服部百音(はっとりもね)さんと父親の服部隆之さんが令和4年6月10日の徹子の部屋に出演しました。今回百音さんは家族の一員としての出演だったのですが、曾祖父:服部良一さんや祖父:服部克久さんとの想い出話が聞けてとっても楽しかったです。感動的なお話しがたくさんありました。
徹子の部屋にお邪魔させて頂きました。
今回は私は家族の一員として。徹子さんから生前大変お世話になった曾祖父良一、祖父克久との思い出深いお話を伺い不思議な実感を伴いながら、父の隆之と共にお話して参りました。放送日は6月10日😊
意外とすぐなのでお見逃し無きようご覧下さると嬉しいです😊 pic.twitter.com/RYzJ7tZVli— 服部百音/Moné Hattori (@HattoriMone) May 28, 2022
私アラカン女子としては、服部良一さん、服部克久さんの素晴らしい音楽に癒されてきたので、この思い出話は聞き逃したくないと思っていました。
番組を十二分に楽しむことができて大満足でした。
服部百音さんは音楽一家に生まれた🎵
服部百音さんと言えば、音楽一家の服部家であることは超有名です!
でも、そこにお母さまは登場しないので、”お母さまはいったいどんな人なのか?”
そこのところも、ぜひとも知りたいなと思ってしまいます。
そして、音楽一家に生まれた服部百音さんは、きっと精神的にもプレッシャーが大きかったのかなと推測しているのですが、、、
この記事をとおしてお伝えしていければと思っております!
服部百音(はっとりもね)さん:年齢,身長は?
服部百音さんの生年月日は、1999年9月14日。
令和5年の誕生日で24歳です。
身長は、152~153cmぐらい。
とっても小柄ですね。 (*^-^*)
でも、その小柄な百音さんのバイオリンは迫力ありますからすごいですね。
百音さんがバイオリンを弾いている姿にいつも惚れ惚れしてしまいます。
服部百音(はっとりもね)さん:ご家族は?
百音さんのツイッターに家族写真がありましたので掲載させていただきました。
お父さん、お母さん、叔母さん、そして百音さんの4人が映っています。
とっても仲良しで素敵なご家族のように思いました。
今月の8日が誕生日だった叔母の奈緒ちゃんと、21日が誕生日だった父を2人一緒に祝ってきました🎂🌹
怒涛のメモリアル週間を一家総動員で団結して乗り切った4人🙂本当にお疲れ様でした。
お2人とも健康でどうぞ、長生きして下さい🙏🏻😚#happybirthday #服部隆之 #服部奈緒 pic.twitter.com/huPTlc7xQ6
— 服部百音/Moné Hattori (@HattoriMone) November 24, 2021
服部百音さんのお父さんは服部隆之さん
服部隆之さんは、作曲家、編曲家で、「半沢直樹」のテーマ曲などで知られています。
この動画は、弦楽4重奏ですけど、、素敵な演奏でしたのでアップしました!
服部百音さんのお母さんは元バイオリニストの服部エリさん🎵
百音さんのお母さまは、「服部エリ」さんと言います。旧姓は、「岡本エリ」さん。
服部エリさんは、東京芸術大学を卒業し、プロのバイオリニストとして、オーケストラで活躍していました。
服部克久の「音楽畑」でコンサートマスターを務めてもいたそうです。
「徹子の部屋」でも話題になりました。 (*^-^*)
お母さまも、プロのバイオリニストだったとは、、、。 (@_@)
本当に、音楽一家なのですね。
服部百音さん:幼い頃は?
服部百音さんは、5歳でヴァイオリンを始め、8歳でオーケストラと共演しています!
ヴァイオリンを始めてたった3年でオーケストラと共演するって、驚きですよね~。
そんなことが人間にできるんですね~。 (^^;
幼少時はどんなんだったんでしょうか?
