小泉詠子(えいこ)さん,メゾ・ソプラノ,イタリア料理が得意?長男は母の歌声に怯える?

この記事では、メゾ・ソプラノ小泉詠子さんが歌を目指すようになった経緯やお子さんのこと、イタリア留学中のことなど、リサイタルパッシオでで話された内容を知ることができます。



小泉詠子(えいこ)さん メゾ・ソプラノ:経歴、プロフィール

小泉詠子さんは、石川県津幡町(つばたまち)のご出身。

東京学芸大学を卒業され、その後は、東京藝術大学大学院の修士課程並びに博士課程を修了されました。

これまで、ヘンゼルとグレーテルのヘンゼル、蝶蝶夫人のスズキ、ノルマのアダルジーザなど、数々のオペラの舞台で活躍されています。

2021年には、北陸三県ゆかりの優れた音楽家に贈られる本年度の岩城宏之音楽賞を受賞されました。当時、42歳であったと新聞記事に掲載されていました。

そうしますと、2023年現在は、44歳?でしょうか?



小泉詠子さん:40代前半で只今子育て真っ最中!オペラ歌手との両立は大変?

小泉詠子さんは、さまざまな舞台で活躍されてみえますが、こども音楽フェスティバルにも出演されていて、詠子さんご自身も、4歳のお子さん(息子さん)を育てていらっしゃいます。

オペラ歌手とお母さん業の両立は、結構大変だと思われます。

金子さんが問いかけたところ、ご本人も大変じゃないと言ったら嘘になりますけれども、、ってお話しになられました。

しかし、小泉さんは、一人で時間を自由に使えていた頃よりも、時間の効率化を図っておられるご様子で、今、人間として成長してるなって思いながら日々頑張っていると、とっても力強く語ってみえたのがとても印象に残り、頼もしい方だなと感じました。

とっても素敵な方であると感じました。

とにかく、話声にも癒しの周波数が出ているのをとても感じるのです!

とっても生き生きとした声で、明るいお母さん間違いなしです! (*^-^*)

ところで話は変わりますが、私は、とっても「こども音楽フェスティバル」が気になり、調べてみました。なんと、主催は、公益財団法人ソニー音楽財団/公益財団法人サントリー芸術財団で、アンバサダーは、清塚信也さんでした。

「こども音楽フェスティバル」は、こどもを対象とした世界最大級のクラシック音楽の祭典で、オーケストラやオペラ、吹奏楽、ソロ、室内楽のコンサートなど様々なプログラムがあり、ゴールデンウイーク中の4日間で、約2万9千人の方が来場し、約9万3千人の方が無料ライブ配信を楽しんだそうです。ソニーさん、とっても素晴らしい事業展開をされていますね~。

最近、子育て中の音楽家の方たちが、こどもの情操教育への支援活動として、アウトリーチ活動に積極的に取り組まれているようで、とっても夢のある活動だなって、常々感じているところです。

今の子どもたちって、小さい頃から、本格的な生演奏を聴く機会を得ようと思えばいくらでもチャンスがあると思うと、筆者アラカン女子としては、と~っても羨ましいな~と思うのであります。

4歳の息子さんは母の歌に興味を持ったりするのかな?

小泉さんの息子さんは、歌自体は好きだそうです。

よかったですね~。

息子さんはどんな歌が好きなのかしらね?

NHKのおかあさんといっしょのおねいさんの声やお兄さんの歌声なのです。 (*^-^*)

これは、非常にわかりますね。わたしも大すきでしたから。

でもでも、お母さん(詠子さん)が家で歌の練習していたり、少し本気で声を出して歌ったりすると急に怯えたように泣いてしまうそうです。

あらら、、、、ちょっとまだ怖いみたいなところがあるようなのです。

金子さんが、「いつものお母さんじゃないと、、、」と、言うと、「多分、びっくりしてるんだと思います。」と詠子さん。

そうですよね~。

オペラ歌手の方の歌声って、すごい迫力ありますから。 (^^;

どんなお子さんに成長されるのかも楽しみです。

元気に好きなことに熱中して育ってくれればいいですね。



小泉詠子さん:音楽には何歳頃出会ったの?

小泉さんは、音楽自体とは、母のお腹の頃から出会っていたかな。。って。

それは、お父さまがトロンボーンを吹いて、お母さまがピアノを弾く家庭に生まれ育ったからなのです。

音楽一家でいらっしゃるのですね。

小泉さんは、お母さまのお腹の中にいる時から音楽を聴いて育ったということですから、胎児の頃から音楽を聴き分ける脳が育てられていったのでしょう。

そんな環境にあった小泉さんですが、すぐには音楽を始めなかったそうです。

小泉詠子さん:小さい頃から歌を歌うのは好きだったの?

