神野美伽さん現在57歳,徹子の部屋,離婚,病気,デビュー秘話,両親の離婚,これからの生き方は?

令和5年2月20日の「徹子の部屋」に神野美伽さんが出演されました。この記事を読むと、美伽さんの子どもの頃や、デビュー前の秘話、そして、ご両親の離婚と最近のご様子、ご自身の離婚とその後に襲い掛かってきた病気、美伽さんの今後の生き方についての決意などを知ることができます。感想を交えながらたっぷりとお伝えしていきたいと思います。

ティバーでの無料の見逃し配信は、2月27日13時までになっていましたので、見逃してしまった方に向けてまとめました!(サブスクで配信をみることもできるのでしょうが、)



神野美伽さん:徹子の部屋に疋田(ひった)絞りで登場!超カッコいい!

神野美伽さんは、演歌歌手、そして、たくさん着物を持っていらっしゃいます。

それも、どれも、粋で素敵な着物です。

また、着こなしがとっても粋なんです!

神野美伽さん登場

徹子の部屋では、神野美伽さんは、疋田(ひった)絞りで颯爽と登場!白地で左肩のには紫系のお花の絞り、袖には淡いオレンジ系のお花、可愛らしさと上品さあふれるお着物でした。

とっても似合っていらして素敵でした。

女性の着物姿は、年齢を重ねるごとに美しさを増すように思います。

ただし、常に着物を着ている方についてはね。(*^-^*)

着物を着た時の所作が超重要です!

美伽さん語る

美伽さんの髪型は、ショートボブ。凛としてクールな雰囲気がありました。

ニューヨークでも美伽さんのお姿に惚れてる方がいるんではないかしら?

今回お召になっていらっしゃる美伽さんの着物は、30年位前のものだそうで、ずっと、タンスの中で眠っていたとのこと。今日、ちょっと引っ張り出してきて着ていますって。

それにしては、ちゃんと手入れが行き届いていてビックリです。

昔、テレビで、美伽さんの衣裳部屋を見たことがあります。

整理整頓が行き届いていました。

さて、この度。早速、疋田絞りについて調べてみましたが、 「京鹿の子絞り」で、鹿の子柄を表現する技法の一つ であるということでした。

絞りの着物袖

絞りの着物(紫黄緑)

中でも「本疋田絞り」と「中疋田絞り」は指先の作業のみで鹿の子柄を表現する高度な技術を要する絞り技法だそうです。

総絞りですから、本当にとんでもなく素敵でしたよ!

美伽さんが世界で活躍されることで、日本の着物の素晴らしさを、もっとPRできそうですね!

 



神野美伽さん:18歳でデビュー,40周年,都はるみさんの再来と。

神野美伽さんは、デビュー当時、都はるみさんの再来と話題になりました。

デビュー当時の美伽さん、とっても可愛いですね。

美伽さん10代の頃

美伽さんの代表曲は、20歳の時に出会った作品「男船」なのですが、よくデビュー曲と間違えられるそうです。「男船」は、3作目の歌なのであります。

その「男船」について、美伽さんは、「どれだけ歌ったか、というくらい、この40年近くの中で、多分、一番多く歌ってる歌だと思います。

大好きな歌ですし、この歌があったからこそ、今日、こうして、また徹子さんともお会いできているし、そういう歌だと思います。」と語られました。

美伽さんは、徹子さんとこの「徹子の部屋」で再会できてとっても嬉しそうでした。

本当に、たくさん、たくさん、次から次へとお話しされて、徹子さんが上手にお話しを引き出して見えました。



神野美伽さん:突然の徹子節にどう答えたの?

黒柳徹子さんは、大抵?時に?、出演者の方がドッキっとする質問などを投げかけます。

今回も、こんなふりがありました。

「神野美伽さんは、大変に若く見えますけど、もうすぐ還暦ということで、」と徹子さん、いいね~🎵徹子節ですよ~🎵 おお!そうきたか!とツボにはまりました。 (*^-^*)

美伽さんは、「そういう言われ方すると、ドキッとしますね。」と返しました。 !(^^)!