以前、お母さまと百音さんがどのようにバイオリンと向き合ってきたのかを知ることができるテレビ放送の動画があったのですが、それによりますと、百音さんは、小さい頃から病気がちでよく泣く子だったそうです。
そんな時、何をしても泣き止まなかった百音さんに、チャイコフスキーのバイオリンコンチェルトを聴かせたところ泣き止んだそうなのです。
それから、何度か試してみたところ、やはり、チャイコフスキーがかかると泣き止んだのです。
だから、この子はバイオリンが好きなのかもしれないと思いお母さんは、百音さんにバイオリンを教えることにしたのです。
お母さんの予想どおり、百音さんは、バイオリンを弾くこに夢中になっていったのです。
百音さんは、絵を描くのも上手だったんですね。
幼稚園の頃の落書き発見❗️アルファベット文字は覚えたけれどスペリングを全く知らなかった時に書いたらしい。。
ヴァイオリン → baiorin = バイオリン
弓 → umi =膿
肩当て → Kataaite = 肩相手
ケース → Kas = カス膿とカスのダブルパンチ
自分が書いたと思いたくない笑 pic.twitter.com/sq3TUOWikD— 服部百音/Moné Hattori (@HattoriMone) April 27, 2022
幼稚園の頃にこんな難しいバイオリンの絵や文字を書いていたなんて賢いですね。
服部百音さんは、6歳の時に、桐朋学園附属子供のための音楽教室に入っています。
これは、ショパンコンクール2位の反田恭平さん、4位の小林愛実さんと一緒の教室です。
英才教育を受けて育ってきたんですね。
服部百音さん:病気との闘い
そんな服部百音さんですが、脊柱側弯症(せきちゅうそくわんしょう)になってしまっていたそうなんです。
この病気は、背骨が左右に曲がってしまう病気で、中学生の時には、発症していて、装具を付けて治療していました。
そんな病気を抱えながらも演奏していたんでしょうから、すごい精神力だと思います。
尊敬してしまいます。本当に。
幼いころからプロとしての自覚を持つよう厳しく育てられてきた百音さん。
その厳しさは愛があっての厳しさだから乗り越えることができたのだと思います。
服部百音さん:経歴は?
服部百音さんの偉業としては、2009年、10歳の時に、ポーランドで行われたリピンスキ・ヴィエニヤフスキ国際コンクールで第1位及び特別賞を受賞、史上最年少記録です!
10歳で世界に認めらるバイオリニストになった百音さんなのです。
そして、11歳でミラノのヴェルディホールでリサイタルデビュー以降、ロシア、スイス、イタリア、ポルトガル、ドイツなど国内外でオーケストラとの共演やリサイタル活動を行っています。
百音さんは、11歳でミラノのヴェルディホールでリサイタルデビューした時のことを「徹子の部屋」で色々と語っています。
後半に記述しましたので楽しみに読み進めていってくださいね。
2013年、ブルガリアで行われた第9回ヤング・ヴィルトゥオーゾ国際ヴァイオリンコンクールでグランプリ及び特別賞を受賞。
同年、ロシアで行われたノヴォシビルスク国際ヴァイオリンコンクールにおいて
13歳でシニア部門を飛び級で参加し、最年少グランプリを受賞、
並びに審査員特別賞、新曲賞を受賞。
え、、、? コンクールで飛び級なんてあるんですね。
初めて知りました。
百音さんは、”最年少記録”をこうして塗り替えていったのですね。
そして、2015年にはスイスで開催されたボリス・ゴールドシュタイン国際ヴァイオリンコンクールでグランプリを受賞。
服部百音さんは、合計4回のグランプリおよび特別賞を受賞しています!!!
現在、百音さんは、桐朋学園大学ソリストディプロマコースに在学、およびスイスのザハール・ブロン・アカデミーに在籍しています。
服部百音さんの使用楽器は?
百音さんが使用する楽器は、日本ヴァイオリンから貸与されている”ピエトロ・グァルネリ”
この楽器は、バイオリンの頂点にある楽器だそうです!
ヴァイオリン作りの頂点に立つ人が「ピエトロ・グァルネリ」なんだそうです。
そんな楽器の値段は、なんと13億円とのことです。(゜o゜)
驚きの価格ですね!!!
持ち運びするのが怖いですね~。
ヒジョーに怖いです、、、、。
百音さんは、日本ヴァイオリン主催の講師をされているんですね。
楽器を貸与されており、そういった繋がりもあるのですね。
お知らせ📣
来月5月21&22日に、日本ヴァイオリン主催のマスタークラスで2日間指導させて頂く運びとなりました。
小さい方も大きい方も大歓迎😊(聴講も出来ます)皆様の演奏今からとっても楽しみです。お申込みリンクはこちら↓https://t.co/PJ7aI8eTvd今年は人生初の事のオンパレード…💓 https://t.co/EjG9W9KNz9
— 服部百音/Moné Hattori (@HattoriMone) April 26, 2022
服部百音さんの祖父は”服部克久”さん
服部克久さんは、1936年、作曲家・服部良一の長男として生まれました。
幼少より音楽の英才教育を受け、成蹊中学校・高等学校を経てパリ国立高等音楽院へ留学。
和声、フーガ、対位法を学んだ後、1958年卒業。
帰国後すぐに戦後の復興後のテレビ放送の草創期より活動を始めました。
服部克久さんは、海外にて本格的に作曲を学んでこられた方だからこそ、多くのすぐれた作品を残すことができたのだと思います。
音楽の引き出しが沢山あるから、その時に一番ふさわしいものを自分の引き出しから引き出していくことができるんでしょうね。
服部克久さんは、アラカン世代の青春時代の思い出の中にずっと生き続けている人なのであります!