小泉さんは、小さい頃から歌が大好きでした。

ご両親は共働きだったそうです。

ですので、日中は親戚の家で過ごすことが多く、お母さまが夕方迎えに来ると、妹さんと詠子さんとお母さまの3人は、いつも歌いながら家に帰っていたそうです。

それも、ハモりながら。

その時間がとっても好きな時間だったと詠子さんは語ってみえました。

お母さまもお仕事で疲れていても、こうして娘さんたちと一緒に歌を歌うことで疲れも吹っ飛んでいたことでしょう。

そんなお母さまのお姿も目に浮かんできました。

とっても素敵な思い出ですね。

ご両親が共働きだったこともあり、詠子さんは、おそらく、それ程干渉されず自然体でのびのび育ったいったのかもしれません。

お母さまとの想い出は一生の宝物ですね。

ジーンときます。



小泉詠子さん:声楽の道を志したのはいつ頃?きっかけは?

小泉さんは、小学校4年生の時の歌のテストの時に、歌い終わった後に、先生や友達から「ワー!」と拍手をもらい、「えいこちゃん、うまいね!」と、言ってもらい、ちょっと勘違いしまして、、、そこから、やっぱり、歌がもっと好きになったそうです。

「ちょっと勘違いしまして、、」とおっしゃられたところが、とても可愛らしかったですよ。 (*^-^*)

その頃は、みんなの前で一曲歌うというテストがあったとお話しされていましたが、筆者アラカン女子の時代もそうでした。今は、そういった歌のテストはないのでしょうか?

当時の先生やクラスメートのみなさんたちが、このことを知ったら、きっと喜んでくれるでしょうね。

そんな経緯があり、詠子さんは、お父様が演奏していたトロンボーンでもなく、お母様のピアノでもなく、自身は歌をやろうと思うようになっていったのです。

その後の小泉さんですが、中学のときには合唱部がなかったため、高校でようやく合唱をはじめたそうです。

進路のことを考える時期になったとき、どうしても歌を専門的に学びたいと思い、高校2年生の冬から地元の声楽の先生について本格的に勉強を始めたそうです。



小泉さん:2012年イタリアのモデナに留学での学びは?

小泉さんは、イタリア留学で、沢山の収穫と学びがあったそうです。

その中でも印象的だったのはイタリア人の皆さんの声の響きということでした!

「ボンジョールノ」というこの挨拶一つでも、すごく前に響いた輝いた声で、毎日その声を聞くだけでも、自分の声が育っていってる、そういう実感があったそうなのです。

ラジオから聞こえてくる詠子さんの声は、本当にメロディーが聞こえてくるようでした。

金子さんもとても音楽的だなと言う感じがしましたと感動されていました。

小泉さん:イタリア留学中に太った?お気に入りのイタリア料理は?

小泉さんは、イタリア留学中は、美味しいものに囲まれて過ごしていたので、一年間で四キロ増えたそうです。

小泉さんは、イタリアのモデナという町に滞在されていたのですが、モデナの名物というと、有名なところでは、「トルテリーニ」というものだそうです。「トルテリー二」というのは、パスタの中に、ひき肉など詰め物したものを、コンソメスープの中に浮かべて食べたり、パンナという生クリームで和えて食べたりするそうです。

そして、「パエリアテーデアラブアゴ(?)」、いわゆるミートソースみたいな感じで、きしめん状の卵麺にひき肉のソースをかけたものが有名なのだそう。

でも、詠子さんが一番大好きなものは、「ニョッコフリット」と言って、ピザの生地を揚げたような感じで、長方形で、開けると、ぷくっと中が膨らんで、紙風船みたいな感じになるんですが、それを潰して生ハムを挟んで食べたり、

それはそれはおいしくて、日本に帰ってから、何が恋しかったかっていうと、それを食べられるお店が日本にあまりないということだったといいます。

ですので、仲間達と研究をして一生懸命再現するということをしていたと話されました。

ですので、きっとイタリア料理がお得意だと思われます!



小泉詠子さんの情熱のモーメントは?

今、最も熱い思いを抱いている曲や人生に影響を与えるほどの感動をもたらした作品をご紹介いただくコーナですが、小泉詠子さんは、「劇 ウェルテルから手紙」を選ばれました。

この曲は、第76回日本音楽コンクールの本選会で歌った曲だそうです。

今から15年も前の話であるそうですが、初めて素晴らしい本格的なオーケストラと共演させていただいたとても忘れられない機会に歌った曲であるとのこと。

その時は、その時で、すごく一生懸命取り組んで歌った詠子さんですが、あれから時が経ち、もう少し大人になり、あの時できなかった表現や、あの時出なかった声を使って、もう一度取り組んでみたいと思い、この曲を選んだそうです。

このシーンについての説明があったのですが、詠子さんは、シャルロッテと言う人妻の役。

青年ウェルテルから求愛されていました。

その彼に惹かれている部分もあるのですが、夫がいる役であるため、その心の揺らぎが表現されているアリアになっているそうです。

なるほど、、、。

そして、最後にウェルテルが死を予感させるようなことを手紙で書いてあるのを読み、震え慄いてこのエリアは終わると説明されました。

オペラを歌うことは、そういった役柄をどう演じるのかというところがとっても難しいのだなと感じます。

ですので、若い頃にはわからなかった感情の揺れなど、人生経験を積んでくる中で、歌の表現も少しずつ変わってくるのでしょうね。

Haruharu笑顔
Haruharu

今回も素敵なお話しを沢山お聴きすることができました。
最後までお読みいただき感謝いまします。

 

 

 

 

 

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