小澤征爾(おざわせいじ)さん,ご冥福をお祈りします,在宅療養,車いすでの指揮,情熱が素晴らしかった!

世界のオザワ!

小澤征爾さんは、世界的な指揮者!

日本が誇る指揮者です!

そんな小澤征爾さんですが、本当に残念ですが、2024年2月6日(88歳)に心不全でお亡くなりになられました。

征爾さんは、ご自宅で安らかに眠りにつかれたそうです。

ご家族に見守られながら最期を迎えることができたのですね。

ご本人が在宅での療養生活を希望されていたということですから、心身ともに穏やかな日々を送られていたことでしょう。

この記事では、小澤征爾さんの病気のことだけでなく、生まれや活躍の数々について、少々ではありますが、振り返っていきたいと思います。

 

小澤征爾さん:2022年8月,車いすで登場されたのが最後に。

小澤征爾さんの病気についての記事に、私が最初に気づいたのは、2022年3月頃のネット記事です。その記事には、24時間体制の看護を受けて在宅療養中であると書かれていました。

その後、情報は全くなく、健康状態が気になっていましたが、2022年にセイジ・オザワ・松本フェスティバルが、3年ぶりに開幕することになり、ネットニュースで小澤征爾さんの様子が報道されるようになりました。

2022年8月23日の朝日新聞のデジタル記事に、小澤征爾さんが、8月19日に「フィガロの結婚」の最終リハーサル、そして、21日には、「フィガロの結婚」の初演公演を鑑賞され、SKOメンバーとの再会を喜ばれたという内容が掲載されていました。

その時には、小澤征爾さんは、オペラ鑑賞中に、音楽に乗って体を揺らし、指揮者の沖澤のどかさんに拍手を送られていたのです。

そして、2022年に大変話題になったのは、8月26日の終演後のカーテンコールに車いすで登場されたというネットでのニュースでした!

2022年のフェスティバルのポスターの中には、小澤征爾さんご本人の署名があり、ファンの方や松本市民はきっと、小澤征爾さんに会えると信じていたのではないでしょうか。

小澤征爾さんは、私たちの期待に応えてくださり、そのお姿を見せてくださったのだと思います。

セイジ・オザワ 松本フェスティバル30周年,8/13開幕🎵地元松本は元気です🎵 | アラカン女子Haruharuの音楽のんびりLOVEライフ (ongakulove.net)

小澤征爾さんが、「2022年のセイジ・オザワ・松本フェスティバル」の舞台上に姿を見せてくださり、観客の皆さんが感涙されている様子が伝わってきて、何とも言えない温かい気持ちになることができました!

このフェスティバルの模様は、2022年10月23日放送のNHK:Eテレ「クラシック音楽館」において放送されました。小澤征爾さんが車いすで舞台に登場されたところも映っていましたよ!



小澤征爾さん:2024年2月,88歳心不全で昇天,生まれは?どんな人生だった?

日本の世界的な指揮者である小澤 征爾さんは、1935年(昭和10年)9月1日満州で生まれました。今の中国の瀋陽市(しんよう)、旧満州国奉天(ほうてん)です。

征爾さんのお父様は、小澤開作さんという名前なのですが、山梨県の農村に生まれ、東京で苦学して歯医者になり、長春(ちょうしゅん)で歯科医院を開業していました。

お父様は、1931年の満州事変をきっかけに政治活動にのめり込んでいったそうです。

征爾さんが日本に帰ってきたのは、1940年(昭和15年)です。

お父様は自分ひとりだけ中国に残り、お母さまとお兄様そして、征爾さんの3人を日本に帰す決心をしたのです。征爾さん一家は、激動の時代を生き抜いてきたんだなと思うと胸が込み上げてきます。

小澤征爾さんは、2023年9月1日にお誕生日を迎え、88歳になられました。

しかし、残念ながら心不全にて2024年2月6日に昇天されました。

小澤征爾さんの最後の姿、車椅子で指揮をされていた姿を日本のファンは一生忘れることはないでしょう。



小澤征爾さん:2022年にオーストリア音楽劇場賞:国際文化交流特別賞を受賞!