徹子さんは、続けて、「ここ数年はちょっと不調続きで、なんかすごい大きな病気が、、、ちょっと見ただけでも、大変なご病気なさったんですね。」と、次の話題に進めていきました。



神野美伽さん:ずっと元気だと思って走り続けてきた人生

神野美伽さんは、”いつも元気ですね”と言われ続けていて、美伽さん自身もそう思っていたそうです。そして美伽さんは、こう続けました。

「この40年近くの中で数えてみたら、やはり、10回近く体にメスを入れながら、乗り切ってきたんです。でも、考えてみたらおかしなことでね、昨年、一昨年かな、やっと、自分の体がどういう病気かっていうこともわかって。」と。

美伽さんがお話しされるのを聞きながら、美伽さんは、やはり、ご自身の身体のことをあまりよくわっからないままに、過ごしてみえたのだなと、理解できました。

美伽さんご自身、「考えてみたらおかしなことでね、」という言葉どおり、気づかなかった自分に対して、なぜ、もっと早く自分の身体の不調が病気の症状であったことに気づかなかったのかな、10回近くも手術することになってしまって、という思いを改めて思ったのでしょうね。

そして、番組では、美伽さんの病気についてより具体的な話に移っていきました。

まずは、美伽さんが、2020年、年前に頚椎可能性脊椎炎脊椎炎の大手術をされたことにつての話になりました。

美伽さん頸をプレートで固定

その時の写真がテレビに映されて、それを見ながら美伽さんは、

「首の前と後ろ、コルセットをしておりますけど、前と後ろを同時に切って開いて、化膿している骨をプレートで今固定をしている形ですね。」

と説明をされましたが、その写真を見てみると、コルセットをしながらも笑顔で、パソコンとかメモ用紙も映っているので、きっと、お仕事をされていたのでしょう。

スゴイですよね。(*^-^*) そして、美伽さんは、

「今、元気です。おかげさまで。本当に素晴らしい手術をしていただいて助かりました。」

と話されました。その次に、徹子さんは、美伽さんが2年前に左足の大腿骨頭が壊死して手術をしたという話題へと導きました。

美伽さんは、そのことについても、

「そう、首が終わって一年、やっとっていう時に、今度はまた足ですね。大腿骨頭、でも、置換手術って、今、本当に素晴らしくて、先生方のおかげで、今何ともなくいられます。」

と答えました。そして、さらにその次に徹子さんは、「そうですか、だけど、去年3月は腰椎椎間板ヘルニアの急性まひ、、、、」と続けていきました。

すると、それについても美伽さんは、

大腿骨頭から三か月後、やっと、リハビリも目処が立ってっていう時に、突然足がもう動かないぐらい麻痺し始めたんですね。それは、やはり脊椎、腰椎が悪かったですね。で、緊急手術だったので、この時初めて予定していたコンサートも、チケットが発売になっているものを、払い戻しさせていただいて、これがね、辛かったですね。自分のために、たくさんの方に迷惑をかけるっていうことを。今までは、なんとか乗り切ってきたんですけどですけれど。」

と話されたのです。これだけ次々と病気の治療を受けてきた神野美伽さんなのです。

美伽さんが、こうして、リハビリをして、歌手生活に復帰できたそのこと自体がおそらく奇跡的なことだと言えるかもしれません。

本当に医療スタッフのサポートってすごいですね!でも、これからは、予防が大事です。50代以降に罹りやすい病気もあるのですから。

神野美伽さんは、腰椎椎間板ヘルニアの急性麻痺の時には、病院に駆け込んで5時間後くらいにはもう全身麻酔をしていたそうです。

腰椎椎間板ヘルニアの緊急手術は令和4年3月に受け、その翌月である4月には、左足の甲の腱の断裂のため、自分の太ももの腱を切り、切ったその自分の腱を足の甲に移植する手術を受けたのです。

