反田恭平さん絶対音感をどこで身に着けたの?音楽教室でのエピソード集!

嬉しいHaruharu

反田恭平さんは絶対音感があるのですが、いったいいつどこで身につけたのでしょうか?この記事を読むと、反田恭平さんの音楽教室での楽しいエピソードを知ることができます。やんちゃな子ども時代にピアノの練習をどのようにしていたの?ここにもお母さまのイケてる対応があるんですよ~。お楽しみに~!!




反田恭平さん:最初に通ったのは「ヤマハの音楽教室」

反田恭平さんのお父様は転勤族でした。

反田さんは、3歳の時は、名古屋の社宅に住んでいました。

その時に、1枚のチラシが投げ込まれたのです。

それが、「ヤマハの音楽教室」のチラシだったのです。

当時、反田さんがの仲良しの友だちが、ヤマハに通いたいと言っていたそうで、ママ友の間でも話題になっていたのです。

そして、反田さんも、ママ友つなだがりで、とりあえず、体験入学することに。

ヤマハの体験入学の時に、”音当てクイズ”があったそうです。

反田さんは、音当てが得意で、「和音を当てましょう!」というレッスンで、正解を出しまくっていたといいます。

反田さんによりますと、実は、この時、反田さんは、先生が弾く鍵盤をずっと盗み見ていたそうなのです。

それで、反田さんが、「ドミソ」と言ったら、先生が「この子は耳がいい!」と驚いていたそうなのです。

名古屋の「ヤマハ音楽教室」に通い始めて半年程経った頃(幼稚園の年中に上がる時)に、お父様が東京への転勤することになり、その時に、ヤマハの先生が、お母さまに、次のようにいったのです。

「この子は、とんでもなく耳が良すぎます。東京に行ってからも、ピアノでもヴァイオリンでも彼方ず何か音楽を続けてくださいね。この子はきっと伸びますから。」と。

反田さん本人は、鍵盤を盗み見ていたから正解が出せていたと話ししているのですが、そうやって、ズルしながら遊び感覚で楽しんでやっていくうちに、身についていったのでしょうね!



反田恭平さん:4歳から中学まで「一音会(いちおんかい)」に通った!

反田さんは、こうして4歳の時に東京に引っ越しました。

4歳から11歳まで通ったのは、「一音会ミュージックスクール」でした。

反田恭平さん:「一音会」で絶対音感を身に着ける🎵

一音会は、東京都豊島区長崎にある音楽教育の私塾です。

主に幼児・学童を対象音楽教育・情操教育を行っており、「子どもにまず絶対音感を身につけさせたい!」という親御さんたちが通わせています。

自宅でのトレーニングもあるようです。

反田さんの場合は、「一音会」に通い始めて間もなく、誰からも何も教わっていないのに、白鍵だけでなく黒鍵の音も、全てどこを鳴らしたのか、すぐにわかるようになってしまっていたということです。

なんと、コードも不協和音も耳コピで再現できたそうです。

スゴイですよね。 (*^-^*)

気づけは、同時に11音ならされても、下の音から順番に当てていくことができたというのです。

なんという能力でしょうか!!!

完璧な絶対音感ですね!

反田恭平さんが身に付けた絶対音感のスゴさって?

音感の種類には、「絶対音感」と「相対音感」があります。

「絶対音感」は、音を聞いただけで音の高さを判別できる能力です。

絶対音感があると、迅速に譜面を読め、移調が多い曲でも瞬時に把握できるというメリットがあります。

反田さんは、小学生の時には、すでに11音同時に弾いた音が解ったそうですので、その絶対音感たるや驚異的なものです!

人間の片手は5本の指、両手合わせて10本の指ですから、11音同時にわかるという反田さんの絶対音感は恐るべしです!

音の重なり、和音の響きについては、1音違ってもその違いを聴き取るこができたということなのです!!!

反田さんは、この絶対音感のおかげで、楽譜を読むのも早く、譜面かから音楽が聞こえてくるのです。

そして、正確に音が分かるため頭の中で指も動かせるのではないかと思います。

頭の中でのイメージトレーニングがしやすいので、鍵盤に向かう時間が少なくても難曲が弾けるのでしょうね。

反田さんの普段の鍵盤に向かう練習時間は、2時間程度といいますから、、、。

ショパンコンクールの時が一番鍵盤に向かう時間が長かったと言っているのですが、それでも、6時間だそうですので。

とにかく、適切な時期に適切なトレーニングを受けることができたので、絶対音感を身に着けることができたのだと思いました。



反田恭平さん:「一音会」でピアノのレッスンは受けていたの?

「一音会」での最初のレッスンは、リトミックやオペレッタがメインで、ピアノは副科だったそう。

反田さんは、ここでのレッスンにおいても、ピアノは好きなように弾いてたといいます。

最初は、2週間に1回とかのレッスンで、その後、週1回30分のレッスンに増やしていったのですが、そのうち20分間はお話みたいな感じだったそうですよ。

反田さんの幼少時のエピソードからすると、じっとしているのが苦手だったと思うので、集中できる時間を先生が見ながら上手にレッスンが続くよう工夫されていたのでしょうね。(*^-^*)

反田恭平さん:ピアノに惹かれたというよりも先生に惹かれた!