小澤征爾さんに、オーストリア音楽劇場賞の中の国際文化交流特別賞が授与されました!

この賞は、オーストリアのオペラハウスや劇場で実績のあった人物などに送られるものだそうですが、小澤さんは、「国際的な音楽普及に貢献した」点が評価されたそうです。

授与式は、2022年9月13日にオーストリアで開かれましたが、小澤征爾さんは、現地には出向かず、代理出席をお願いしたようです。そして、受賞のコメントを記者発表されていました。

本当に、87歳のお誕生日と、松本フェスティバルとこの受賞が重なって、ハードな感じがしていましたが、無事に乗り切ることができたようです。



小澤征爾さんの音楽への情熱の原点は?

小澤征爾さんは、中国に生まれ、日本に育った自分がどこまで西洋音楽を理解できるのか、一生かけて実験を続けるつもりと、ご自身の著書である「終わらない音楽」の中で語っています。

きっと、このような素晴らしい賞を受賞されてもなお、小澤征爾さんは、実験の途中なのかもしれません。

人生はまさに実験の積み重ねなのでしょうから、命ある限り実験を積み重ねていかれるのだと私は理解しています。

小澤征爾さん,オーストリアではウィーン国立歌劇場音楽監督!

小澤征爾さんのオーストリアにおいて、2002年 – 2003年のシーズンから2009年 – 2010年のシーズンまでウィーン国立歌劇場音楽監督を務められていました。

この時期は、征爾さんは、オペラの指揮をするための勉強に明け暮れていました。

オペラにのめり込み、かなり、ハードな日々を送っていたようです。

なんと、オーストリアでは、ウイーン・フィルの仲間たちと50年以上にもわたる長い期間、一緒に音楽を創り上げてきたといいます。

そんなすごい実績を持っている日本の指揮者は他にはいないことを知りました!

小澤征爾さんは多忙のあまり在任期間中に病気に罹っていたのです

実は、この時期に、小澤征爾さんは、大きな病気に罹患(りかん)しているのです。

歌劇場での仕事に加え、音楽監督の仕事、そして、その合間に演奏旅行にも出かけていたそうで、とうとう、2006年1月に帯状疱疹で倒れてしまいました。

そして、この時(帯状疱疹を発病した時)は、しばらく静養し復帰しましたが、その後、2009年(75歳)に食道がんが見つかり、病気の治療と身体の立て直しに専念することにしたのです。

小澤征爾さんは、世界のオザワと言われていますが、指揮をする前日は緊張で眠れなかったそうですよ!

かなりのオーバーワークで自律神経の乱れもあったのでしょうね。



小澤征爾さんの功績は?文化勲章、名誉団員など沢山あり!

小澤征爾さんは、2008年(73歳)には、世界の音楽界に多大な影響を与えたことや、若手音楽家育成に尽力した功績が認められ、文化勲章を受章されました。

小澤征爾さんが所持している主な称号は、

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団名誉団員、

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団名誉団員、

ボストン交響楽団桂冠音楽監督、

セイジ・オザワ 松本フェスティバル総監督

新日本フィルハーモニー交響楽団桂冠名誉指揮者などがあります。

オーストリア、ドイツ、アメリカ、そして日本の名誉団員や音楽監督などの経歴を持っているのです。いったい何カ国演奏旅行に行かれたのでしょうね。

しかし、語学は苦手だったようですね。 (*^-^*)



小澤征爾さんが海外で活躍できたのはなぜ?