美伽さん車いすと愛犬

緊急手術の後に、また、そんな移植手術をすることになっていたとは驚きです。本当に大変だったんですね。 (>_<)

美伽さん足の腱OP後コルセット

「整形外科のこんなギプスがあって、これで着物を着て初めてお仕事始めたんです。」と、美伽さんは話して見えたのですが、、、。なんだか、美伽さんは、手術慣れしている?ひょっとして。

その時に装着していたギプスの写真を見ながら美伽さんは、「今いろんなものがありますね。本当にたくさんの先生方に助けていただいて、、、」と、感謝の気持ちを話されていました。

ギプスを装着してまでステージに立っていたという美伽さん。プロ根性がありますね!大変だったことについては、ようやく、今だから話せるようになったのでしょう。それに、「徹子の部屋」だからこそ、お話しなさったのかもしれませんね。



神野美伽さん:作詞家”荒木とよひさ”さんとの離婚は8年前

過去の病気の話が一段落したところで、徹子さんは、美伽さんのプライベートである、過去の離婚の話を少し挟みこみました。

こんなふうに、「神野美伽さんは、8年前に22歳年上の作詞家の荒木とよひささんと離婚なさいまして、それから頑張ってやってらっしゃったんですけど、病気がそこでね、、。次々と。」と、いう具合にです。

それについて美伽さんは、

「そうですね、もう離婚してもう8年になるのかって、今、思いますけど、その間にやはり、自分の体の不調とか、コロナのこともあって、この8年って、特に、すごくいろんな経験をしました。でも、全部悪いことばかりでは、、コロナも、自分の体調も含めて、辛かったですけど、今、終わってしまえば、悪いことだけじゃなかったな、と思います。」

と、離婚後の8年間にあったことを思い出しながら語ったのです。

人生において自分が経験すること、別れも出会いも、悲しみも喜びも、全て、そこから学んでいくことが多いですものね。この8年の間に、たくさん経験した美伽さんは、人生の次のステージに確実に進化していると感じました。

これからの歌手活動がとっても楽しみになりました。

「徹子の部屋」で語られている時の美伽さんの表情、特に瞳がとっても美しく凛としていたのです。

美伽さんが人生そのものをかみしめながら語っていること、その覚悟が、美伽さんの瞳から十分すぎるほどに伝わってきました。

私は、コロナ禍で美伽さんが発信するユーチューブ動画を何度も楽しまさせていただいていました。その動画を通して、いろいろなお話しも聴かせていただき、舞台だけでなく、ゆったりとした会話と歌もとってもいいものだなと改めて感じていたところでした。



神野美伽さん:部屋をリフォーム、自宅には岩盤浴!

コロナ禍に、美伽さんは、自分の毎日を、もっと快適に楽しくしたいと思い、思いきって自宅をリフォームしました。

「家に岩盤浴をつくるってどうよ」って、言われたそうなのですが、美伽さんは、すべて自分の身体の調子を良くするため、良い状態を保つために岩盤浴をつくることにしたそうです。

VTRで紹介されたものです!

愛犬が岩盤浴室に

美伽さんの自宅は、バスルームと岩盤浴が一体化しているだけでなく、廊下もすべて一つの部屋になっているのです。

そして、その空間全体が常にある程度の温度で保つようにしているそうで、愛犬”はなこ”と猫ちゃんが、居心地がいいことよく分かっていていて、天照石(てんしょうせき)に、ゆったりと寝っ転がっているそうです。

愛犬が岩盤浴

天照石は、パワーストーンで、目には見えないのですが多くの癒しの力をもっている鉱石だそうです。美伽さんは、この天照石を高千穂、九州の方から運んでもらったそうです。

「本当に体が温まる!」と話されていました。

この岩盤浴の場所では、テレビも見ることができ、普通に、携帯でお仕事もできるそうで、美伽さんは、歌を歌ったりもしているようですよ。

「自分の家がこんなに楽しくなるなんてっていう感じ!」だと話してみえました。

岩盤浴をつくってやっぱり良かったそうです。

身体を温めることは、心身の健康にとてもいいことですから、これからの美伽さんは、きっと、体調管理バッチリになりそうですね!

