昭和のアイドル歌手の堀ちえみさん。令和4年でデビュー40周年。ちえみさんは、舌がん、それも”ステージ4”という進行がんを乗り越え、復活のコンサートが実現したのです。
そんな堀ちえみさんの復活までのことを知りたいなと思い、ご本人の著書なども参考にしながらまとめました。
堀ちえみさん:”舌がんステージ4”完治後の復活のコンサートは6年ぶり!
舌がん完治後の堀ちえみさんの復活のコンサートは、令和5年2月15日に、東京・かつしかシンフォニーヒルズにて行われました。デビュー40周年記念コンサート『Chiemi Hori 40th+1 Anniversary Live~ちえみちゃん祭り2023~』として開催されました!
それは、6年ぶりのコンサートだったそうです。 (*^-^*)
そして、なんと、なんと、、、満員の約1300人を前にシングル全21曲を中心したステージを展開したのであります!
「ちえみ~!」という親衛隊の声援を受けて、ちえみさんは、必死に歌い続けたそうです。
21曲なんてすごいですよね~。
堀ちえみさんの親衛隊ってスゴイです!
ちえみさんの言葉が聞き取りづらいところもあったそうなのですが、ちえみさんの「一緒に歌ってください!」の呼びかけがあると、ファンの方たちが、ちえみさんと一緒に歌って、歌を補ってくれたそうなんです。今の言葉でいうと、押しの方たちですね。
親衛隊の皆さんって、素敵ですね~。
昭和のアイドル歌手のコンサートに親衛隊は欠かせない存在だったのですが、ちえみさんには、令和になっても、まだ、当時から応援してくれている方たちが沢山いそう!
ライブって、会場のお客さんと一緒に創り上げ、盛り上がっていくものだから、きっととっても素敵な時間を過ごせたんだろうな~。
ライブの前に、ちえみさんは「『生きていて良かった』とやっと思えます」と話されたそうです。
これは、本音でしょうね!
ホントに、ファンの方も、この日を待ち望んでいたことでしょうね💛
堀ちえみさんのインタビューに気高さを感じました!
私は、ちょうど、テレビのニュースで、ちえみさんへのインタビューを偶然に見たのですが、堀ちえみさんがお話しする姿に、気高さを感じ感銘を強く強~く受けてしまったのであります!
ちえみさんがお話しする姿が、なにか、観音様のようなといいますか、なぜか拝みたくなるような気持ちさえ沸き起こってきたんですよ。 (*^-^*)
そんな感情って、おかしいかもしれないですけど、、おそらく、ちえみさん自身、がんに罹ってことで悟りの境地に至った?それぐらいしんどい時期を過ごしてこられたんだなって、、思ったんです。
ちえみさんは、テレビの中で、「振り返ってみて、色濃い人生だった。いろいろな経験ができて、とても充実した一生になるんだろうな。」と、語ってみえました。
とっても素敵な言葉を、ひとつひとつゆっくりと紡いでいかれるのが素敵でした。 (*^-^*)
私は、その言葉を聴きながら、ちえみさんが、アイドルとしてデビューして、超売れっ子となり、歌やドラマに大忙しだったことを思い出していました。
それに加えて、プライベートにおいても、結婚、出産、子育て、離婚、結婚、出産、、とすっごーく濃密な日々を送ってきたんですよね。
そんな中、舌がんという病気になって、闘病生活が始まったのですから、、、。
舌がんは完治したとはいえ、後遺症とは一生付き合っていかなければならないのですから。
ちえみさんは、どんな心持ちで毎日を過ごしてみえたのでしょうか?
ちえみさんの葛藤、そして、ご家族の葛藤など、ありのままの姿に感動し、学ばせていただいている私です。
体験談から学ぶこと、それは、とっても、学ぶことが多いんです!
堀ちえみさんが歌手としての再出発を決心したきっかけは?
ちえみさんは、テレビのニュース番組の中で、「みなさんがいらっしゃったから、支えていただけたから、ここまで来られた。1人で来たわけじゃない。それがうれしいです。」と力を込めて語られていました。
本当に、ちえみさんは、ご家族、そして、熱烈なファンの方の支えが大きかったのです!
当時、高校生だった娘さんから、「ファンの方が待っているから、歌手として復帰して欲しい!」と言われたのが、歌手としての再出発をすることになったきっかけになったそうです。
娘さんの必死の思いが、形になって、娘さんも、ほんと、嬉しかったでしょうね。
お母さんに生きる希望を持って欲しいという願いが詰まった娘さんのその言葉をちえみさんが受け止め、頑張っていこう!と思えたなんて、、ホントに目頭が熱くなってしまいます。
そんな応援を沢山受けながら、ちえみさんは、日々ボイストレーニングやリハビリを続けることができたのです!
