この記事では、工藤静香さんのプロフィール、特に、令和4年9月のNHKソングスで工藤さん自身が語られたことなどや、工藤さんの軌跡&秘話を知ることができます。工藤静香さんも、デビュー当時は売れない時がありました!アイドルプロデューサー秋元康さんがデビュー当時の工藤さんにどんな印象を持っていたのかも知ることができますよ!
- 工藤静香さんのプロフィール,Wiki!家族など
- 工藤静香さんの若い頃:14歳(中学2年生)でデビュー!秘蔵映像公開された!
- 工藤静香さん:第3回ミスセブンティーンコンテスト(1984年)特別賞!
- 工藤静香さんの売れない時代はどうだったの?どうして売れなかったの?
- 工藤静香さん:1986年(16歳、高校1年生)に爆発的人気だった”おニャン子クラブ”へ加入
- 工藤静香さん:1987年(17歳、高校2年生)おニャン子クラブ解散と同時に”禁断のテレパシー″でソロデビュー!
- 工藤静香さんの若い頃の信念とは?自分らしさを追求!メイクも!
- 工藤静香さんは23歳で大きな決断!94年に発表した「ブルーローズ」
- 工藤静香さんの現在は?NHKソングスで魅力ばっちり!年を重ね断然魅力的に!
- 工藤静香さんと初対面の大泉洋さんはかなりの緊張!大丈夫か?
- この記事のまとめ
工藤静香さんのプロフィール,Wiki!家族など
工藤静香さんの生年月日は、1970年4月14日、令和4年で52歳となりました。 (#^^#)
東京都出身。
本名は木村 静香(きむら しずか)。ご主人は、俳優・歌手・タレントの木村拓哉さん。
長女はフルート奏者・モデルのCocomi ここみさん。
次女は作曲家・モデルのKōki さん。
工藤静香さんの職業は、歌手・女優・タレント・宝飾デザイナー・画家。二科会絵画部会友。愛絵理(あえり)のペンネームで楽曲の作詞も行っています。
音楽だけでなく美術にも才能を発揮されている工藤さん。
工藤さんは、好きなことがあるとのめり込んでしまう性格で、やりたいことがはっきりと見えるそうなので、着実に行動にうつしていった結果、こうなったのでしょうね!
2人の娘さんも色々な才能を持っているようです!
工藤静香さんは、芸術性の高い独自の世界を創り上げているアーティスト!
工藤静香さんは52歳!現在も進化中!
工藤さんのスゴイところは、52歳になった現在も進化し続けていること。
工藤さんは、80年代アイドルの代表的存在で異色な魅力の持ち主でした!
かわいい系アイドルから個性派アーティストへと生まれ変わっていくその魅力は留まることを知らず、今や、10代のファンも多いというミラクルな現実!
アンチも多く今までに何度かフェイクニュース(娘さんがダウン症とか)に見舞われてきた工藤静香さん。
しかし、工藤さんは自分が好きなことに熱中して、今の幸せを築き上げてきているので、周囲の雑音には惑わされないことでしょう!
芸能人はプライバシーがないも同然ですので、特別にメンタルの強さが必要な職業でもあると思います。静香さんは、更年期でもあるのですが、大丈夫なのかな~。
工藤静香さんの若い頃:14歳(中学2年生)でデビュー!秘蔵映像公開された!
令和4年の今年、プロデビュー35周年を迎えた工藤静香さん。
工藤静香さんは、1970年生まれ、東京で育ち、幼い頃から歌が大好きでした。これから、工藤静香さんの軌跡をたどっていきたいと思います!
最後までお付き合いいただければ大変うれしいです。🎵
工藤静香さん:第3回ミスセブンティーンコンテスト(1984年)特別賞!
この番組内で、工藤静香さんが14歳(中学2年生)の時にオーディションを受けた番組のお宝映像が流れました。
第3回ミスセブンティーンコンテストに出演した工藤静香さんは、「セーラー服と機関銃」を歌っていましたよ。
「セーラー服と機関銃」といえば、薬師丸ひろ子さんの代表曲!
当時、人気絶頂の薬師丸ひろ子さん、きっと、工藤さんも憧れていたのでしょうね。
私は、その歌のシーンを初めて観ましたが、工藤さんの14歳の眼差しは真っすぐでした!
そう!「セーラー服と機関銃」の世界観を見事に工藤さんは14歳ながら表現しているようでした。(少ししか放映されませんでしたが、その少しでも感じることができましたよ。)
静香さんは、「すごい。こんなビデオもあるんですか?すっごいビックリしちゃったー!」って本当に驚いていましたよ。
「四番!工藤静香ちゃん、おめでとうございますございます。」という審査発表のシーンもあって、「私?」っていうような驚きの表情と涙!