作曲家、編曲家と言えば、初めに思い浮かべるのは服部克久さんですから!!!
服部克久さんは、当時、テレビ番組で高視聴率だった「ザ・ベストテン」のテーマソングを手掛けた人なのですが、
そのテーマソングがテレビから流れ始めると、、、黒柳徹子さんと久米宏さんの2人がかっこよく登場するのです!!!!
本当にカッコ良かったですよ~!
その時のテーマ曲の盛り上がり方に、もう、わたしは、ワクワクドキドキで、本当に、一番好きなテレビ番組でした!
この番組は、このテーマソングに力をもらっていたと思います!!!!
きっと、この始まり方が楽しみで、毎週、家族全員で観てたのかな~💛
そして、次に服部克久さんと言えば、私の中では「音楽畑」です🎵
「音楽の自然食」をテーマとしたインストゥルメンタル集「音楽畑」シリーズです。
オーケストラサウンドを徹底的に追求したこのシリーズは、全部で20作品となり、
それが、一つのジャンルとして確立したのです。
すごいですよね。一つのジャンルになってしまったなんてね。(*^-^*)
そして、「音楽畑」は、日本レコード大賞企画賞を2回(第32回:1990年、第40回:1998年)受賞します!
当時、私は、「音楽畑」(全20作)のCDを購入して繰り返し繰り返し聴いていましたよ。
ピアノの楽譜「ル・ローヌ」を購入して練習もしました!!!
ですから、本当に懐かしいのでありまする。(*^-^*)
そんな服部克久さんは、2020年6月11日、末期腎不全のため東京都内の病院でお亡くなりになりました。83歳でした。
メモリアルコンサートに流れているのは、「ザ・ベストテン」のテーマソングですね。
百音さんがTwitterに投稿してくださるので本当に嬉しいです。
このメモリアルコンサートに、快く御出演下さいました皆様、2日間にわたり演奏会をお支え下さり導いて下さいました #安住紳一郎 様、そして御来場頂きました皆様に、家族一同心より感謝申し上げます。
動画はゲネより、ザ・ベストテンをお届けます。
本当にありがとうございました!#服部克久 pic.twitter.com/V2eUlpDVkR— 服部百音/Moné Hattori (@HattoriMone) November 17, 2021
服部百音さんの曾祖父は服部良一さん
服部 良一(はっとり りょういち)さんは、1907年(明治40年)生まれ。日本の作曲家、編曲家として大活躍されましたが、1993年(平成5年)に85歳で亡くなられました。
服部良一さんは、ジャズで音楽感性を磨いた和製ポップス史における重要な音楽家の一人と言われています。
代表作には、『別れのブルース』『東京ブギウギ』『青い山脈』『銀座カンカン娘』などがあって、いずれも時代を象徴する国民的ヒット曲として知られていますよ。
昭和40年代生まれまでの日本人で、服部良一さんを知らない人はまずいないと思います!!!
徹子さんは、お父さんが給料前借していたことにどうやって切り込んだ?
番組の始めに、服部良一さんと服部克久さんのおふたりが「徹子の部屋」に出演している場面が放映されました。
その時、百音さんが3歳の時の写真が映っていました。
服部克久さんは、「徹子の部屋」に4回出演されたそうですが、一昨年、83歳で亡くなられたことが話題に。
良一さんが85歳まで生きられたので、克久さんも、そこまでは、それを越すまでは、生きたかったのではなかったかと。
「ザ・ベストテン」の音楽と、谷村新司さんの「昴」、そして、
克久さんが亡くなる前年に、親子3代で共演した「ル・ローヌ」の紹介がありました。
動画はユーチューブにもあります!
私の大好きな曲であります。(^_-)-☆
この演奏動画もとっても素敵です。
感動で涙が出てきますよ。
祖父 服部克久さんは百音さんが可愛くて仕方がなかった!
