藤木大地さん,カウンターテナー,題名のない音楽会出演,もとはテノールだった!

カウンターテナーの藤木大地さんの経歴がユニークで興味深いんです!

この記事では、藤木大地さんが声楽と出会ったきっかけや、カウンターテナーへの転向のきっかけなど、人生の転機となった偶然、出会いの偶然などをまとめました。

藤木さんの過去を紐解いていきますので、お楽しみに~🎵

こころあたたまる内容となっております!

藤木さんの歌声は、とっても癒される歌声で題名のない音楽会楽しみですね。

「なぜこの曲がクリスマスに流れているの?」の音楽会

クリスマスになると世界中で耳にする伝統的なクラシックの名曲がありますが、なぜクリスマスに演奏されるようになったのか、オーケストラの豪華演奏と共にクリスマスとの関係を紐解いていきます。
♪出演・指揮:園田隆一郎
演奏:藤木大地(カウンターテナー)、パシフィックフィルハーモニア東京



藤木大地さんのTwitter:「題名のない音楽会出演🎵」

藤木大地さんは、なんと、司会の石丸幹二さんと同じ門下生で先輩にあたるんですね。 (*^-^*)

初めて知りました。

藤木さんと石丸さんお二人の写真、とってもなごやかですね。

微笑ましい限りです!



藤木大地さん:声楽を習い始めたきっかけは?

藤木大地さんが声楽を習い始めたきっかけは、またまた、映画になりそうな感じですし、藤木さんのストーリー自体も映画になりそう、、、。

そんな藤木大地ストーリー、知りたくなってきましたよね~。

うふふ、、、 (*^-^*)

出会いはいつも偶然なんですよ!

藤木大地さん、中学時代の部活で出会った合唱!

それは、それは、藤木大地さんが宮崎市の中学2年生の時のお話しです。

藤木さんは、音楽の授業で一生懸命歌っていました。

その歌声はとても美しかったといいます。

その歌声に惚れ込んだ音楽の先生が、藤木さんに、なんとなんと、合唱部に入らないかと誘ったのです。

おぉっ!それはスゴイ!

当時の合唱部は男子部員が少なったこともあり勧誘されたんです。

音楽の先生からのオファーだったんとは!

しかし、その時、藤木さんは、メインの部活は野球部でした。

藤木さんは、野球部に所属しながら、合唱部に入り、宮崎県内や九州全国の合唱コンクールなどに挑戦していったのです。

なんとも青春してますね~🎵

かっこいい~🎵

今はやりの二刀流じゃないですか!!!!!

そして、藤木さんは、仲間と力を合わせて合唱に挑戦して行く中で、歌うことの楽しさ、そして、歌を通した人と人との出会い、その素晴らしさを知っていくのでした!

野球もチームプレーですし、合唱もチームプレー、仲間とともに頑張って素敵な思い出がいっぱいあるのでしょうね。

うぅ、、、、青春ドラマです。

若いっていいな。 (*^-^*)

素敵!素敵!



藤木大地さん:声楽のプロを目指すようになったきっかけは?

中学時代に合唱と出会った藤木さんですが、声楽のプロを目指すようになったきっかけを紐解いていきたいと思います。

藤木大地さんは、高校受験の時に、都内にある合唱強豪校への受験も考えていたそうです。

でも、藤木さんは、悩んで悩んで、地元の進学校に進むことに決めたのです。

なぜそんなに悩んでいたのかといいますと、藤木さんは当時の夢は、実は、声楽とはま全く関係のない、テレビのアナウンサーか新聞記者、いわゆるマスコミ関係で働きたいと思っていたそうなんです。

ですので、マスコミ関係の仕事に就くため、日夜勉強に励んでいたそうなんです。

藤木さんは、マスコミ関係の仕事に就くために、大学の志望校も設定して目標に向かっていたのですが、歌のことがどうしてもどうしても諦められきれなかったのです。

なんだかその気持ちわかります。 (>_<)

きっと、中学時代に経験した喜びが忘れられなかったのでしょうね。 (>_<)

それで、藤木さんは、どうしても一度声楽を習ってみたい!と強く思い、高校一年生の終わりごろに、一大決心をします!

それは、地元のテノールテノールの先生の門を初めて叩いてみたのであります!

そして、ここからが、かなりの驚きなんですが、、

最初のレッスンで、じゃーん!

「お前は芸大に行け!」と言われたんです!!!!

おぉ!!!

これは、またまたスゴイことになってきました!

そんなことをテノールの先生に最初のレッスンで言われてその気にならない高校生が果たしているでしょうか?

このテノールの先生の一言に、藤木青年は心を動かされてしまったのでありました!

それで、すんなり進路変更したそうです。 (*^-^*)

スゴイ!

自分の気持ちに正直に行動すると道は開けていくものですね~。

人生、ドラマだわ~ (*^-^*)

それで、藤木大地さんは、数ヵ月後に、県の声楽コンクールで一位を受賞し、「ああ自分が本当に独りで歌ってもいいんだ!」と思ったそうなのです。

この実績も凄すぎます!!!

その後、藤木大地さんは、声楽ソロで九州大会全国大会にも参加します!