審査発表のシーンって、何といっても、シンデレラストーリーって感じです。 (^^♪
このミスセブンティーンコンテストには、18万人が応募したそうですが、そのコンテストで工藤静香さんは、特別賞を受賞したのです!
18万人が応募っていうのもスゴイと思います。🎵
当時の盛り上がりが想像できますでしょ? 🎵
実にテレビに出ること自体が夢の時代だったんですよ。
昭和は、歌番組全盛時代だったから。 (*^-^*)
工藤静香さんは、こうしてデビューのチャンスをつかんだのですが、こういったオーディションは昭和時代に他にも色々とあって、とてもワクワク感が大きい番組の代表的なものでした。
「誰が選ばれるんだろう???」って、若い女の子たちの憧れの的になっていたと思います!
確実にお茶の間の話題になっていましたね~。
昭和のお茶の間で大方の日本人が固唾をのんで見守っていた、、という感じです。 (*^-^*)
今の若者から見ると不思議なことかもしれませんが、みんな結構同じ番組を観ていて、その話題で盛り上がってましたね~。
この映像は、レトロな雰囲気を醸し出していて、なんだか歴史を感じましたよ~。
工藤静香さんの売れない時代はどうだったの?どうして売れなかったの?
工藤静香さんは、1985年(15歳、中学3年生)に3人組アイドルとしてデビューしました。
コンテストで特別賞を受賞してから、3人組アイドル”セブンティーン・クラブ”としてデビューしたのですが、全く売れず、一年もたたずに解散してしまいます。
工藤さんは、この時のことをNHKsongsの中で話されました。
「デパートの地下とかデパートの屋上とか、それこそなんかステージがなくて、ビールケースをひっくり返して板をのっけてる上に乗っかって、すごくこうガタガタして。もの凄い突風で誰も聞いてないような時に歌ってたりしてたんで、、、」って、昔を懐かしむような感じでした。
大泉さんの方が、そのことに対してかなり驚いていましたね。
わたしも、この番組の後に、YouTubeで”セブンティーン・クラブ”の歌を早速聴いてみましたが、当時のアイドルの楽曲は、歌唱力は必要ないという感じだったということを思い出しました。
歌謡界全体が、女性アイドル歌手を、おさない感じのかわいらしい女の子をいかに演出するかということに重きを置いていたような感じがします。
今となっては、それが手に取るように見えてしまうという、、、。そして、売れなかったという事実にも納得してしまいました。(すみません、、辛口で)
きっと、実力ある新人さんたちだったと思うのですが、当時は、それぞれの魅力を引き出すというよりも、ユニットのイメージ作りが先行していたんでしょうね~。
デビューさせてもらっている立場上、言えないこともあると思うのですが、こういった経験を通して、アイドルの方たちも、自分の進む道を真剣に考えていくようになるのでしょう。
さて、そんなセブンティーン・クラブは、解散となりますが、工藤さんはその後も諦めず、よく年、あるオーディションに挑みました。
それは、おニャン子クラブのオーディションでした!
工藤静香さん:1986年(16歳、高校1年生)に爆発的人気だった”おニャン子クラブ”へ加入
その当時、爆発的人気だった”おニャン子クラブ”に工藤さんは途中参加することになったのですが、徐々に人気を集めていくようになりました。
大泉洋さんは、工藤さんがおニャン子クラブに加入した時に、「新しい子きたね、工藤静香、あの子いいね。」なんて、えらそうなことを言っていたのだそうです。
当時は、視聴者が結構、そうやって上から批評していたようですが、これは、今でもあるような気がしますね。
しかし、その大泉さんの言葉に対して、工藤さんは、「初め、オーディションを受けておニャン子クラブに入った時に、とにかく誰も私を見ていないから、端っこにいるイメージばっかりしかなくて、存在感があんまりなかったイメージなんですけど、そんなふうに見てくださってるっていうのは想像もしてなかった。」と話していました。
工藤静香さんって、若い頃から冷静に自己分析をしていたのですね。
するとすかさず大泉さんは、「いやいやいやいや、もうそのショートの感じがなんかすごく覚えてるんですよね。」と返したのですが、
工藤さんは、「えっとね、髪の毛を切らされたんですね。胸のあたりまでの長さの髪でおニャン子のオーディション受けたんですけど、おニャン子に入った時に、ちょっと大人っぽすぎるから髪を切ってくれって言われて、それで髪の毛を切りに行かされたんです。」
「おにゃん子に行った時は、何て言うのかな、全然自分が前に出ることをしなかったので、そこに存在している感じも、あんまり前に出ちゃいけないと思ってましたし、、、。」
この時の工藤静香さんは、きっとアイドルという存在に窮屈な思いでいたのかもしれないですね。
秋元泰さんが工藤静香さんの当時を思い出して語ったことは?