服部克久さんは、百音さんのことは可愛がっていたそうですねと徹子さん。
それこそ、目の中に入れても痛くないといった具合だったそうです。
とても温かくやさしく見守ってくれていたと百音さん。
いいおじいちゃんだったんですね。
百音さんのコンサートには、必ず足を運んでくれていたそうです。
服部良一さんは、体調が悪くなってからも百音さんのコンサートには出かけていたそうです。
百音さんがバイオリンを始めてからの話
その後、百音さんがバイオリンを始めた頃の話などにもなっていったのですが、百音さんがバイオリンを始めたのは、5歳。
始めはお母さんに教えてもらっていたのですが、8歳の時に、ロシア人のザバール・ブロン先生に習うことになったそうなのです。
日本でレッスンを受けたことがきっかけでザバール・ブロン先生に、「僕についてヨーロッパにこないか?弟子にしてあげる」と言われたそうです。
百音さんは、8歳の時から18.19歳ぐらいまで、ブロン先生にバイオリンを教えてもらっていました。
でも、そのザバール・ブロン先生は、決まったところに住んでおらず、回遊魚のように世界中を回るといった先生だったため、百音さんは、ブロン先生がいるところにレッスンに出かけていったのです。
まだ、年齢的にひとりで海外に行けなかったため、母親も同行していったのだそうです。
ですから、もねさんは、月2週間ぐらいは、海外留学みたいだったんですって。
それも世界中です!
修行の旅だったそうです!
ロシア、イタリア、スイスだったりと、なかなかカオスな生活(混沌とした)をしていたって!
そんな生活を通して思ったことは、生きていればどうにかなるということ!!!
色んな目にあったんですけど、学んだことが全て財産になっているって。
百音さんは、危険なこともあったけれど、全てが良い経験になったと話していました。
いよいよ徹子さんが百音さんのレッスンにまつわる経済的なことに切り込む!
次に、徹子さんが、隆之さんに「本当のことを言うと、飛行機代だったり、授業料もそうですけど、宿泊代だったり、大変だったのではないか?」って突然切り込みました。(゜o゜)
探せる限り安い便を探して、格安飛行機をとって、安いホテルをとって、、行っていたそうですが、治安の問題もあって、あまり安いホテルは心配だったので、そんなことも考えて選んでいたそうです。
お父さんの隆之さんは、治安が悪い国に行くときには心配だったでしょうね。
徹子さんが、「給料を前借していたこともあったそうですね?」と隆之さんに問いかけると、
百音さんは、「それは初耳だった。その節はすみませんでした。」とお父さんに、お礼を伝えていました。
給料の前借は、2~3回ぐらいあったそうです。
前借といっても「ちょっとだけ早く振り込んでくれないですか。。。」と頼んだぐらいだとお父さんは言っていて、百音さんには話すつもりはなかったようですが、、、。
ちょっと、あやしい空気が流れました。 (*_*)
徹子さん、やってくれましたね。 (゜o゜)
服部百音さん:11歳で海外発のリサイタルデビュー🎵
百音さんの初舞台は8歳。オーケストラとの共演だった。
11歳の時、海外でのリサイタルデビューしたのですが、
ブロン先生にしごかれまくっていた頃だそうですが、
レッスン中にブロン先生のもとに電話が入り、
突如、2,000人規模のミラノ音楽院の「ヴェルディホール」に!
ブロン先生が、真っ青になり、「百音!一大事だぞ!!!」
「会場がこんなに大きなホールになってしまったぞ!!!」と。
百音さんは、人生で一番緊張して心臓が口から飛び出る程だったとのことです。
父と祖父も心臓が飛び出る思いだったそうで、
当日、父の隆之さんは、ジェットコースターに乗っている時のように震えて固まっていて百音さんを見ることができなかったそうなのです。
それを見ていた克之さんが、隆之さんをこずいていたって。(゜o゜)
そして、こんな小娘の演奏会なんかにそんなに来ないと百音さんは思っていたそうなのですが、
なんとお客さんは満席だったのです!!!!
それにもビックリ!!!!
百音さんは、「意識が飛ぶかと思いました!」と話していました。
百音さんのさんの左の鎖骨は?大丈夫なの?
百音さんの左の鎖骨の周辺が赤くなっているのを見て、徹子さんが「胸のところ、赤くなっているけど」と言うと、百音さんは、「痛くないけど、見た目が汚いですよね。左の鎖骨がへこんでいるんです。」と。
バイオリンの練習で鎖骨がへこんでしまうんですね。
でも、百音さん、それは仕方がないこととサラリでした。
服部良一さんの思い出話に花咲く
服部良一さんとの想い出話の中で、服部家の教えというものが取り上げられていました。
服部家は、90年近く、日本の音楽に貢献してきたのですが、良一さんからの教えを受けついでいこうと努力はしているようですが、実際は大変みたいです。(*^-^*)
服部家の教え:来た仕事は断るな!