その大会に参加し、歌を愛する全国の同世代の仲間に出会えたことが刺激的でとても楽しかったそうなのです。

同じ夢を持ち頑張っている仲間との出会いは本当に人生の中の出会いとしてかけがえのないものですね~。

将来の夢、自分の夢、やってみたいこと、今、こうしてこのブログを読んでいただいている皆様方も、ご自身の夢を大切にしてくださいね。 (*^-^*)

 



藤木大地さん:テノールからカウンタテナーへの転向の訳は?

藤木大地さんは、2010年にウィーンに留学していたのですが、その時に喉風邪を引いたことがカウンターテナーへ転向するきっかけとなりました。

さて、どういうことでしょうか?

今から、その時のことをお話ししていきたいと思います。

藤木大地さんは、2010年の夏に、とってもしつこい喉風邪をひいたのです。

そのしつこい喉風邪のために藤木さんは、歌声が出せない状態が続いていました。

本当に辛いですよね。

声楽家は、自分が楽器ですから、喉を守ることは命を守ることに等しいですものね。

風邪をひいていても勉強して覚えないといけない曲が多くありますから、何としても練習をしなければならない状況であったわけです。

そんな時の苦肉の策と言ってもいいと思うのですが、藤木さんは、仕方なく裏声で軽く歌いながら曲を覚えていったのです。

実は、藤木さんとしては、自分の裏声は前々から悪くはないと思っていたそうなんですよ。

でも、まさか、その裏声は売り物までにはならないだろうと考えていました。

藤木さんは、その裏声を使って何曲も通して裏声で歌っていくうちに、いつの間にか、裏声って自分の思うように声をコントロールできる、、、ということに気づき面白くなってきてしまっていたのです。

何でもやってみるものですね~。

そんな自分の変化に気づいた藤木さんは、居ても立っても居られなくなり、ウィーンの周りの音楽仲間やレッスンを受けていたコーチに聞いてもらおう!と思い立ったのです。

ひらめいたんですね! (*^-^*)

そうしたところ、藤木さんの裏声を聞いてくれたみんなが、口をそろえて、「その声は美しいと思う!」と言ってくれたのです。

ですから、藤木さん本人としても”驚き桃ノ木山椒の木!!!”状態になったんです! (゜o゜)

藤木さんは、その後、テノールとしての自分をよく知っている人たちの元を訪ねることにしたのです。

それはどんな人達かといいますと、これまたスゴい人たちばかりでありまして、イタリア留学中の巨匠、日本の巨匠、新国立劇場オペラ研修所時代の外国人講師といった方たちです。

藤木さんは、合計で30人が良いと行ったら本気で勉強してみようと思っていたそうなのですが、なんとなんと、50人以上が良いと言ったのだそう。

・・・ということは、50人以上に聴いてもらったんですね~。

藤木大地さんって、スゴイ行動力!

人生をかけたチャレンジですから!

何事もタイミング!勢い!

でも、テノールからカウンターテナーへの転向をするという一大決心をしようと思うと、そうでもしないと確信が持てなかったんでしょうね!

転向することって大変なことで勇気がいることなのでしょう。

カウンターテナーに転向の意思を固めた藤木大地さんには、その年の年末まで、第9のテノールソロなどテノールとしての出演が入っていたんです。

テノールとしての出演が全部終わるのを待ち、その先は、歌の仕事は全部断わっていきました。

きっと、藤木さんから相談を受けた人たちは、「ススメ!藤木さん!自信を持っていくのじゃ~!」と、応援していたことでしょう。 (*^-^*)

藤木さんは、早速、2011年1月からウィーンに一人だけいたカウンターテナーの方のもとでレッスンを始めました。

たった一人しかいなんですね。

その方の名前は、カイ・ヴェッセル。

そのカイ・ヴェッセル氏からは、「半年後にケルンの学校に移籍するのでそれまでしか教えられない。」と言う約束だったそうで、藤木さんは半年でどうにかテクニックの目途をたてたいと思って必死に勉強をしたそうです。

カウンターテナーーの勉強を始めた藤木さんは、半年後に、大きい有名な国際コンクール(第30回国際半数がボアベルビーディレ声楽コンクール2011年)でオーストリア代表になり、世界大会でセミ・ファイナルまでいきました。

スゴイですよね~。

藤木大地さんは、こうした実績を作れたことで、カウンターテナーとして世界で戦えるんだっていうふうに実感したそうです。

その時に、正式にカウンターテナーへの転向を発表し、広くみんなさんに伝えたそうですよ。

それまではごく近しい人にしかこの挑戦を言ってなかったそう。

その後の2012年夏には同じ国際コンクールの世界大会でファイナルまで進み賞をいただいたということです。

その後は、ヨーロッパデビューをし、ボローニャ劇場歌劇場からのオファーが届くなど世界へ羽ばたいていくのでした。

すごいですね。

とても素敵なストーリーでしたね。 (*^-^*)

Haruharu笑顔

藤木大地さんの歌声がとっても楽しみです。
題名のない音楽会が楽しみです。
心癒されて年末を過ごしたい方、是非ご覧になってくださいませ。

 

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