小澤征爾さんが、海外で活躍できたのは、N響(NHK交響楽団)と上手くいかなかったことが挙げられています。 (^^;

小澤征爾さんも若い頃は、経験が足りなくて、うっかり指揮棒を上げてしまったことがあるのです。

その当時、いろいろとあったようで(若気の至りですね)、「N響からボイコット」され、アメリカへ旅立ったのです。

征爾さんらしいと言えば、らしいのでしょうね。

その時は、日本に戻るつもりはなかったといいます。

それ程の覚悟を持って日本から飛び立っていった小澤征爾さんだったからこそ、

アメリカのボストン交響楽団の指揮者を30年間も務めることができたのでしょうね!

そんなに長い期間実績のある指揮者は、小澤征爾さん以外にはいないそうです!

それは、とても珍しいことでなのだそうです!

日本にはもう帰らないという覚悟をもって生きていた小澤征爾さんは、指揮者という仕事を得るために、綱渡りの人生を送っていたのです。

ハラハラドキドキの人生を必死に駆け抜けていった感じだと思います。

常に前を向いて全力疾走していた感じですね。

小澤征爾さんは、失敗をたくさんして、それを糧にして成功された指揮者であると思います!

音楽の才能もさることながら、未知の世界に突進していく精神力を持っているからこそできることですね。



小澤征爾さんの現在の状態は?2022年8月26日に車いすで登場!病状安定ですね!きっと!

小澤征爾さんは、「2022年セイジ・オザワ松本フェスティバル」のオーケストラ公演、8月26日の終演後のカーテンコールに車いすで登場されました!

小澤さんは、スイス出身の世界的指揮者であるシャルル・デュトワさんや、サイトウ・キネン・オーケストラのメンバーらと一緒にステージに現れ、大きな拍手が上がったそうです!(日刊スポーツ記事より)

セイジ・オザワ 松本フェスティバルOMFのTwitterより

このTwitterの写真ですが、マスクをしていても、小澤征爾さんの眼差しからあふれ出す感動の様子が伝わってきます。とっても素敵な写真ですね。小澤征爾さんの温かい眼差しの奥には涙が溢れています。来年のフェスティバルでまたお会いできることを願っています。

チェリスト 宮田大さんのツイッターにも喜びの声!

8月28日にも会えるかもしれない!!!

小澤征爾さんの、病状が安定されているのだとわかり嬉しかったです!

それは、小澤征爾さんのネットでの検索で、「小澤征爾 死去」というものを頻繁に目にするようになったためです。

それを見て、私は驚き、まさか、、、と思いました。

しかし、ひょっとして、、、と思い、とても気になるようになっていたのです。人は悪い方悪い方へと考えが膨らんでいってしまいますから、、、。小澤征爾さんは、高齢になってから、長い闘病生活を送っておられ、それは、知られた事実でありましたから。

小澤征爾さんが、在宅に戻り24時間の看護体制になってから、3か月が経過しようとしている時(2022年6月に)、私は、気になって、小澤征爾さんの過去の病気などについても調べてみようと思い立ちました。

2022年3月の記事では、小澤征爾さんは、体重が落ち、現在は自分で歩くことも難しい状態で、言葉も思うようには発することができない状態であると書かれていました。

3月の時点では、かなり体力が落ちた状態であったのですが、5か月ほど経過し、8月26日には、車いすで会場入りできたことは、医療と看護の体制が上手くいっているということなのだと判断しました。

それは、ご家族の協力はもちろんのこと、ご本人がこの松本フェスティバルを成功させたいというお気持ちが強かったのではないでしょうか。

小澤征爾さんは、歩けなくなったとは言え、リハビリに対しても積極的だったのでしょうね。 (*^-^*)

人間の生命は、生きる気力が一番だと思います!

きっと、言葉を発することも、不自由はあってもできるのかもしれないとも思いました。

伝えたいという意欲があり、話を聴いてくれる人がいることにより、話す能力も回復してくるものです!