父の克久さんは、あらゆるジャンルの曲に取り組んでいて、
どんな歌手からの依頼も断わらなかったといいます。
スゴイ作曲家ですよね。
その教えについえは、「なかなか僕は守れてないかな。」と隆之さん。
どうしても締め切りに間に合わないと思うとお断りすることもありますと。
父 服部克久さんの楽曲はあっという間に6万曲に!
こうして、断ることなく仕事をしていったら6万曲になったんですね。
服部家の教え:音楽は楽しむもの
そして、音楽は美しくないとということ。それが一番の信念だったそうです。
どんなスタイルのものでも、美しさが残っていること。
服部家の教え:柳に雪折れなし
おやじの一番好きな格言だった。
肩の力を抜いていこうよということ。
まさに父が音楽をやっている様がそうだったって。
服部良一さんは、「柳に雪折れなし」という格言のような柔軟な生き様だったそう。
百音さんは、ま反対な性格を受けつでしまったと言っていましたよ。
百音さんは、何かあるとぽきっとすぐ折れてしまうって言ってました。
雪折れ大ありなんですって。
しなやかになりたいが、肩に力を入れまくってしまっていて、、、と。
百音さんがそんなふうだったとは、全然知らなかったです。(>_<)
百音さんは、曾祖父 服部良一さんの姿も声も知らないということだったので、
「徹子の部屋」に出演している映像が残っていて公開されました。
1980年放送 服部良一さんが72歳の時の映像でした。
それを百音さんはじっと食い入るように見ていました。
貴重な映像でありがとうございましたと。
懐かしい映像でしたが、百音さんの世代からすると、歴史上の人物になってしまっていますから。
家族であるって言われてもピンとこないのは当然ですね。
服部良一さんが孫隆之さんに励ましの手紙を出していた!
服部隆之さん(百音さんの父親)が、パリ留学するのに浪人していた時に祖父良一さんが送ってくれた手紙には、こんなことが綴られていました。
「人生は一日一日が修行なのだ。
おじいちゃんもひとりで大阪から一人で出て、
親の面倒を見て、今日までになった。
後になってみると、
全てが楽しい思い出となっただろう。
服部家の3代目が今パリで勉学中であるのは皆が知っている。
どうか無理をせず健康中心にしっかり人間修行をしたまへ。
焦らず全て隆之スタイルでやりたまへ。
また、手紙を書いて出すように。」
服部おじいちゃま、おばあちゃまより。
・・・隆之さんは、徹子さんが手紙を読んでいる間に涙していました。
徹子さんの父親がバイオリニストで、
良一さんが黒柳徹子さんのお父様のバイオリンを聴いて、
東京に出ようと思ったというエピソードもありました。
こんなところで徹子さんとの繋がりもあったとは。
不思議な縁ですね。(*^-^*)
服部良一さんの音楽葬の話に
音楽葬で淡谷のり子さんが歌った時に、淡谷のり子さんは、「私下手だね、私、先生、勉強しなおしますね。」と言ったそうなのです。
じーんときますね。
服部百音さん&隆之さん:蘇州夜曲(服部良一さん作曲)を親子で披露🎵
この蘇州夜曲本当に素晴らしい曲、、、美しい曲、、、涙が出てきました。
隆之さんがピアノ、百音さんがバイオリンの親子での演奏は感動的でした。
親子でこんなに素敵な演奏ができるって、本当に素敵なことですね!
お父さん、給料前借した甲斐がありましたね。(*^-^*)
母親のレッスンは厳しかった、父親も!百音さん大変だった!
百音さんは、副科をピアノにしていて、ピアノを父に教えてもらっていたそうですが、 お父さんは、ほんとに怖かったそうです。
幼稚園の時にピアノで「白鳥の湖」を練習していた時のことを話していました。
父はまったく覚えていないようでしたが、、、。(*^-^*)
親って子どもにしたことを覚えてないですよ。
子どもは一生忘れずに覚えているものですからね!!!
これは、百音さん、相当大変だったでしょうね。
華麗なる音楽一家に生まれた服部百音さんについて詳しく知ることができましたね。百音さんとお父様やお母さま、おじいちゃまとの関係なども興味深かったですね。百音さんのこれからの活躍はもちろん、お父様の隆之さんの活躍も楽しみです。最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。
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