利衛さん

宇宙から地球を見ると、青々としてね。

まさにこういう色をしてるんですけども。

ずっとね、20世紀後半から公害問題がありましたよね。

1992年の時には本当に地球はどうなのかなっていうのを気をつけて見た。

そうすると、環境汚染が叫ばれていたんですけど、まだまだ綺麗な所がたくさんあるというのが一番の印象でした。

小澤征良
小澤征良さん

それは今もどうなんですかね。

毛利衛
毛利衛さん

今はどうなってるんでしょうか。

今も原則的には目で見る限り、きれいなところがたくさん残っていると思うんですけども、さらに望遠レンズの性能が良くなりましたから、

まあ、いろんな箇所ではですね、砂漠化とか、それが地球全体に広がり始めてますけれども、それでもまだまだ間に合うと私は思ってますね。

小澤征良
小澤征良さん

私たちのうち、私たち全員、地球人、何人でも、日本人でも、アメリカ人でも、ロシア人でも、みんなここに住んでる生き物の一つじゃないですか。

私たちにとっては、ここしか今おうちがないわけですよね。

だからやっぱり、温暖化の問題とかそういうのって、

息子が8歳で、でも知ってるんですよね。そういうことを。

毛利衛
毛利衛さん

今そういうのが問題になっている、

温暖化とかが問題になってるっていう。

人間の活動によってね。

それはやっぱり未来に、

特にね、若い世代の方がこの地球をにずっといるわけですから、

将来そういう人たちにとってみるとすごく気がかりだと思うんですね。

でも今80億人の人がこの地球にいます。

これからもまだ増えると思うんですけども。

そのためには、意識を一緒にしないといけないと思うんです。

ちょうど音楽で感動すると同じよう、みんな同じ気持ちに同じ気持ちになって、意識的に例えば二酸化炭素の排出を減らすとかね。

Haruharu笑顔
Haruharu

本日公開されたユーチューブ動画での対談の一部を書き起こしてみました。会話については、一部、修正を加えていますが、言葉のニュアンスが変わらないように、できるだけ、そのままの文章にするようにしています。

また、感想なども加筆していきたいと思っています。

それでは、また、お会い致しましょう。

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