それがたとえ言葉にならなくても、同じ空間をともにできた喜びは計り知れないほど大きいことと思います。

新聞記事には、数行しか書かれてはいませんでしたが、その記事から私は、「小澤征爾さんは、きっと、会場で生の演奏を聴くことができて、その音楽について自分のお気持ちを表現されたのかもしれないな。」と思いました。

車いすの小澤征爾さんを連れて会場まで連れていきたいという思い、それは、本人、家族、医療スタック、音楽関係者全ての人が望んでいて、タッグを組んでいたのかもしれないですね。

あくまで推測ですが、音楽を聴くことが大好きな小澤征爾さんへのプレゼントとしては最高のものであると私は感じました。 (*^-^*)

こんな心強い人たちに囲まれている小澤征爾さん。

幸せな日々を送られていることでしょう!!!

2022年の松本フェスティバルの成功で、今後の目標もできて、またお目にかかれるかもしれないと思いました。



小澤征爾さんが受けている「24時間の看護体制」とは?

通常、「24時間体制の看護体制」というのは、家族が本人の様子がおかしいと思った時に、いつでも連絡がとれる体制になっているというものです。

24時間看護師さんが小澤さんの自宅に常駐しているのではなく、心配なことがあった時に看護師さんに電話をかけて相談すると、看護師さんが訪問して様子を見に来てくれる体制をとっているということです。

家族からの電話を受けた時に、看護師さんが、小澤さんの緊急度が高いと判断したり、医療的な対応が必要であると判断した時には、すぐさま、主治医にそのことについて報告し主治医に対応をお願いすることになります。

病状が不安定で急変が考えられる時や、最期が近くなってきた時などは、主治医が家族に緊急連絡先を知らせ、不安な時や緊急時はいつでも連絡できるようにもなっています。

このような制度は、介護保険制度にもありますし、病状によっては、医療保険を使って、このようなサービスを受けることもできます。

介護保険や医療保険で対応困難なサービスについては、自費で受けることができますので、自費のサービスを使って、看護師さんの訪問回数を増やしたりしているかもしれませんね。

最近の在宅療養は、本人、家族が望めば、病院並の医療を受けることも可能になってきました。

自宅において、24時間モニターを装着して管理することは、普通のことになりつつありますね。

小澤征爾さんは、血圧、脈拍、体温、呼吸などの生命にかかわる数値的なもの全てモニターにおいて管理されているのかもしれません。

そうすることで、娘さんも安心して休息をとることができると思いますし。

今回の在宅療養は、小澤征爾さんご本人が自宅に帰りたいという希望でスタートしました。

ご本人の意思表示がしっかりとあったのです。

自宅であれば、好きな音楽を聴いたり気兼ねなくできますし、会いたい人にも来てもらうことができますよね。

娘さんである征良(セイラ)さんなら、お父様のお気持ちに添ってきちんと対応されていることと思います。

ご本人が最期をどう迎えたいのかをはっきり意思表示しているのならば、それを第一に考えていきたいと思うのが家族でしょうから、、、。

誰もが、自分の命の最期をどう迎えるのか、を考えていかなければならないのですが、殆ど、自分の思い通りにならないのが現実でもあるとも思います。

・・というのは、

最期は自宅で迎えたいと本人が希望しても、それを叶えることができない家族も多いのです。

それは、家族が最期を看取るのが不安であるため、、仕事などで在宅介護をする余裕がないなど、様々な理由があるでしょう。

ですから、小澤征爾さんは、自宅で療養生活を送ってみえること、それが、本当に幸せなことなのだと思います。

コロナ禍で入院中に家族を亡くした方の多くが、最期まで本人に会うことができなかったと後悔されている話をよく耳にします。

ですから、今、この時間を大切に過ごしていくことが幸せなことであると思っています。



生命が危険な状態にならないようにするためには?