つらいことが沢山あったと思われますが、継続ってスゴイ力を発揮しますね!
2017年以来、6年ぶりのコンサートを実現するまでになってしまったのですから。
本当に、感無量で、懸命に生きる堀ちえみさんの姿に感動してしまいました。
堀ちえみさんの頑張りは、スチュワーデス物語の姿と重なるところがあるあるです!
堀ちえみさん:82年アイドル!ホリプロ出身,15歳でデビュー,7児の母
堀ちえみさんは、「第6回ホリプロタレントスカウトキャラバン」で芸能界入りしました。
そして、1982年3月に、「潮風の少女」でデビュー。
この歌、とっても好きだったな~!!!
笑顔が可愛かったな~!!
すっごーく、美人というのではなく、どこにでもいそうな女の子なんだけど、魅力的でした。
その魅力は、素直な雰囲気で、どんくさそうだけども素直に応援したいっていう気持ちになってしまうところがありましたね~。
そんな、ちえみさんでしたから、1983年にはドラマ『スチュワーデス物語』が大ヒットしたんですよ。当時、私も、テレビにくぎ付けでした。
ちえみさんは、現在は、7児の母!!!
スゴイです!
7人のお子さんがいるなんて、心強いこと、間違いなしです。
7人のお子さんの年齢は、ちえみさんががんの手術をした時の年齢になりますが、「長男28歳、二男26歳、三男25歳、長女21歳、四男19歳、五男18歳、二女16歳」、、、すごいですね~。
ちえみさんは、7児の母になってからも、テレビ出演のほかに、教育、健康にまつわるトークショー、音楽活動など幅広く活躍されていて、大したものです。
そのパワーたるや凄すぎます。
どうやって時間のやりくりをしているんだろう???と思ってしまいますね。
きっと、無理もあったことでしょう。
若さゆえ、乗り切ってこられたのかな。
堀ちえみさん:舌がんステージ4,2019年2月に舌の6割を切除,太ももの組織を残した舌に移植して再建!
パワー全開で元気印のちえみさんでしたが、2019年に、ステージ4の舌がん、右のリンパ節への移転が見つかったのです。
そして、舌の6割超とリンパ節を切除し、太腿の組織を移植して再建する大手術をされました。
このOPは、かなり長時間にわたるもので、本当に大変なOPなんです。
私は、昔、20代の頃にがんの専門病院に勤務していたので、ちえみさんと同じような手術をされた方の術前術後の看護を経験させていただきました。
私の記憶には、術直後に舌が口の中からはみ出てしまうぐらいになってしまっている、まさにその印象が強く、映像として、はっきりと残っているのです。
それだけ、インパクトが強くて、衝撃を受けました。
ちえみさんも、術後は、口の中に移植した太ももの肉がはれ上がってしまい、口いっぱいになってしまうので、自分の顔を見るだけで相当な落ち込みがあったようです。
そして、本当に、喋れるようになるんだろうか。。っていう思いも、、、。
病院のナースは、入院期間中だけしか患者さんの様子を知ることができないため、ちえみさんのようにリハビリを何年も継続することによって、どの程度回復するのかっていうことまで知らないことが多いです。
私がナースをしていた昭和の時代は、舌がんOP後の言語療法なんてなかったと思います。
術後の生活を支えてくれる医療スタッフの存在は大きいなって思います。
家族の支え、医療スタッフの支え、友人の支えなど、それぞれの役割がありますものね。
堀ちえみさんは術後3日間がどん底で死にたい気持ちにもなっていた
ちえみさんは、ご自身の著書『Stage For~舌がん「ステージ4」から希望のステージへ』(扶桑社)の中で、舌がんと診断されるまでのこと、治療、そしてリハビリのことなどを書き綴っています。
また、がん研究会有明病院 腫瘍精神科部長 清水研氏の著書『今はつらくても、きっと前を向ける』では、堀ちえみさんと清水氏の対談が掲載されており、ちえみさんの気持ちをより深く知ることができました。
やはり、術後の大変さはかなりのもので、ご本人も相当辛く、術直後は、「助けていただいてありがとうございました。」と医師や医療スタッフへの感謝の気持ちを表していたちえみさんでしたが、ICU(集中治療室)で過ごしていた3日間がどん底だったといいます。
ちえみさんは、「なぜ私は助かってしまったのだろう。」「生きていて申し訳ない。」という気持ちになってしまっていたのです。
もう少し具体的に記載していきますね。
ちえみさんは、自分の過去についての反省、がんになってしまった原因探しばかりしていたのだそうです。
若い頃に忙しくて食事もいい加減だったこと、子育てと仕事の両立がけっこう忙しくて、食事もキッチンに立って流し込むようにしていたこと。
芸能界に入らなければ、がんに罹らなかったのではないか?
