坂本 龍一(さかもと りゅういち)さんは、ステージ4の直腸ガンを患い、闘病中でしたが、令和5年3月28日に亡くなられました。71歳でした。葬儀は近親者で行われたそうです。
世界中のファンが寂しく思っていることでしょう。
坂本龍一さんは、令和4年12月11日に世界に向けてピアノ・ソロの配信コンサートを行いました。
それも、事前に収録したコンサートの配信でした。
ご自身で、もう演奏する体力がなく最後のコンサートになるであろう、と言われていました。
最後の最後まで音楽活動を続けていた坂本龍一さんでしたね。
坂本龍一さんを襲ったガンは、いったいどんなガンだったのでしょうか?
そして、坂本さんは、今までどんな治療を受けてきたのか?
どんな思いで日々を送ってきたのでしょうか?
わたしは、そんなことを知りたいと思うようになりました。
それはなぜか?
それは、ガンと共に生きる人たちが本当に私の身近にも増えてきたということ、
私たち人間の寿命は、これから先も、ますます延びていくことでしょう。
寿命が延びるということは、すなわち、病気や障がいと共に生きる時間が長くなるということでもあるのです。
ですから、これからは、今まで以上に、がんと向き合いながら生きている人たとから生きることについて学ぶことが大切になってくると私は考えています。
がんを宣告され、余命を告げられた時、私たちは、その限られた人生をどう生きるのか、今できることに目を向けて生きるということはどういうことなのか?
私は、自分がそうなった時に、平常心でいることができるのか、、、そんな不安もあります。
芸能関係の方はガンだけでなく病気を自ら公表するのが普通になってきています。
私は、坂本龍一さんがガンと共に一生懸命生きてきたこと、その生き方を少しでもいいので知りたいと思うようになりました。
それは、私自身が、がんの専門病院に3年間勤務し、また、頭頚部外科(口腔のがん、頸部のがんなどの看護)、消化器内科(胃がん、大腸がんなどの早期、末期の看護)を経験していることもあります。
坂本龍一さんの12月11日の最後のライブの配信スタイルは?
坂本龍一さんが、今年の12月11日に世界同時配信するピアノソロコンサートは、日本や欧米、アジアなど約30の国や地域に配信されました。
坂本さんが自ら手がけた映画「戦場のメリークリスマス」のテーマ曲や、バンド「Y.M.O」時代の「東風」、来年1月発売のアルバム収録曲など10曲あまりを演奏。
11月12日の朝まで、計4回の配信されました。
坂本さんは、9月中旬に、「日本で一番良いスタジオ」という、NHK放送センターの509スタジオで1日に数曲ずつ収録し、全部で60分間のパフォーマンスを完成させているそうです!
日本で一番良いスタジオでの録音ということですから、聞いてみたくなりますね。
そう思っていたら、早速、YouTubeに「戦場のメリークリスマス」が公開されたことを知りました。仕事で配信を聴けなかったというファンの方達のコメントも沢山寄せられていました。
坂本龍一さん12月11日配信の動画
坂本さんは、「ライブでコンサートをやりきる体力がない。この形式での演奏を見ていただくのは、これが最後になるかもしれない」とお話しされていたのですが、やはり、一日数曲の収録でも大変だったのだと感じます。
そんな中、自分がやりきれる方法で60分間のパフォーマンスを着々と準備してきた坂本さんの音楽への情熱に感動します。
世界中のファンへの最後のプレゼントになりました。
溢れんばかりに愛溢れる演奏に涙が出てきます。
あまりにも、人生、最期の準備を着々と進めている感じがしてきて、、、。
余命宣告されたとしても寿命は神のみぞ知る。
そんな中、坂本龍一さんは、自分の今ある体力でぎりぎりできることにチャレンジされたのです。
きっと、最後の最後まで、自分の体力の範囲内でできる作曲や演奏をされていかれると思っていましたが、本当にそうなってしまいました。
ユーチューブ動画から坂本龍一さんの生き様が目に映り、私自身も時を大切に、今を大切に生きていこうと思ったのです。
この生き様に共感される方もきっと多いことでしょうね。
私も、最期の時に、好きなこと、自分が今できる限りのことをしていたいと思うから。
たとえ、ベッド上での生活になったとしても、できることはあると思うようになりました。
坂本龍一さんのプロフィール,年齢,出身,受賞作品,凄さとは?