おニャン子クラブを手がけていた秋元康さんは、その当時から工藤さんにほかのメンバーにはない存在感を感じていました。
秋元泰さんは、「あの時のみんなのイメージっていうのは、工藤静香は余りこう群れをなさない、一人ポツンといるタイプだったよね。」
「この子は何を考えてるんだろうなとか、この子にはどんなドラマなんだろうなって言う、わかる人だけわかってくれればいいっていうのもさ、その腹をくくっているのはなかなかいないからね。」と工藤さんに話します。
そのことばを静かに聴き、うなづいている工藤さん。
テレビの中では、そのことについての言葉はありませんでした。
当時の自分について思い出しながら聴いていたのでしょうね。
工藤さんは、一人ポツンといることで、自分を見つめることができたのかもしれないですよね。
私は、工藤静香さんは、若い時から無理して他人に合わせるということはせず、自分自身がこの道でどう歩んでいけばいいのか真剣に自問自答していたのかなと感じます。
その頃から与えられたものをやっていくだけでは、満足できない自分に気づいていたのかもしれないですね。
工藤静香さん:1987年(17歳、高校2年生)おニャン子クラブ解散と同時に”禁断のテレパシー″でソロデビュー!
工藤さんは、それまでのアイドル路線とは一線を画したクールな楽曲でチャート1位に駆け上がります!
アイドルからアーティストへ歩み始めた工藤さん!
この時の方向転換が良かったんですね。
ようやく、工藤静香さんの良さが全面に出てきた感じがしましたね。
歌謡界は、工藤静香さんの時代に突入しました!
工藤静香さん:ソロデビュー当時の迷いとは?
しかし、当時まだ、高校生だった工藤さんは歌手としての道を進むことに迷いがありました。
番組内で工藤さんは、「このままここの世界に入れるのか言っていいのかどうなのか、ちょっとわかんなかった。自分が歌が上手いのか下手なのか分かんなくて、歌えてはいるけど、なんか自信がなかったって言うか、まだ。」と語りました。
工藤静香さんと「禁断のテレパシー」との出会いとは?
ソロデビュー曲の「禁断のテレパシー」は、工藤さんにとって今まで歌ってきた、アイドルの時の歌とは違ったのでしょうか?
そんな大泉さんの質問に対して、工藤さんは、「全然違いました、なんて言うのかな、ソロデビューをするとかいう、いろんな不安を全部うち消してくれたのが、あのかっこいい楽曲でした。だからこれをすごく歌いたいと思ったし、なんかこの曲に何て言うのかな、興奮したというか、これ、歌えるんだ! っていう 、曲に気持ちを持って行かれたのが、”禁断のテレパシー”」
「おんゃん子クラブの時に、カタツムリサンバとか、ソロをもらった曲もありましたけどね。おにゃんこクラブでは、なんかあんまり心が持っていかれたことがなかった。つの出せサンバっていうのは、可愛かったんですけど。」と、当時の心境を語りました。
今だから言えることってありますね。 (#^^#)
工藤さん、本当に、カッコいい歌が歌いたかったですね!!!
グループでいた時は、本領発揮していませんでしたからね~。
歌っている表情などを見るとよくわかります。
歌っている姿がとってもいきいきしていましたから!
三枚目のシングル「抱いてくれたらいいのに」が17歳だった工藤さんの歌手人生を決定づけた!