ご主人と結婚しなければ、がんに罹らなかったのではないか?
・・・などど理性的ではい思いが重くのしかかってきたそうです。
それだけではなく、最初に診てもらった歯科医院でがんを発見してもらえなかった悔しさが常に心にあって、悔やんでも仕方がなないと頭ではわかっていても、何度も、そのことを考えてしまっていたのです。
この気持ちをちえみさんご本人は、「後悔と恨みの嵐。」であると表現しています。
そして、「このままこの世から消えてなくなりたいという衝動にかられた。」といいます。
これは、自殺ということでしょう。
でも、その時は、ICUにいて、まったく体を動かすことができなかったので、それもできなかった、、ということなのです。
この気持ち、本当に、皆さんにも、是非知っていてもらいたいと私は思いました。
病気をした時、人は精神的なサポートがなければ、自ら命を絶ってしまう危険性が高いのです。
ですから、ご本人の様子をよく観察して適切なサポートが欠かせないのです。
ちえみさんが、こうして復活できたのは、どんなサポートがあったのでしょうか?
堀ちえみさんの心の支えは何だったのか?
それは、ご家族全員のナイスなサポート、特にご主人ののサポート力が大きかったのです!
本当に前向き思考で素敵なご主人で、ちえみさんは、ご主人と本音で話し合うことができる関係であったということが大きいと思います。
ちえみさんとご主人は、本音で喧嘩ができたからよかったんです!
少し、ここで、ちえみさんとご主人の喧嘩の様子を紹介させてくださいね。
下記は、清水研著『今はつらくても、きっと前を向ける』から引用させていただきます!
実はこれまでに何度か「最初の歯科医師がなぜ初期の段階で見つけてくれなかったのかそれが悔しい」という話になることがあったんです。
なぜかそういう怒りって突然、降って湧いてくるんです。
もどかしくやるせない気持ちが澱(おり)のようにどこかにとどまって、何かの拍子にポンと出てくるんです。
ちょうどその時は舌の調子が悪くて、つい愚痴っぽく主人に、「あのときに見つけてくれていたら、こんなことにならなかったのにと思う」と言ったんです。
そうしたら主人が「確かにそれはそうだよな」と受け止めたうえで、「でも、いつまでもそう思っていても、そこから前へ進めなくなるんじゃない?」と言ったんです。
そんな言葉にカチンときて、「いや、そうじゃなくって、あなたは腹が立たないの?きっとあなたにとってはひとごとだからってそんなふうに冷静にいるのよ」と言い返したんです。
すると、私が舌がんの手術中、病院の廊下で待っていたとき、主人は早期発見してくれなかった歯科医師のところへ行き、「何で見つけてくれなかったんだ!」と怒鳴り込もうと思ったと話してくれたんです。
「でも、文句を言ったところで、全部録音されるだろうし、そこで僕が頭に来て何かしてしまった場合、僕ら2人が社会的地位を失うことになりかねない。そう思うことで自分を踏みとどまらせた」と。
何より本人は発見できなかったことを自覚している。
わかっているはずだからって。
主人がそこまでの怒りを持っていたことを初めて知り、私の怒りがスッとおさまったんです。
こうやって、ちえみさんはご主人に自分の気持ちを話すことができていたのです!
ご主人も、とっても悔しくて仕方がない、憤りの気持ちを抱いていたことを知ったことで、ちえみさんは自分の気持ちを片付けることができたのです。
自分の気持ちを受け止めてもらったからこそ、次の段階に進んでいけるんですよね。
人を恨み続けても何も変わらないということ。
それは、とっても悔しいことだけれども、現実を受け入れて前に進むしかないということ。
恨み続けることは、その時点に踏みとどまったままで、自分がその思いに苦しみ続けることになってしまうということ。
ちえみさんのように、パートナーと気持ちが通じ合える幸せは、何ごとにも代えがたい幸せですね。
堀ちえみさんと同年代の私にとっても、とっても心強く、励みになりました。
がんと向き合って生きているちえみさんと、ちえみさんのご家族、そして、医療スタッフ、ファンの方々、そういった人との繋がりがあって生かされているんだなって改めて感じることができました。
みんな、それぞれ、何かを抱えて頑張っているんだなって。
この2冊の本は、とっても素晴らしい本で、ぜひ読んでくださるといいなって思います。
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