坂本龍一さんは、東京都出身。
1952年1月17日 生まれで、71歳でした。
今の時代、71歳というと、健康であれば、これから活躍できる年齢だと思います。
そう思うと、とっても残念な思いです。
坂本さんの職業は、作曲家、編曲家、ピアニスト、俳優、音楽プロデューサーでした。
いろいろな肩書をお持ちですが、何といっても、世界的に活躍し、歴史に残る楽曲を生み出してきた日本が誇るミュージシャンでしたね。
坂本龍一さんの音楽性はとっても幅広く、その根底には、クラシック音楽があります。
そして、坂本さんは、民俗音楽、ポピュラー音楽(特にテクノポップ)にも造詣が深い方でした。
愛称は「教授」です!!!
この愛称は、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の亡き高橋幸宏さんが命名しました。
2人とも亡くなられてしまったんですね。
とっても寂しいです。
YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)全盛期を知っている方は、当時のワクワク感を思い出しますよね。
とにかくスゴイ人気でしたから。
YMO時代を知らないという方のために、当時、爆発的人気だった「ライディーン」を紹介させて頂きたいと思います。
YMO「ライディーン」 YouTube動画
これは、1980年の映像ですが、まさしく、この時代にこの音楽!
テクノポップと呼ばれていました。
それは、ただただ斬新で、とにかくスゴイと感じていました!
そして、坂本龍一さん個人の作品としては、なんといっても映画「戦場のメリークリスマス」のテーマ音楽です!(ご本人は、このことについて、複雑な気持ちをお持ちのようですが)
この時、坂本さんは、日本人初の英国アカデミー賞の作曲賞を受賞しました!
なんと、この映画に、坂本龍一さんは、俳優としても出演しています。
戦場のメリークリスマス(坂本龍一ピアノ演奏)YouTube動画
映画「ラストエンペラー」 日本人初のアカデミー賞受賞
1987年公開の『ラストエンペラー』では日本人初のアカデミー作曲賞を受賞し、同曲でゴールデングローブ賞、1989年第31回グラミー賞最優秀オリジナル映画音楽アルバム賞など世界的な音楽賞を次々と受賞したのでした!

ラストエンペラー』(The Last Emperor)は、イタリア・中華人民共和国・イギリス・フランス・アメリカ合衆国の合作による、清朝最後の皇帝で後に満州国皇帝となった愛新覚羅溥儀の生涯を描いた歴史映画です。
坂本龍一 アカデミー賞授賞式 YouTube動画
映画『シェルタリング・スカイ』のサウンドトラックにおいても受賞
その後、坂本龍一さんは、1990年、映画『シェルタリング・スカイ』のサウンドトラックを担当し、ロサンゼルス映画批評家協会賞の作曲賞、1991年にゴールデングローブ賞 作曲賞を受賞!
さらに、その後においても坂本龍一さんは、国内外の映画音楽を手掛けていき、映画音楽家としての地位を築いていくのでした。
また、坂本龍一さんは、環境や憲法に関する運動にも積極的に参加し、音楽だけでなく、多方面への興味関心も高く、バイタリティーあふれエネルギッシュな活動を続けてきました。
おそらく、若い頃は体力、知力ともに充実されていたことから、あまり自分の心身の健康に関心を持つことがなかったのでしょうね。
普通はみなそんなものだと思います。
それが若さであり人生だとも思いますね。
案外、若い頃に大病を患った人の方が、健康に気を付けているものです。
一病息災というように。
坂本龍一さんの直腸がんはステージ4,どんな状態?
坂本龍一さんは、日本の病院で、直腸がんのステージ4であると診断を受けた時に、何も治療しなければ、余命は半年、抗がん剤治療をしても5年生存率は50%であると宣告を受けています。
『ステージ4』とはいったいどんな状態を表すのでしょうか?