番組の中で、「抱いてくれたらいいのに」を全員がライブで熱唱するシーンが放映されました。
工藤さんは、この曲を聴いた瞬間に、「何が何でも歌おう!どうしても欲しいと思った。」
「私は歌手で生きて行きたいと、しっかり思ったところ。」
「歌手で生きて、そのまま行こうと思ったのがこの歌。」
「この歌を聴いた時に、まあしびれまして。なんてかっこいい歌なんだろう。この当時の歌番組とかを見ると、なんて言うのかな、”この曲を伝えたい”とか思うと、こう気持ちが焦ってちょっと走るんでしょうね。それを肩でリズムをとって、一生懸命こう押さえている感じが見えて。当時の私にとってはやっぱり背伸びした曲だっていうのもありましたよね。」と振り返っていましたよ。
大泉さんが、「その中でこの歌は走っちゃいけないだとかっていうのもご自身で気づいていくわけですか?」と質問を投げかけると、
工藤さんは、「そうですね。もう手探りで。とにかく一発で、あの大人たちに歌えるねって言わせなきゃいけないっていう、なんか、その時が一番、おニャン子の中からも含めて一番緊張したというか、なんか決めたいって思ったと言うか。」と語りました。
この時が、まさに勝負の時だったんでしょうね。
本当に、工藤さんの歌はいつも真剣で勢いがありましたから、そういったところが魅力的で、その歌に引き込まれていく人が多かったのだと思います。
工藤静香さん:歌手として生きる決意をした後はチャート1位の連続!
工藤さんは、中島みゆき作曲の「FUーJIーTU」、さらに、「MUGO・ん・色っぽい」で立て続けにチャート一位を獲得していったのです。
スゴイ勢いでしたよ~!!!
工藤静香さんは1988年(18歳、高校3年生)に紅白に初出場!
確かな歌唱力と独特の存在感を武器に、工藤さんはトップ歌手へと駆け上がって行きます。
この時、テレビでインタビューを受けていましたが、話し方は、まだまだ幼い感じがしていました。 (#^^#)
今でいうところの、ステージで見せる顔と、ステージ以外でのギャップ萌えが工藤さんにはあったのだと思いますよ。
工藤静香さんの若い頃の信念とは?自分らしさを追求!メイクも!
紅白出場後も工藤さんは次々とヒット曲を飛ばしていきます。
スゴイですよ。留まるところを知りません!
そんな工藤さんのもう一つの魅力が自然体で飾らないキャラクター。
工藤さんが、テレビに向かって、「今日は風邪気味。昨日は倒れたわ。貧血。」という場面が放映されたのですが、本当に、飾り気のない言い方で、変顔も平気という感じでしたね~。
工藤さんは、素の自分を見せることで人気が出てきたんですよ~。
こういうキャラは女子にも受け入れられますからね。 (#^^#)
人気絶頂の裏には工藤静香として揺るがない信念があったのですが、それは、自分らしく生きる、メイクやファッションで自分らしさを表現すること!
当時、珍しい紫の口紅が話題にもなりました!
なんだか顔色が悪くて虚弱体質ぽい感じもしていたのですが、、、。
ちょっとけだるさがある、そう、アンニュイな感じかな。
工藤さんは、絵画も得意とするので、そういった芸術的なセンスがあったのだと思います。
工藤静香さんは23歳で大きな決断!94年に発表した「ブルーローズ」
工藤静香さんは、23歳の時に、音楽活動を共にしてきたプロデューサーの元を離れる決断をしました。
工藤さんは、作詞作曲、衣装やメイクまで、すべて自分がプロデュースすることで、自分らしく生きてゆくことを選んだのです。
大泉さんが、「ソロになっても売れに売れた時のヘアスタイルやファッション、自分でやってたんですか? 本当に銀行の受付の人達、みんな同じヘアスタイルをしていてね、、あとはこう眉毛がね、斜めになる。」と言うと、
工藤さんは、「眉毛の太さが違うのにビックリしちゃうとか、なんか?自分で剃ったり描いたりしてたもんですから。」と答えました。
続けて工藤さんは、「セルフプロデュースで”ブルーローズ”を発表したのが23歳って、もうちょっと遅いと思っていました。その年齢だったからエイってできたんだと思うんですけど。このダンスビートのこういうのがやりたいっていうのが頭の中にあって、何がなんでもこれをやりたいっていうビジョンがはっきり見えていたので、それで多分やろうと思ったんだと思います。 その時に、そこへ行くべきだと思ったんでしょうね。」
「そこでセルフプロデュースをやったのが成功なのかどうなのかっていうのは、ちょっとわからないんです。自分では、やるべきだったとは思っています。やっぱり、そういう前に進まなきゃっていう時はあるんでしょうね。転機というかね。」
・・・と当時を振り返っていました。
工藤さんのように自分のやりたいことが具体的に見えた時が、行動に移す時なのでしょうね。こういった行動力があり、今につながっているのでしょうね。
工藤静香さんの現在は?NHKソングスで魅力ばっちり!年を重ね断然魅力的に!
