この記事では、ジャズピアニスト大西順子さんがニューヨークから帰国し、ぶっちぎりに活躍していく頃のお話、そして、大西順子さんが引退宣言なく”ふと消える”ことになってしまった理由と引退宣言した時の理由などを知ることができます。大西順子さんは、過去に、2回消えたことがあるのです!
大西順子さん:1992年に日本へ帰国,その後の活躍がすごい!
まずは、大西順子さんが、ふと消えたり、引退宣言をする前の時のお話しからしていきます。
デビューして間もない乗りに乗っている大西順子さんのことを振り返っていきたいと思います。
大西順子さんの活躍は、ジャズの歴史に残り語り継がれることになると思います💛
それは、あまりにも、自分に対して厳しく、ジャズ学び続けているからです。
大西順子さん:1993年 に『WOW/ワウ』発売!
早速、大西順子さんは、初めてのアルバムを出しました!
そのファーストアルバム『WOW/ワウ』は、
ジャズ・レコードとしては異例の5万枚のセールスを記録しました🎵
ジャズアルバムで、5万枚とは、、、。
こんなことって、実際に、起こりうるんですね。(゜o゜)
常識では考えられなかったことです。
そして、翌年、1994年4月、セカンド・アルバム『クルージン』が米国ブルーノートより発売🎵
翌年にセカンドアルバムを発売できるって、けっこう早いと思います。
この頃の大西順子さんは、乗りに乗っていたのだと感じますね。
デビュー前から構想があったのかもしれません。(*^-^*)
大西順子さん:1994年5月NYの名門ジャズ・クラブでリーダー公演(1週間)果たす!(^^)!
大西順子さんは、名門ジャズ・クラブ「ビレッジ・バンガード」に日本人として初めて自己のグループを率いてライブを行いました。
なんと、リーダー公演を1週間です🎵
リーダー公演とは、自分の名前でのライブです!
これは、すごいことなのです。
大西順子さんは、ニューヨーク時代には、サイドマンとしてピアノを弾いていたのですから。
初のリーダー公演で、さぞかし、スリリングだったのではないでしょうか。
大西順子さん、カッコイイですね~🎵
とにかく、大西順子さんはチャレンジし続けて、チャンスを掴んできたのですから。
大西順子さんが出演したビレッジ・バンガードってどんなお店なの?
ビレッジ・バンガードは、
1933年の老舗のジャズ・クラブで、
本当に、本当に、すごいジャズ・クラブなのです。
それはといいますと、
ビルエバンス、ジョン・コルトレーン、ソニー・ローランズらも、
このビジレッジ・バンガードでのライブ録音をしており、
その録音は、今でも、ジャズの名盤となっているのです!
そして、なんてったって、
ここのジャズクラブは、客の半分以上がミュージシャン!
すごいですよね~。
ですから、ビレッジ・バンガードは、ミュージシャンの社交場でもあるのです!
ミュージシャン同士が会話している様子が目に浮かんできます。
そして、テーブルチャージが安くて、
ミュージシャンが一番本気を出して演奏しているジャズ・クラブなんですって!
そう聞くと、本気出してないステージもあるってことですね。
大西さんのリーダー公演中は、
客席に有名なミュージシャンがいる前での1週間の演奏だったらしく、
大西さんは、とっても怖かったそうなのです!
百戦錬磨の大西順子さんでも、怖かったなんて、相当だったんでしょう!!
そんな本気出した演奏を聴きにいってみたいですね~(*^-^*)
余談なのですが、、、、
脳科学者の茂木健一郎が大西順子さんと対談しているYouTubeがあって、
その中で、茂木健一郎さんは、「ビレッジ・バンガード」に何回か行ったことがあるのですって。
茂木さんは、
「ミュージシャンの社交場」になっているということは知らなくて行ったのだけれど、
演奏の合間に、ミュージシャンたちが、
バー・ラウンジで楽しそうにしているのを見かけ、
それがとっても印象に残っていると話していました。
この対談を聴いてから、
私も、いつか、ビレッジ・バンガードに行ってみたいって思うようになりました。🎵
それには、英会話レッスンしておかないと。。。と思ってラジオ英会話を頑張っているのだけれども、、、。(-_-メ)
大西順子さん:「ビレッジ・バンガード」での演奏 大絶賛🎵
話を本題に戻しますが、
大西順子さんが
「ビレッジ・バンガード」で演奏した時の新聞記事があるのです!!!
なんと、アメリカのニューヨークタイムズの記事(1994年5月7日付)なのです!
ピーターワトラス記者がコンサートレビューとしてが書いたものです。
「日本のジャズ業界が お金にものを言わせて 首を傾げたくなるような 日本人ジャズ・ミュージシャンを アメリカに 送り込んでくることが多いので、 この若いピアニストのことも 最初は疑っていた。 しかし、大西は本物だ。彼女はスイングしている。」
〔トップランナー4 NHK「トップランナー」制作班・編より引用〕
スゴイ、大西順子さんは、アメリカで大絶賛されていたのです。🎵
この「トップランナー4」には、
ニューヨークタイムズの記事の訳が全文掲載されていて、
それを読むと、
ジャズに精通している記者さんが、
大西さんの演奏を褒めちぎっていることがわかるのです!