がんのステージとは、がんの進行の程度を表す指標として用いられています。
その中で、がんの「ステージ4」とは、一般的には「がんが他の臓器に転移している」状態を表します。
がんは、リンパ節などに転移すると、いろんな臓器に運ばれていきます。
「ステージ4」の定義について調べてみたところ、その定義は、がんの種類によって違うということがわかりました。
そして、転移についても、ある臓器の1カ所に小さな転移がある場合と、体のあちこちに10カ所以上の転移がある場合、そのどちらも「ステージ4」という分類にまとめられているというのです。
ですので、「ステージ4」といっても、がんの種類や転移の状態などによって、治療成績(予後)が変わってくる可能性があるということがわかります。
私が、がんの専門病院で看護師として勤務していたのは、昭和の終わりです。
その当時は、進行がんの予後は相当厳しいものがありました。
ですので、本人には、がんということをひた隠しにしていた時代でもあります。
患者さんから「自分はがんではないか?」と尋ねられ苦しい思いをしたことが脳裏に焼き付いています。
昭和の時代では、本人は、本当の病名(がんであること)を知らされないまま、最期の時間を病院で過ごすといった時代でした。
私たち医療スタッフも、何もできないまま、だた衰弱していく本人を見守っていくこと、それをターミナルケア(終末期の看護)と言っていいのか、そんな疑問を持ちながらの看護を続けていました。
最近では、病名告知は当たり前ですし、ステージ4のがんの治療成績も向上しているため、落胆するばかりではなくなってきているというのです。
今は、本当に、がんと共に生きる時代なのだと改めて感じています。
時代は前に前に着実に進んでいるのですね。
がんの治療分野においては、分子標的治療薬や免疫チェックポイント阻害剤といった新しい薬が次々と開発されて、再発や転移を認めるがん患者さんに使えるようになってきているとのことですから、治療の進歩はスゴイですね。
こうした抗ガン剤をはじめとする治療が功を奏すれば、がんが小さくなって、手術が可能となるケースもでてきます。
この場合は、さらに生存期間が長くなるチャンスが生まれるということです。
実際に、最新の統計データによりますと、すべて(全部位)のがんを対象とすると、「ステージ4」の患者さんの5年相対生存率は、20%を超えているということなのです。
もちろん部位によって生存率は違うということですが、ステージ4でも2割以上の人が5年も生存する可能性があるということですので、残りの人生をどう生きるのか、そんなことを考えて生きる時間を持ち終末を迎える人たちがこれからどんどん増えてくることでしょう。
そうした時に、自分と共に最期に寄り添ってくれる人、医療スタッフや家族や友人などの役割が大きくなってくるのではないかと考えられますね。
人間、そんなに強くないですから。
ひとりでは、到底乗り越えることができない心と身体の痛みが伴う病気でもあるのですから。
病院内には、がん患者さんと家族の会もあります。
そういったソーシャルサポート、ピアサポートを上手に活用して精神的な支えを見つけることがとても大事だと思います。
坂本龍一さん:62歳の時に中咽頭がんを患う
スポーツ報知の記事によりますと、坂本龍一さんは、6月上旬にのどに違和感を覚え、診察の結果、6月末にがんが判明したそうです。
その時から、坂本さんは、自らの死についても自然と考えざるを得なくなったと「ぼくはあと、何回満月を見るだろう」第1回「ガンと生きる」の中で語っておられます。
坂本龍一さん:中咽頭がんの治療をアメリカで受ける
2014年7月当初は、坂本さんのがんのステージは非公表であったのですが、おそらく初期の段階であるとみられていました。
坂本龍一さんは、がんの治療を、滞在先の米ニューヨークで受けることにしたのです。
ご本人も、公式サイトなどで下記のとおり、がんを公表しています。
「6月末のこと、わたしには中咽頭癌があることが分かり、熟慮の末、しばらく治療に専念することにいたしました。多大なご迷惑をおかけすることは深く承知していますが、自分の身体あっての仕事ですから、このような苦渋の選択をせざるをえませんでした。」
「必ずきちんと治して戻ってまいります。」
坂本龍一さんが受けた中咽頭がんの治療方法とは?
中咽頭がんの治療は、一般的である放射線治療をはじめ、抗がん剤投与や手術などがありますが、坂本さんは、担当の医師と相談しているということでした。
そうなんですよね。
治療方法を選択するのは、自分自身なんですよね。
医師は、あくまで、各治療のメリット、デメリット、リスクなどを本人に説明するのですが、治療方法を決めるのは本人なんです。
これは、本当に迷います!
