坂本龍一さんの幼稚園時代が知りたい方へ!坂本龍一著「音楽は自由にする」に書き記されていることを中心に、感想を交えながらまとめました。坂本龍一さんはどんな子どもだったんでしょうか?どんな家庭に育ったのでしょうか?
そんなことを知りたい方はぜひ、一度お読みくださると嬉しいです!
坂本龍一さんは自由学園系の幼稚園に通っていた!
坂本龍一さんは、世田谷にある自由学園系の幼稚園に通っていました。
自由学園系っていわれても、どんな幼稚園かわかりませんよね。
どんな幼稚園なのでしょう?
自由学園は、自由学園はジャーナリストでクリスチャンでもあった羽仁吉一(はによしかず)・もと子夫妻によって1921年に設立されたユニークな学校法人であると、坂本龍一著『音楽は自由にする』の中の注釈に記載されていました。
自由学園の教育理念は、「思想しつつ 生活しつつ 祈りつつ」「生活即教育」だそうです。
坂本龍一さんが当時通っていたのは、自由学園の卒業生たちが各地に設立した「全国友の会世田谷幼児生活団」というところです。
坂本龍一さんは幼稚園で初めてピアノと出会った
坂本龍一さんが通っていた幼稚園のカリキュラムは、美術・音楽や動物の飼育を重視していて、しかも、それがとってもユニークなのです。
そんなこともあり、坂本龍一さんの記憶の中にも鮮烈に残っているそう。
美術の授業で、園舎の窓ガラスに水彩絵の具で絵を描いたこと。
「そんなきれいな窓ガラスに絵を描いていいの?」と園児なりの戸惑いや心配ごとなどがあったようです。
そして、描いた後、光に照らされた窓ガラスがとってもきれいだったこと、そんな思いが『音楽は自由にする』に綴られていてとても興味深く読んでいるところです。
興味を持たれた方は、ぜひお読みになってくださいませ。
ちなみに、私は、市の図書館で借りて読んでいます。
坂本さんが自分の小さい頃の記憶を辿って、その当時の思いを上手く言語化して考察しているところがさすがだなって思うところです。
坂本龍一さんは、文才もあり、哲学的な表現者であると感じました。
音楽の授業では、ピアノを一人ずつ弾かなければならなかったそうですが、ピアノを弾いて楽しいという感じは全然なかったようです。
素敵な演奏を聴くと感動するけれど、順番に弾くだけで楽しくはならないような気がしますね。
あの人のように素敵な演奏ができるようになりたいとか、あんな曲が弾けるようになりたいっていうものが出てくると演奏することが楽しくなってくるのでしょうから。
坂本龍一さんは幼稚園の課題で5歳の時、初めての作詞作曲!
坂本さんの家に、夏休み期間中にウサギのお世話の順番が回ってきたそうですが、夏休みが終わってから、先生から、「動物のお世話をした時の気持ちを歌にしてください。」と言われて作詞作曲をしたそうです。
その時の思いも、坂本さんらしい表現をされています。
坂本さんは、うさちゃんの目は赤いとかすごく普通のことを書いてそれにメロディーをつけたそう。
たぶん母親に手伝ってもらって 楽譜を書いて幼稚園に提出したのだと思うと綴られていたので、その辺りの記憶は曖昧になっているようですが、歌って録音したものがそのシートになっていたはずだそうです。
でも、残念ながら今では見当たらないそうです。
私は、歌って録音したものが「そのシート」にしてもらえていたというところに驚きます。
その当時に自分の声を録音してもらえたなんてなんて素敵なんでしょう。
これは、本当にうらやましいなと思いました。
私の世代までは、「そのシート」というものが雑誌の付録についていて、レコードプレーヤーでよく聴いたものです。
本当に懐かしいです。
そのシートが大好きでしたから💛
それにしてもいつの時代も教育格差は大きいと感じます。
この年になって、こうした事実を知っていくと楽しくなります。
世界で活躍されている人の幼少期って本当に興味深いですね。
坂本龍一さんは幼稚園では悪い子の代表だった?
坂本龍一さんの幼稚園児だった時の驚きのお話をしていきたいと思います。
坂本龍一さんは幼稚園まで一人で通っていた!
坂本龍一さんは、当時、白金に住んでおりバスと電車を乗り継いで一人で世田谷にある幼稚園まで通っていました。
幼稚園児がひとりで通園するなんてきっと今では考えられないことだと思いますが、当時は普通のことだったそうですよ。
東京では、バスや電車で一人で通園する園児たちが結構いたんですね。
園児といえども、やればできることって案外多いと思います。
何事も経験ですから。 (*^-^*)
今は、誘拐されたり、事件に巻き込まれたりなど、いつ何が起こるかわからないですし、何か事件に巻き込まれたりして報道されようもんなら大変ですし、親御さんとしても心配でひとりで登園なんてさせられないですよね。
当時は、案外、そういった意味においては安全だったのでしょうね。
坂本龍一さんは幼稚園の帰りにニュース映画を友達と観ていた!