究極のことですが、心肺停止しないように状態を管理していくことであると思います。

小澤征爾さんは、気管支炎とか肺炎とか、若い頃から呼吸器の病気をしていて、繰り返し発病しているため、肺炎が再燃すると命とりになるのではないかと思うのです。

そのため、今の状態から考えると、口からの食事は、誤嚥などによる嚥下性肺炎のリスクが高いと思われるため、誤嚥しないように、細心の注意を払っていくことが大事になってきます。

ですので、嚥下のリハビリを受けながら、食事をとるようにすることが必要なケアになってくると考えます。

意識レベルが低下してきた時には、口から食べること自体が危険になるため、そのようなときは、点滴や経管で栄養をとることが必要になってきますが、今の様子ですと、きっと、お食事は、咀嚼して嚥下しやすい形態であれば問題なくご自分で食べられているのではないかと思いました。

私は昔、昭和の終わりごろ、がんの専門病院に勤務していたのですが、その当時でも、5年間、口から食べず、高カロリー輸液だけで命をつないでいた方がいました。

生命を維持するカロリーは、点滴などで補うことはできるのですが、高齢になってからは、肺炎や心不全が起こることが、命とりになってしまうのです。

そういう意味で、24時間体制での看護を受けている小澤征爾さんは、肺炎や心不全などの予兆に医師や看護師が気づき、適切な医療を受けることができているのではないかと思われます。

また、肺炎を予防するには、口の中の清潔保持がとても大事になります。

そのことを「口腔ケアー」といいますが、お口の中の雑菌が肺に入っていかないように、お口の中の手入れを丁寧にするのです。

おそらく、ご本人ではできないと思いますので、看護師さんや歯科衛生士さんの指導を受けて、ご家族が行うことになると思います。

そういったこまごまとしたケアーが行き届いていると、よい状態を保っていけるのです!

そして、一番大事なのは、本人が生きようとする意欲!

本人、家族、医療関係者などの関係性もとっても大事になってきますね。

一生懸命生きることの大変さ、大事さ、いろいろと考えてしまいます。

正解はないのですが、後悔がないよう充実した時をもつことが大事ですね。

小澤征爾さんは、2006年(71歳)以降になると、様々な病気と付き合いながらの人生を歩むことになりました。

高齢になると身体のあちこちに炎症が起こってきます。

そういった過去の持病が再燃していないか観察して対処することも大事になってきます。



小澤征爾さんの過去の病気は?多くの病気を乗り越えてきています!

学生時代には、肺炎で卒業が遅れたといいます。

2005年(70歳)暮れに体調を崩し、同年12月に白内障の手術

2006年(71歳)に急性気管支炎

2006年1月半ばには、帯状疱疹、慢性上顎洞炎、角膜炎、、とありました。

私は、「急性気管支炎」と「慢性上顎洞炎」「角膜炎」という3つの病名に引っ掛かりました。

ひょっとしたら、小澤征爾さんは、蓄膿症か歯周病があったのかもしれないと思いました。

それを放置しておくと、上顎洞から膿が気管支へ流れ込み、炎症が起きたり、上顎洞の炎症から目や脳の方にも炎症が広がっていくことがあるのです。

「帯状疱疹」(たいじょうほうしん)にかかるということは、それだけ抵抗力が弱っているということでもあります。

丁度、ウイーン国立歌劇場の音楽監督をしていた超多忙な時期でしたので、自分の健康管理は、二の次にしてきたのではないかと思いました。

ですので、この時期から、小澤征爾さんは、無理がきかなくなってきたのでしょうね。

2010年1月(75歳)人間ドックで食道がんが見つかる。食道がんで食道全摘手術。

幸いにも、主治医の先生からは食道がんからは「無事卒業」のお墨付きをいただいたそうです。(「終わらない音楽」小澤征爾著より)

食道がんになった時に、家族全員でタッグを組んで助けてくれたことを、「終わらない音楽」の中でも書き記しています。

外で勝手に音楽ばかりしているおやじだったのに、大病したら家族全員でタッグを組んで助けてくれた。娘の征良(せいら)がチーフで、妻のヴェラと息子の征悦(ゆきよし)が全力で協力してくれた。すごい。感謝あるのみだ。

引用;「終わらない音楽」小澤征爾著より

この時は、8月に復帰されましたが、小澤征爾さんが、ずいぶんと痩せてしまったことに世間は驚きを隠せませんでした。

2011年1月、悪化した腰の手術を受ける。

2012年3月7日、体力回復のため、1年間の指揮活動の中止を発表。

(そして、2013年に「復活のサイトウ・キネン」がありましたね!!!!)