ちゃんと良い音楽は良いと評価されて記事になり残っていくのですね。
その代わり、日本のジャズ業界のことが批判的に書かれてはいるのですが、、、。(^^;
とにもかくにも、
大西さんは、きっと、
このお店に日本人として出演し、どんな評価を得るのだろうということも確かめたかったのかもしれませんね。
そんな大西順子さんの意気込みを感じます。
ですから、大西さんとしては、1週間のライブが終わった時には、
ほっとしたというのが正直な感想なのではと思いました。
有名なミュージシャンの前での演奏だったのですからね。(^^;
なんだか、常に大西順子さんの人生ってスリリングなんですよね~(^^;
いつも大西順子さんの人生を辿っていくとワクワクしてくるのです。
大西順子さんのニューヨークでのスリリングな生活を、下記の記事から知ることができます🎵
↓↓↓
大江千里&大西順子(ジャズピアニスト)NHK「トップランナー」での秘話は? | アラカン女子Haruharuの音楽のんびりLOVEライフ (ongakulove.net)
大西順子さん:1995年のスイングジャーナル誌の読者投票では、4部門を受賞(^^♪
この時に、大西順子さんは、人気・実力ともにトップに上り詰めました。🎵
その後、大西順子さんは、同年、1995年に 出光音楽賞受賞!
出光賞は、1990年に「題名のない音楽会」25周年記念で創立された賞で、
若手音楽家を支援するものなのであります。
ジャズを極めたい大西さんにとって、
出光賞の賞金「300万」は、経済的にも助かったとは思うのですが、
でも海外ツアーにもお金がかかると思いますし、300万円ってすぐに底をついてしまうようにも思います。
大西順子さん:カナダのモントール・ジャズ・フェスティバルに出演し大絶賛🎵
大西順子さんは、翌年の1996年の ヨーロッパツアー中に、
カナダのモントール・ジャズ・フェスティバルに出演したのですが、
そこでも絶賛されました!
ライブ録音でのCDが発売されており聴くことができます。(*^-^*)
大西順子トリオ「モントール・ジャズ・フェスティバル」ライブ映像動画
ライブ動画っていいですね。
大西さん、かなり弾きまくっていますね。
この演奏、とっても気に入っています!
私は、大西順子さんが、
椅子の高さにこだわってピアノの打鍵の工夫をしていたことを知ってから、
つい見てしまうのですよ、椅子の高さを!
この時は、けっこう高めの椅子にして上から叩く感じで演奏しているように見えますよね。
大西順子さん;2000年(33歳)~”ふと消えた”その理由は?
2000年 3月の大阪公演を最後に、2007年まで7年間活動休止した大西順子さん!
大西さんは、燃え尽きたのでしょうか?
いえいえ、
大西順子さんは、
常に、高いものに興味がいっていたため、活動を休止したのです。
大西順子さん:活躍の裏側で何を考えていたの?
特にアメリカでは、
ふとしたことで、
すごい田舎の小さい町で、
ぽつぽつとその辺で教えているピアニストが
無茶苦茶上手いっていうことがあるそうで、
それに引き換え、
自分の名前が載り、
ある程度いいお金をもらって演奏しているという立場を考えると、
これではいけない、
もっと勉強しなければいけないといつも思ってしまうのだそう。
ジャズの歴史は短いようであるが、
その前にはクラシックとかも色々あって、
ものすごく貪欲で
ものすごいスピードで
色んな人種の人たちがよってたかって耕してきた分野なので、
その厚みや、
いいところを見だしたらきりがない。
どこかで諦めなきゃ、
自分の人生、
時間や自分のスキルも限られているから、
全てを網羅することはできないのであるが、
自分の性格上気になって仕方がない。
大西さんは、上記のように語っているのです。
大西順子さん:引退宣言した時の理由は?
引退宣言をした時は、
「私は、ジャズの研究者でいたい。」
と発言したのですが、
大西さんとしては、
なぜと訊かれれば、
そうやって答えるしかなかったのです。
大西さんは、
ジャズに自分が新しいものを付け加える必要は全然なくて、
ジャズという音楽の中で、
「自分がやる価値があると思うこと」は、
「ピアノはサイズが決まっていて、
自分で変えられるのは椅子だけ。
そして、
小さな身体と手でそれだけ自分が本気になって、
こんな風に弾きたいということについて、
どれだけ近づけることができるかということ。」
だそうです。(゜o゜)
このように自分がやろうとしていることは、
プロではないと思う、
そうやって生きていくしかない自分なのだと。
何者であるかと問われれば、そうやって答えるしかないと。(゜o゜)
大西順子さんは、哲学的というか理論的というか、
変わり者というか、
何といったらいいのでしょうか。
プロ意識が半端ないですよね。
すごい人です。
こんな人滅多にいないと思いますよ。
だから、大西さんは、
他の人には「音楽は趣味でやった方がいい」と言っているのです。
プロになることは、あまりにも犠牲にするものが大きいからと。
ほんとに苦労してきてるんですよね。
大西順子さんは、自分が追求したいことだけで演奏していくのは、趣味であるという考えが根底にあります。だから、充電期間が必要になってくるのですね。
人間だれしも充電期間が必要です!
下記の記事は、そんな大西順子さんが引退宣言したことで、ある出来事が起こりました!そんなことをまとめましたので、ぜひお立ち寄りくださいませ。
↓↓↓
大西順子ジャズピアニスト,本厚木での引退宣言&復帰のサイトウ・キネン!小澤征爾&村上春樹! | アラカン女子Haruharuの音楽のんびりLOVEライフ (ongakulove.net)
いつも最後までお読みいただきありがとうございます。
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