ファンにとっては、安心できそうですね。



神野美伽さん:これからの生き方は?健康のためにやっていることは?

美伽さんは、「いつも追っかけられて、いつも走り続けてきた気がするんですけど。」と、過去の自分を振り返りながら話し始めます。

「今さっき、還暦って、言われましたけれど、これから先の自分の人生を思った時に、こういうペースでなく、生きていきたいなって、やはり、自分の病気を通して、そう思うようになりました。

「歌うことは、、諦めたのではなくて、、まだ歌いたい、と思うがゆえに、そのために、今何が大事かなって、、それは、ゆっくりのんびり過ごす時間、、、。」

美伽さんは、のんびり過ごしていたら、「全くこんなに変わるのかっていうぐらいに、毎日が楽しい。」と話されていました。

「体の不安がないかと言ったら嘘ですけれど、だけど、楽しいっていうことの方が今大きいです。」

「自分がしたいと思うこと、わがままだと言われても、それをやろうって、これからはそういう生き方をしたいと思っています。」

「そのために、トレーニングは続けなければいけないことで、、リハビリから始まったものですけれども、毎日必ず自分の体のケアをすると言うことです。あとは、好きなものを食べること。」

美伽さん自宅でストレッチ

「美味しいものを食べるために、例えば、そのために、わざわざ京都に出かけたり、わざわざ、地方都市にいったり、今までそういう時間の使い方は絶対しなかったです。時間がもったいないと思って。でも今は美味しいお料理、いい時間を過ごすために、そういうことをしていますね。それは、すごく心のリハビリです。すごい投資をしていると思います。」

一病息災といいますか、多病息災という感じでしょうか。 (*^-^*)



神野美伽さん:両親は?どんな家庭だったの?小さい頃から歌好き?

美伽さんのお父さまとお母さまは、80歳を過ぎており、生まれ育った家は、ないそうで、美伽さんが、歌手としてデビューした後、21歳の時に、ご両親は離婚し、別々に暮らすようになったそうです。

美伽さんは色々と複雑な環境であったそうで、お父さまとは凄く疎遠になっていたとのこと。

しかし、年老いたことで、またいろいろ、お世話しなきゃいけなくなったそうで、それがきっかけとなり、縁が復活したようです。

「病院のことであるとか、施設にお世話になることとか、、、、。」と、お話になっていましたので。

「若き日の、本当に数枚しか私写真を持っていないんですけど、父と母の。」

美伽さん両親との写真

「今は本当におじいちゃんとおばあちゃん。」

「母は、ほぼ寝たきりに近い状態ですけれど、だけど、今日もテレビを楽しみに見てくれていると思うし、この父と母がいてくれたから、私は歌を歌って、今こういう人生を送っているんだなと。」

美伽さんお母さまと2ショット

「月日が流れて、自分の親に対する気持ちもずいぶん変わりますよね。」

「子どもの頃は、いつもラジオが流れていました。そこからいろんな歌が流れてきて、そういう家庭環境もやはり影響あると思うんですね。」

地元の盆踊り大会で、美伽さんの6歳の頃の写真が提供されていました。

美伽さん、小さくて、かわいいですね。

美伽さん6歳櫓に立つ

こういうことを始めたのが、多分、人前で歌う最初だと思うと話されました。

「生意気に大人の人が歌う隣で太鼓を叩いて、次に自分がまた大人の真似をして歌って、」と。

12歳の時には、盆踊りの櫓(やぐら)の上で、太鼓だけで歌っていました。

美伽さん12歳櫓で歌う

そのスタイルが、自分の歌のベースであると語ってみえました。

太鼓という一つの楽器だけで自由に歌を歌う、という喜びを子供の頃に知ったので、今でもそういうことがとても好きです。アカペラで歌うとか、そこが自分の原点であるということを語られました。



神野美伽さん:歌手になったきっかけは?岩崎宏美さんになりたい!