2018年4月(82歳)に大動脈弁狭窄症の手術

多くの高齢者に、加齢によって硬化・石灰化した大動脈弁狭窄症が見られます。

ですので、誰もがかかる可能性のある病気ですので、早期発見が大切です。

小澤征爾さんは、聖路加国際病院で手術されたそうです。

この時に、大動脈弁狭窄症の手術を受けたことで、心不全から免れたといってもいいでしょう。

聖路加国際病院に主治医がいるので小澤征爾さんは安心ですね。

2019年8月(83歳)に松本で10分ほど指揮棒を振る

小澤征爾さんが指揮をしたのはこの時が最後となりました。

ファンの中には、痛々しかったという気持ちになられた方もいるようですが、素晴らしかったと思います。

ご本人は、このステージに命をかけて取り組んだのだと思います。

小澤征爾さんが紀尾井ホールで開かれた演奏会に登場!〔7月31日〕

2019/08/17 指揮者、小澤征爾さん(83)が7月31日、東京・紀尾井ホールで開かれた演奏会に登場し、若手音楽家を前に約10分間、ベートーヴェン弦楽四重奏曲第16番の3楽章を振った。この十数年、療養のために舞台から離れることも多かったが、若い音楽家を育成するプロジェクトへはできる限り参加を続けてきた小澤さん。演奏を終えると静かに目を拭った。〔YouTube動画の説明を転記〕



小澤征爾さんの活躍を振り返る!

小澤征爾さんは、とっても熱い人でした!

それは、引退宣言をしたあの大西順子さんを説得してひっ張り出したんですから!

2013年「ラプソディーインブルー」復活のサイトウ・キネン

大西順子さんは、2013年 8月-9月 サイトウ・キネン・フェスティバル松本において

「サイトウ・キネン ジャズ勉強会」の講師を務め、

9月6日には小澤征爾の指揮するサイトウ・キネン・オーケストラ」

ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」を共演しました。

小澤征爾氏の猛烈な誘いに負け、一夜限りの復活とし出演を決めたのです🎵

これは、あまりにも有名な話で、伝説になってますね。

実は、小澤征爾さんは、海外では、マーカス・ロバーツトリオと組んで演奏もされていて、

ジャズとの共演にも慣れていたので、

大西さんから、私もトリオで演奏させてくださいとお願いしたそうです。

 

この動画は、ガーシュインの「アイ・ガット・リズム」ですが、

小澤征爾さんが座り込んで楽しそうに聴いているのが映っていますよね、

少年のように。(*^-^*)

ガーシュイン「ピアノ協奏曲へ長調」小澤征爾とマーカス・ロバーツトリオの演奏です🎵

この動画は是非最後まで時間のある時でいいので味わってお聴きくださいませ。

音楽の楽しさ、素晴らしさをたっぷりと味わってくださいね。

小澤征爾さんは、海外でこんなにも活躍されていたのです。

セイジ・オザワ 松本フェスティバル30周年,8/13開幕🎵地元松本は元気です🎵 | アラカン女子Haruharuの音楽のんびりLOVEライフ (ongakulove.net)

Haruharu笑顔

最後までお読みいただきありがとうございます!

小澤征爾さんが演奏家たちの音楽を楽しみながら指揮をしている姿は最高ですね。今では、伝説になってしまった、大西順子さんの引退宣言の時の小澤征爾さんの熱血な行動!私はとても感動し、今でも村上春樹さんの書かれた本、「厚木からの長い道のり」を時々読み返したくなるのです!

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