坂本龍一さんは、ご自身の著書である『音楽は自由にする』の中で、矢野顕子(やのあきこ)さんとの出会い、結婚に至るまでの思いなどを語ってみえます。結婚においても、哲学的な感じがする坂本龍一さん。その時々で困難な方を選択していった人生だったと話す坂本龍一さん。そんなことを記事にしたためました。
坂本龍一さんと矢野顕子さんの出会いと結婚
坂本龍一さんの著書である『音楽は自由にする』を読んでみると、坂本さんは、音楽、恋愛に限らず、世界中で起きていることに、興味関心の赴くまま、突き進んでいったのだということを強く強く感じたわたしです。
その時々の自分に正直に生きているという、そんな生き様を坂本龍一さんに強く感じましたよ。
そんな坂本さんと矢野顕子さんとの出会いは、YMO時代。
矢野顕子さんが、YMOのステージに参加したことがきっかけです。
矢野顕子さんの楽曲は、当時からアメリカで大変人気があったそうです。
坂本さんは、矢野顕子さんの才能に一目置いていました。
坂本龍一さんと矢野顕子さんが結婚したのは、1882年の2月、それは、YMOの解散の少し前、YMOとしての活動を休止したところです。
長女美雨(みう)さんの誕生は入籍前だった
実のところ、坂本龍一さんは、結婚する何年か前から矢野顕子さんと一緒に暮らしていました。
そして、結婚前の1880年に長女の美優さんが生まれていました。
美雨さんは、2人が正式に結婚する前に生まれていたんですね。
お二人ともに再婚ですので、この結婚は、2人にとっては覚悟してのことだったのでしょう。
以下は、坂本龍一さんご本人の著書からそのままを掲載していきたいと思います。その方が、ご本人の思いがわかると思いましたので。
僕は学生時代に一度結婚していたし、矢野さんも2度目の結婚だった。
矢野誠さんと言うすごく才能のあるミュージシャンと結婚していたんです。
矢野誠さんのことは僕もとても尊敬していました。
とにかくすごくユニークなかなり変わった人でした。
人から変わっていると言われる僕が言うぐらいですから、その程度はわかっていただけるのではないでしょうか。
僕はどうもそういう人と暮している矢野顕子さんを、自分の力で何とかしたい、と思ったのでしょうか。
救う、というようなことではなかったとしても、矢野顕子という天才が、ぼくなんか手が届かないような特別な才能が、このままではダメになってしまうのではないか、それを僕がなんとかできるのではないか、と考えたというのか。本当におこがましいんですが、そういう男気みたいなものがあったと思います。
これはとにかく、男としても、人間としても、音楽家としても、守らなきゃいけない、本気でそんな風に思っていました。
巨大な才能、自分を超えた力を持ったものに自分を投げ込むようなところがあったと思います。
自分が彼女に対して何ができることがあるし、それによって自分も引っ張り上げられる。
それは決して簡単な選択ではありませんでした。
でも、僕には何か大切な大変なものを飛び越えることで、違うレベルに行くことができると信じているところがあるんだと思います。
大事な時には大体自分にとって難しい方を選んできたような気がします。
《坂本龍一著『音楽は自由にする』より一部引用》
坂本龍一さんは、その当時、矢野さんを「守らなきゃいけない」という使命感みたいな思いが相当強かったんですね。
それだけ、矢野顕子さんが才能あふれる素晴らしい人だったんということもあるのでしょうが。
著書を通して私たちは、ご本人の思いやその歩みを知ることができます。その文面から、また、色々と思いを巡らせながら人生について考えることができるので充実した気持ちになるものです。
自分のこれからの人生にも役立つことが多いように感じるものです。
坂本龍一さんは、決して簡単ではない決断をしつつ、人生を歩んでいったのですが、それは、わたしたちも、多かれ少なかれ、同じような気持ちで人生の選択を重ねてきているでしょうから、事象は違えども、共感するところもあると思います。
綴られていることに対して面白いなって思ったり、ちょっと違うなって感じたり、ただただ感心したり、そう思いながら読み進めていると心が豊かにになっていくのを感じます。
なかなか、こうやって自分のことを書くって勇気がいることでしょうから、すごいなって素直に尊敬の念を抱いているわたしです。
坂本さんのスゴイところは、学生時代の結婚と離婚などについても、当時の気持ちを思い出して正直に執筆されているところだと思います。
そういったところから、人としての魅力を感じることができますし、坂本龍一さんが創る音楽にも反映されているんだろうとも感じます。
矢野顕子(あきこ)さんはどんな人?天才的なシンガーソングライター
矢野顕子(やのあきこ、1955年2月13日 – )さんは、日本のシンガーソングライター。アメリカ合衆国ニューヨーク州在住。
矢野顕子さんは、デビュー当時にミュージシャンの矢野誠さんと既に結婚していて、男児を出産。長男は、客室乗務員になっています。
矢野さんと離婚してからも、そのまま「矢野顕子」として芸名を使用し芸能活動をされています。
そして、坂本龍一さんとの間に生まれた坂本美雨(みう)さんですね。
美雨さんは、歌手としてラジオのパーソナリティとしても活躍されていますね。
癒し系の歌声で切ない感じがします。
矢野顕子さんは昭和56年に「春先小紅」が大ヒット
「春咲小紅」(はるさきこべに)は、矢野顕子さんの5枚目のシングルで、1981年(昭和56年)2月1日発売されました。作詞は、コピーライターの糸井重里さん、作曲は、矢野顕子さん、そして編曲は、ymoymoです。
※編曲のymoymo(イモイモ)はイエロー・マジック・オーケストラのツアー時のメンバー6人(細野晴臣・坂本龍一・高橋ユキヒロ・松武秀樹・大村憲司・矢野顕子)によるこの時だけの表記です。
カネボウ化粧品の1981年春のキャンペーンのCMソングに起用されたため、殆どの日本人がこの曲をテレビを通して知ることになりました。
矢野顕子「春咲小紅」ユーチューブ
おそらく、耳にしたことがない人がいないくらいだったのではないでしょうか。
それは、矢野顕子さんの楽曲は、今までに耳にしたことがない不思議な感じの音楽でしたから。
おまけに、超独特の歌声と歌い方でしたので、とってもインパクトが強かったのです。
矢野顕子さん「春咲小紅」弾き語り動画
矢野顕子さんの弾き語りは本当に弾きこまれます。
本当に語っているからでしょうね。
その声は、昔と全く変わっていないから驚きです。
表現力は、ますます磨きがかかっていますけど。
坂本龍一さんの結婚生活についてのまとめ
坂本龍一さんと矢野顕子さん、2人の結婚生活は短かったのかもしれません。
しかし、人は変わっていくものでしょうから、偽りの人生を送るよりも、正直に進んでいくことを選択していったということなのでしょうね。
生まれてきた子どもにとっては、淋しい思いも当然あったと想像できますし、美雨さんも、幼い頃に淋しい思いをしていたことを綴られていたように記憶しています。
しかし、人には、それぞれ、いろいろな事情や考え方があって、その中で、何を大事に選択して生きていくのかがいかに大事になってきます。
この年齢になり、そういった人生の選択について、その重要性をヒシヒシと感じることが多くなってきています。
坂本龍一さんも、余命宣告されながらも、日々懸命に生きて音楽を作り続けてきました。
そんな姿を見て、娘の美雨さんも、幼い頃には、理解できなかったお父様のことをきっと愛おしく感じているのではないかなと。
人生は、切ないことが沢山あるから、喜びが輝くのでしょう!
最後までお読みいただき感謝です!
そして、坂本龍一さんのご冥福をお祈りします。
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