神野美伽さんは、盆踊りやぐらの上で歌いはじめて、のど自慢に出たりしていたそうなのですが、そうこうしているうちに、テレビの子どもの番組で歌を歌うことがあったそうなのです。

それをご覧になっていらした大きな東京のプロダクションの方からスカウトされたのが、10歳か、11歳ぐらいの頃だといいます。

当時11歳の時に、都はるみさんの「アンコ椿は恋の花」という歌ったそうです。

美伽さん11歳アンコ椿は恋の花

でも、その時は、歌手になりたいという思いではなく、なんとなく出演したそうで、、番組の方から「この歌を歌ってくださいね。」と言われて歌ったのだそうです。

放送後、その番組を見ていたスカウトマンの方が、美伽さんの自宅まで行かれたそうなのです。

当時、岩崎宏美さんとか西城秀樹さんが所属していた大きいプロダクションの方だそう。

たまたまテレビを本当に偶然見ていて、全部美伽さんの歌を聴いていないのに、この子だと思ってスカウトしてくださったと語られました。

美伽さんスカウトしてくれた鈴木さんと2ショット

その大きなプロダクションの鈴木さんの写真が提供されていました。

鈴木さんは、在宅酸素をされているようですので肺機能が低下している状態なのでしょうね。

美伽さんをスカウトした時は、鈴木さんは専務であったそうです。その後、社長、会長という立場でずっと美伽さんを育ててくださったそう。

今はもうリタイアされていて、時々、美伽さんは、鈴木さんのお顔を見に自宅に伺っているそうです。すると、鈴木さんはとっても喜んでくださるそうです。

美伽さんは鈴木さんのことについて、「本当に昔は怖かったですよ。ですけど、今はただただ優しい。元気で長くいていただきたいと思います。もう90超えましたから。」と。

次に、徹子さんは、岩崎宏美さんとの思い出について美伽さんに質問を投げかけます。

すると、美伽さんは、スカウトされた時のことを、さらに詳しく話はじめたのです。

当時、美伽さんも親御さんも歌手になるという意識は全くなかったので、お断りしたそうなのですが、スカウトマンの方が帰るときに帰り支度しながら、「ところでみかちゃん、誰が好きなの?好きな歌手は?」って質問してきたそうなのです。

美伽さんが、「岩崎宏美さんが大好きです。」と伝えたら、スカウトマンさんは、また、コートを置いて座って「宏美、うちだよ!」って、おっしゃったそうなのです。

そのひと言で、美伽さんは、「わたしは、岩崎宏美さんになりたい」って、初めて歌手というお仕事に憧れたと話しました。

美伽さん岩崎宏美さんと2ショット

「宏美さんがそこの事務所に行ってくださらなかったら、歌手にはなっていないと思います。なので、不思議なご縁ですね。」と続けました。

次に、徹子さんが、「デビュー前は、事務所の手伝いをなさっていたの?」と投げかけると、美伽さんは、「こんな子供なのに、」と。

美伽さん12歳西城秀樹さんと2ショット

とにかく何をしてもカッコいい秀樹さんだったそうで、宮城コンサートとかホールのコンサートの時にはお手伝いに行っていたとのこと。

「例えば、グッズを販売したり、楽屋でちょろちょろして秀樹さんにお弁当持ってったり、そういうことをして、スーパースターの大変さ言うものも目の当たりにいろんなことを見せてくださったのが秀樹さんだったと思います。」

「秀樹さんは、本当に素晴らしいヴォーカリストだったと思います。あんな声を持った方ってそういらっしゃらない。この頃、秀樹さんの一番最後のシングルになりましたけど”めぐり逢い”という歌を歌ったりしています。」