それも、医療従事者ではない、一般の人が説明を聞いて、どう判断するのか、、、。
説明の仕方によって、誘導されてしまうこともあるかもしれませんね。
坂本龍一さんは、放射線治療を選択しました。
放射線治療とは、放射線をあててがん細胞を破壊し、がんを消滅させたり小さくしたりする治療です。
中咽頭がんでは、体の表面から放射線をあてる外部照射が6〜7週間で30〜35回くらい行われます。
坂本龍一さんの場合は、本人により、6年間経過を見て寛解したと公表しています。
がんの治療は寛解後も数カ月おきに検査をして、再発の有無をチェックするのが一般的ですが、やはり、5年以上経過観察をした上で寛解したとようやく公表できるのでしょうね。
坂本さんの場合、定期的な検査を受けていたのではないかと思われるのですが、しかし、そうであるならば、なぜ直腸がんがもっと早く見つからなかったのかと疑問が残ります。
中咽頭がんの要因は?
咽頭がんになる要因としては、喫煙が挙げられ、坂本さんも長らくスモーカーだったそうです。
坂本さんは、約9年前、胸の痛みを感じることが多くなったのを機に、はり治療による禁煙に挑戦し成功したそうで、その後は、まったくたばこは吸わず生活できていたのだそうです。
針治療での禁煙方法とは、初めて聞きましたので、そのエビデンスについて調べてみたところ、統計的には、効果があるとは言えないというものでした。
とはいえ、どんな方法であれ、坂本さん自身が、ハリ治療により禁煙できたというのですから、それはとても良かったと言えると思います。
そして、坂本さんは、腰を痛めてから、ストレッチを欠かさず、「ストレスがたまるから」という理由で、ニュース番組もあまり見ない生活をしており、心身の健康には人一倍、気を使っていたといいます。
坂本龍一さん:69歳の時に直腸がんを患う
坂本龍一さんは、2021年1月21日に公式サイトにて直腸がんを患っていることを公表しています。
坂本龍一さん:公式サイトで直腸がんを公表
みなさまへ
2014年に罹患(りかん)した中咽頭がんは6年を経て寛解し安堵(あんど)していましたが、残念ながら、新たに直腸がんがみつかりました。
大いに落胆しましたが、すばらしい先生方との出会いもあり、無事手術を終えて現在は治療に励んでいます。
未曾有のパンデミック下で医療機関、医療従事者、関係者のみなさまのご苦労が多いなか、真摯(しんし)に患者と向き合う姿勢にはただただ頭が下がるばかりです。心より感謝を申しあげます。
このような事情のうえコロナ禍もあり、長距離の移動がともなう仕事は困難になりますが、治療を受けながら出来る範囲で仕事を続けていくつもりです。
とはいえ、場合によってはキャンセルさえていただく必要があるかもしれません。
現在抱えている仕事、プロジェクトに関わるみなさまには多大なご迷惑をお掛けすることを深謝いたします。
これからは「がんと生きる」ことになります。
もう少しだけ音楽を作りたいと思っていますので、みなさまに見守っていただけたら幸です。
2021年1月21日
坂本龍一
坂本龍一さんの直腸がんについての見解は?