渋谷で電車に乗り換えるときに映画館にも行っていたようで、幼稚園の帰りに友達を誘って映画を見に行って見つかって大問題になったんですって!
東急文化会館の地下に映画館があって、当時は10円でニュース映画を観ることができたそうなのです。 (*^-^*)
おぉぉおおお!!!
信じられますか?
幼稚園児がニュース映画ですよ!
坂本龍一さんは、幼い頃からお母さんと一緒に映画館に行っていたので、映画館にいくこと自体は特別なことでも何でもないことだったのでしょうが。
幼稚園児が友達誘って映画館でニュース映画っていうところで、私はクスッとしてしまう。
本当に幼稚園児だよね?という疑問が~。(゜o゜)
さすが坂本龍一さんです。
なんとも頼もしいエピソードであると感じた次第です。
小さい頃から色んな情報を観て聴いて吸収して成長していったんでしょうね。
時事問題にも関心がある幼稚園児ですから(゜o゜)
ニュース映画を友達と観ていた坂本龍一さんに幼稚園はどう対応したの?
幼稚園の先生はその時、「坂本くんという悪いことをした子がいますが、みなさんはそういうことをしないように」と言われていたようです。
坂本龍一さんは、このことがきっかけで幼稚園では悪い子の代表になってしまったみたいですね。 (*^-^*)
自由学園系と言えども、それはそれは許容範囲を超えた行動だったようですね。
でも「悪いこと」っていったい何だろうか?
案外難しいですね。
先生たちでも、本当に良いことと悪いことって教えるのは大変なことですよ。
世の中、白黒で決着はつけられないグレーの部分で覆われていますし。
ある意味、教育は何も知らない子どもたちを洗脳していくようなものですから。
躾と称して。
教育者も大変な世の中ですね。
坂本龍一さんのご両親はどんな人?
それでは、坂本龍一さんのご両親についてまとめていきたいと思います。
坂本龍一さんのお母様はどんな人なのかな?
坂本龍一さんのお母さまの名前は、坂本敬子さん。帽子のデザイナーで、銀座の宝石商に勤務していました。
銀座の宝石商で働いていると聞くと、どんなにオシャレな人なんだろうと想像の世界に入ってしまう私です。 (゜o゜)
そんなお母さまが、この自由学園系の幼稚園を選んだんですから。
坂本さんの母方は九州長崎なのだそうですが、お母さま自身は東京生まれ。
お父様の仕事の関係であちこち転々としたそうですが。
坂本龍一さんは、お母さまのことを、リベラルな人(自由な人、自由主義的)と綴っています。
お母さまは、普通の公立の幼稚園でなく、こういった幼稚園に息子を入れたがるような進歩的な女性だったと語っています。
坂本龍一さんのお父様はどんな人かしらね?
坂本龍一さんのお父さまは河出書房の編集者で、三島由紀夫や野間宏、中上健次、高橋和巳などを担当した坂本一亀という人です。
お父様の出身も九州です。
お父さまは、仕事が忙しく、ほとんど家にいなかったそうです。
坂本龍一さんが子どもの頃に影響を受けた人は叔父様!
坂本さんとピアノとの出会いは、お母さまの選んだ幼稚園に入って、たまたまピアノを弾くことになったことでしたが、当の本人はピアノを弾くことが特別好きで上手ということもなかったというのですから、音楽家の道を歩むことになったきっかけが気になりますよね。
坂本さんは、もしよその幼稚園に入っていたらその先は大分違っていたのかもしれなかったし、音楽をやっていたかったかもしれないと語っているぐらいです。
そんな坂本龍一さんには、お母様のご兄弟である叔父にあたる人の中に音楽好きな方がいらしたのです!
その叔父様は、レコードをたくさん持っていてピアノも弾ける人でした。
坂本さんは、叔父様の部屋にはしょっちゅう遊びに行っていたそうなのです。
そして、叔父様が持っていたいろんなレコードを引っ張り出して聴いたりピアノを叩いてみたりしていたんですよ。 (*^-^*)
幼稚園で毎週のようにピアノを弾かされた経験と叔父様の影響が、坂本龍一さんの最初の音楽体験と言えるものだったということです。
いかがだったでしょうか?
坂本龍一さんの幼稚園時代のことについて調べてみました。
坂本さんの音楽体験として、幼稚園と叔父様との関わりが大きかったことを知ることができました。
いつも調べていくと色々な発見があって楽しいです!
最後までお付き合いくださいましてありがとうございます。
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