神野美伽さんは、高校の卒業を待って、上京して5日後にデビューしたのですが、いつ寝ていたんだろうと思うくらいに、カセットを持って歩いて歌って、「神野美伽です、男船応援してください!」と言って回っていたそうです。

それは、すごくいい思い出だそうですが、美伽さんは、デビュー後、すぐコンサートもできるようになり、朝から地方へ行って、コンサートをやって、それが終わるとまたいろんなお仕事をしていたそうです。

撮影の仕事も多く、水着の撮影とか、いろんなやれることをすべてやった感じだと話されました。

鈴木のお父さん(スカウトしてくれた人)が、先頭で旗を振って、ですので、その当時は、鈴木さんも寝てなかったと思いますと。今だと、労働基準法が云々って言われますけれどもと話されました。



神野美伽さんのお母様は?どんな状態なの?

美伽さんのお母様は今85歳で、ほぼ毎日、デイサービス迎えに来てもらい、連れていってもらっているそうです。

今は、車椅子に座っているのがやっとで、時々寝てるのかな、おきてるのかなって、よくわからない時がこの頃あるそうです。

美伽さんお母さまと2ショット

そんなお母さまの耳もとで美伽さんは、お祭りの時の歌やなんかを歌いだすと一緒に歌うそうです。大きなな声を出して歌うんですね。だから嬉しいそうです。

お母さまとは、一緒に暮らして喧嘩したり、いろんなことはあったそうですが、今はもう一日でも長くそばにいて欲しいと思うとお話しされていました。

現在、美伽さんのお母様は、美伽さんの自宅から歩いて1分のところに妹さんと一緒に暮らしているとのこと。妹さん2人も東京に出てきており、この年になって女きょうだいがいてくれて本当に良かったと思うと言ってみえました。

父も母も、今、私の年齢で両親がいてくれるっていうのは、大変なことも日々ありますけれど、幸せなことだと思いますと笑顔で話しされていました。



神野美伽さん:演歌でデビューした理由は?

神野美伽さんが演歌でデビューしたのは、鈴木のお父さんが初めから「演歌の歌手を作りたい」と決めていたからだそうです。

美伽さんとしては、岩崎宏美さんのようなポップスを歌うんだと思っていたとのこと。でも、演歌を歌ってきて本当によかったと思いますと話されました。

2月28日と3月1日は、神野美伽デビュー40周年リサイタル

昨年は、自分自身の病気で中止してしまったコンサート。

今年は、40周年という年に、やはりきちっと舞台に立って歌っておきたいというで、故郷の大阪である新歌舞伎座を皮切りに始まります。とにかく美伽さん自身が一番楽しみにしていると話されていました。

美伽さんは、パーソナルトレーナーの田中さんについて、トレーニングをハードにこなしてみえます。

美伽さん舞台前のトレーニング

田中さんに、コンサートの現場にもついてきてもらっているのです。

それについては、贅沢なことだなと最初思ったそうですが、それも自己投資だと考えているそうです。

一回目のステージが終わると、田中トレーナーの施術を受け、体をある程度整え、また夜のステージに入るなど、皆に助けていただきながらやっているそうです。

今ここまで来てすごく変わったのは、「やりたいことをやろう、そうでないことは置いておこうって、やっと思えるようになって、だけど、このトレーニングに関しては、やはり続けないと自分の体が動かないのでね。自分の残りの人生どれだけ歌えるかな、どこまで生きていけるかな、だったら残された時間を楽しむべきだって。」

「いうそういう生き方すごく意識しています。歌って楽しいんです。」

「今歌えるって事がこんなにありがたい。元気で歌えることが一番幸せ。」と締めくくりました。

Haruharu笑顔
Haruharu

いよいよ、神野美伽さんの40周年の舞台が始まりますね!
美伽さんのトレーニングの様子を拝見しますと、この舞台は本当に素晴らしい舞台になりそうですね!
美伽さんの今後の活躍がとても楽しみになりました。
最後までお読みいただき感謝致します。

 

 

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