坂本龍一さんは、2014年に中咽頭がんで闘病しており、坂本さんにとって、直腸がんは、2度目のがん罹患(りかん)となります。
肛門からすぐの部位にある直腸にできる癌を直腸癌といいます。
直腸がんは、大腸癌の多くの割合を占めています。
進行してくると下血、便が細くなり、排便困難などの症状が出てきます。
がんが肛門に近すぎる場合は、人工肛門を作らざるを得ないこともあります。
しかし、最近は、手術技能の発達で、一昔前なら人工肛門が必要な状況でも肛門を温存できる場合があります。
大腸癌は、周囲のリンパ節、臓器に直接浸潤するだけではなく、肝臓に転移しやすい傾向があります。
現在は、さまざまな優れた抗がん剤が出現していて、肝臓全体に癌が転移していても、抗がん剤だけで完全に消失するケースもあるということです。
今は、がんの治療が目覚ましく進化してきており、治療を受けてみないと治療効果がどれぐらいかも判断できないと思いますし、本当に、がんと上手く付き合いながら生きていくことができればいいのにと願ってやみません。
文芸誌「新潮」:新連載「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」
坂本龍一さんは、文芸誌「新潮」にて、2022年7月から連載が始まりました。
坂本さんが最高に信頼している鈴木正文さんが聴き手となり、それを編集したものとなっています。
第1回 「ガンと生きる」
その中で、昨年1月、直腸がんとその転移巣の手術を受けたことを公表していました。
その連載によりますと、2020年6月に米NYで直腸がんと診断を受け、放射線療法と並行して懇願材の服用したとのことです。
坂本龍一さん:日本の病院で余命宣告を受けた
しかし、がんは消えることなく、日本での仕事で帰国した際に、物忘れが多さに悩んでいたこともあり、ついでに人間ドックを受けたそうですが、脳は正常であったのに、直腸がんは肝臓やリンパ節に転移していたといいます。
そして、この時に、何もしなければ余命半年であること、すでに放射線治療で細胞がダメージを受けているので、同じ治療はできないこと、加えて、強い抗がん剤を使用しても、5年の生存率は50%であると言われたそうです。
その時の、医師の言い方が、悲観的な言い方で断定的であったことから、坂本さんは頭にきてしまい、別の病院で治療を受けることにしたのです。
坂本さんは、その時、ニューヨークの病院で放射線療法を終えて3カ月経過していました。
坂本さんは、ニューヨークの病院で治療を受ける際に、がん転移の事実が自分に告げられなかったことに対して不信感が芽生えてきたそうです。
「見落としていたのか、何らかの理由で黙っていたのか」と。
坂本さんは、この病院を大変信頼していたこともあり、ショックがかなり大きかったと思います。
現在の直腸がんの治療方法は?
現在の医療では、直腸がん(大腸がん)はステージ4で転移があっても、転移巣の数が少なければ積極的に切除するといいます。
その時に、転移がなければ当然手術となるわけです。
結局、坂本さんは、21年1月に直腸の原発巣と、肝臓とリンパ節の転移巣を切除することになりました。
さらに両肺の転移巣などを含め、6回の手術を受けたといいます。
これだけの治療を受けるには、相当の気力と体力が必要になってくると思います。
坂本龍一さん:最高の聴き手である鈴木正文さんに救われている
坂本龍一さんは、鈴木さんを相手に話をしていると楽しくて、病気のことなど忘れ、あっという間に時間が経ってしまうと語っています。
「皆さんにも、ぼくたちのささやかな対話に耳を傾けていただけたら嬉しいです。」と綴っておられます。
良い聴き手に巡り合えたことは本当に幸せなことです。
この連載を読むことで、坂本龍一さんの心境の変化などを知ることができると思いましたので、私も早速、読んでいるところです。
坂本龍一さんが尊敬する音楽家たちは亡くなる直前まで曲を書き続けていた
坂本龍一さんは、残りの人生で『戦場のメリークリスマス』を超える曲を作りたいと少し前にインタビューで答えたそうなのですが、今は、それを終生の目標にしたくはないと思っているとのことです。淡々と、自分の作りたい音楽を作り続ければそれで十分ではないか。
最後の1曲が必ずしも良いものになるとは限らないけれど、、という思いに落ち着いてきたようですね。
坂本さんは、曲ができるまでのひらめきは一瞬なのだそうで、『戦メリ』は、わずか30秒ほどだったと語っています。
ピアノの前に座って間を瞑って、次に目を開けた瞬間に五線譜に和音付きで見えてきたというのですから、、、スゴイですね。
ですので、坂本さんは、仮に1分でも、2分でも命が延びれば、それだけ新たな曲が生まれる可能性も増すんじゃないかなと考えているのです。
バッハが死の直前に取り組んでいたとされる『フーガの技法』の最後のフーガは、フレーズの途中でプツッと切れるように終わってしまっているそうです。
それは、バッハは、死の3か月前に目がみえなくなり、失明したからなのだそうです。
失明するまで、曲を書いていたのですね。
きっと、先人たちの生き様を思いつつ、自分の生き方を模索しているように感じました。

坂本龍一さんのこの連載はかなり内容の濃いものとなっております。
感動したことが他にもたくさんあります。
後日、記述していきたいと思っています。
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