ここ最近は特に、何かと工藤静香さんやここみさんの話題がつきませんね。この番組を見られた方は、工藤静香さんの生き方に魅力を感じたんではないかなと想像しています。
工藤静香さんが出演されたNHKソングスは、ネットニュースなどでも話題になっていますが、9月22日(木)に放送され、29日(木)22時まで見逃し配信されていました。
私は、見逃し配信も見逃してしまった方が、この記事を読んで何となくその時の雰囲気を味わえるといいなと思っています!
工藤静香さんの全体的な雰囲気は、もちろん話方も含めてですが、円熟して格段に魅力的になられたなと感じましたよ。
若い頃は、その若さそのものが魅力となるのでしょうが、ある程度、年を重ねていくと、その生き様が表情に出てくるものですよね。
この番組の中での工藤さんの話し方は、とっても柔らかでチャーミングであるけれども、語っている内容は、芯が通っていました。
工藤さんは、常に、考えながら、思い出しながら語る感じで、そのテンポ感も心地いいのですよ。司会の大泉さんと一緒にくつろぎながら話している感じです。
対談を聴いて知ったことなのですが、工藤さんは、若い時から、その時々の自分に真剣に向き合ってきて前に前に進んできたんだなって、そういった生き方に魅了された人が多かったんではないかな。
工藤さんの人生は、しなやかな感じで、常に真剣勝負しているよう。
大人のかわいらしさもあって、肩の力がいい具合に抜けて自然体だったのがとても印象的で、カッコいいなって思いました!!!
【#工藤静香 いかがでしたか?】
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フルート奏者 #Cocomi とのSP共演!!
心を揺さぶられた #中島みゆき の歌とは?
\▼NHKプラスで見逃し配信中!https://t.co/IFQOUx7imG
※9/29(木) 22:44まで pic.twitter.com/eEBsq1C00k— NHK SONGS (@nhk_songs) September 22, 2022
工藤静香さんと初対面の大泉洋さんはかなりの緊張!大丈夫か?
大泉洋さんは、「もしかして、声が震えてるの?」という感じで、ご本人も、「あ、、、緊張するなあ。」、、、ってワクワクとそわそわが入り混じった様子でしたが、ん、、、ひょっとして、これも大泉流の演出?って思いました。 (*^-^*)
大泉洋さんは、緊張のあまり日本語がちょっとおかしい感じになってました!笑えました!
大泉洋さんは工藤静香さんの大ファンなので、本当に、芯から緊張していたんですね~。
そして、今回の番組が、大泉さんと工藤さんとの初対面だったのですから!
工藤さんが登場すると、「あの、僕、もちろん世代ですし、もう大ファンです!と、お話をしてたせいもあるのでしょう、こういう風に初めて会う事をとてもスタッフを大事にしてくれてまして。」大泉さんは話します。
この番組のコンセプトとして、「工藤さんが登場する時に、大泉さんと初対面!」という形にしたかったようですね~。
「実は、今日のNHKに入るときに、後ろの車が私だったんですよ。」と大泉さんは工藤さんに明かしました。
スタッフが、「ごめんなさい、ちょっとごめんなさい、今ちょっと今、工藤さんも入りました!」って言い、大泉さんは、なぞに車の中で待たされたそうなのです。
大泉さんは、「スタッフから、”初めてスタジオで会って欲しいんで”ということで、工藤さんのほぼほぼ、10メーター後ろを歩いて入るという、相当気持ち悪いやつだった」と話していました。
初対面での大泉さんの緊張や動揺した様子をきっと撮影したかったんでしょうね!
10代の頃から大ファンだった大泉さんは、知られざるエピソードに思わず大興奮でした!
番組を観られた工藤静香ファンの皆様もきっとそうだったんではないかしら?
この記事のまとめ
工藤静香さんの若い頃について、デビューのきっかけ、アイドル時代からアーティストとなっていく過程を振り返りました。
その中で、工藤さんの魅力、信念、仕事への向き合い方などを知ることができました。
工藤さんは、若い頃から、自分のキャリアの磨き方をちゃんとわかっていましたね。
着実に階段を駆け上がっていったんですから。
何でも自分でやってみる!という根性があって、センスもある!
とにかくチャンスをしっかりと掴んで、そこからまた先へ先へと進んでいったのです。
今年は、工藤静香さんもデビュー35周年!これからの活躍がますます楽しみです。最後までお付き合いくださりありがとうございます。
なお、工藤静香さんんついての記事は、下記にもありますので、ご興味があれば、ご覧になってくださいね。
工藤静香さんの子育て,ここみさんとの関係性は?音楽でのぶつかりあいはある? |
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