反田さんが「一音会」に通っていた頃のエピソードとして、5,6歳の時のことがあります。

当時放送していた『天才テレビくんワイド』に、(お笑いタレントの)なすびが出ていたそうなのですが、その時に教えてくれていた先生が、そのなすびにそっくりだったそうなのです。

反田さんは、「なすびがピアノを教えてくれるんだ!」と、信じていたそうです。

そう信じていたので、ピアノ教室に通い続けたそうなのです!

そもそも、反田さんのお母さんが「なすびだよ!」って言っていたそうですよ。

私は、「お母さん、やるな~」と思いました。

お母さんとしては、どうやったら子どもがレッスンを楽しく続けくれるのか試行錯誤だったと思いますから。

こういった夢のある嘘ならいいですよね。 (*^-^*)

目の前の「人参!」でなくて、目の前の「なすび!」ですかね~ (^^;

この大きな勘違いから反田さんはピアノのレッスンに通い続けることができたのですから、結果オーライ!ですね!

その夢が破れてしまったのは、ある日、レッスンを受けて帰ってすぐに生放送になすびが出ていて、瞬間移動しない限りは出演が無理なので、なすびは「自分の先生じゃないんだ」と気がついたとのこと。

それは、かなりショックだったと思います、、、、、。((+_+))

反田少年となすび先生(木下尚之先生)との思い出は?

初めは、なすび先生とは、お話ばかりしていた反田さん。

子どもの心をつかむには、まずお話しするところからですものね。

なすび先生は、「好きな曲を好きなように弾いてごらん!」という先生だったので、反田さんは、どんどんピアノが好きになっていったのです。

やっぱり、子どもの頃って好きな曲が弾けることが楽しいもの。

この時に、反田さんは、ピアノを弾くだけではなく、リトミックがあったり、みんなで大きな舞台で白雪姫や裸の王様などミュージカルやオペレッタまでいろんな音楽体験ができたそうです。

反田さんは、特に、オペラが好き!

現在の夢は、オペラを振れる指揮者になることなのですが、この頃の体験も大きかったかもしれませんね。

時代が違うとレッスン内容も進化しているので、アラカン女子としては羨ましい限りです!!!

今は、小さい頃から、色々な芸術に触れあう機会を持つことが可能になってきましたね。

反田さんのような子ども時代を過ごし、育っていく子どもたちのことを想像すると嬉しくなります。

反田さんは、一人でピアノの練習をするよりも、みんなで何かを協力して作り上げることが好きだったので、ピッタリのレッスンを受けることができていたのです。

音楽を楽しむという教室に入ったことが当時の反田さんにとってとても良かったそうで、なすび先生にとても感謝しているとも語っていましたよ。

ピアノの先生としてのやりがいはここにあるのでしょうね!(*^-^*)

「日本全国のピアノの先生!がんばってください!!!!!!」

アラカン女子からエールを送ります!



反田恭平さん:2006年,中学から「桐朋学園大学附属の子供のための音楽教室 仙川教室」

桐朋学園大学に附属しているピアノ教室ですが、日本全国30か所にあり、質の高い音楽教育が受けられるとのことです。仙川教室は、東京都調布市にあります。

その沿革を調べてみたところ、1948年(昭和23年)に約30名ほどの生徒で開始され、なんと、第1期生には、小澤征爾さん、中村紘子さん等がいらっしゃいますね。歴史を感じます!

幼なじみの小林愛実さんは、反田さんの1学年下であり、2007年に仙川教室に入室しています。反田さんと小林さんは同じ学び舎で育った2人なのです。

反田さんは、桐朋の音楽教室に入った時に、基礎ができてないことをすごく怒られたそうなのです。

それに対して反田さんは、自分の好きなようにショパンのワルツ、マズルカ、ノクターン、幻想即興曲、そしてエチュードを弾いていたので、もうプロだと思っていた。と語っています。

自分の思いと先生からの評価のギャップに反田さん、かなりショックだったでしょうね。

この時からようやくピアノの基礎を学び始めたのです。

バッハのインベンションとシンフォニアをやり始めて、中学3年生の時にようやく終わったそうです。

ゆい

反田さんは自ら「自分はピアノを始めたのが遅い方だった」とショパンコンクール入賞のインタビューでも話していましたが、このような過去があったのですね。

反田恭平さんの絶対音感のまとめ

4歳の時には、絶対音感が既に出来上がっていた。

小学生の頃には、11音同時に弾いた音が、下から順番に再現することができた。

不協和音でも、コードでも、すぐに再現できた。

・・・こうしてみるり、反田恭平さんの絶対音感は、訓練して獲得したというよりも、もともと持っていた能力がトレーニングを受けることによって判明したといってもいいのかもしれません。

とにかく、トレーニングを受けてもできない人もいたそうですので。

Haruharu笑顔
Haruharu

反田恭平さんの絶対音感、スゴイ内容でしたね。
持って生まれた才能でしょうね!
でも、その才能を上手に育ててくれた先生の力は大きかったですね。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

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