この記事では、反田恭平さんの音楽大学時代、モスクワ音楽院のことなどについて知ることができますよ。反田さんは、いつも自分を甘やかすことなく、前進するために自分で一番いいと思ったことに向かっていく人なんです!とても興味深い内容となっておりますので、楽しみながらお読みいただけると幸いです。
反田恭平さんは現在も学生です!
反田恭平さんは、ショパンコンクール2021で2位入賞した後も、ポーランドのショパン大学の研究生として、続けて学ぶことにしたのです。ショパンの曲を全て学びたいのだそうですよ。
これには、正直驚きました!
そして、指揮者の勉強も同時に始めています!
指揮は、ウイーンで学んでいるのです。
反田恭平さんは日本とロシアを行き来しながら学んでいた!
さて、そんな反田恭平さんの音大時代についてまとめていきたいと思います。
反田恭平さんの経歴は、ちょっと複雑ですよ。
色々と並行して進んでいますので。
2013年に桐朋音楽大学入学(※キャンパス特待生)し、2015年には、桐朋学園ソリストディプロマコース入学(創設以来初のピアノ科全額特待生)します。
「ソリスト・ディプロマ・コース」とは、ソリストとしての将来性があると認められた人を対象として、高度な実技教育をおこなうことを目的としたコースです。1973年に開設されましたが、入学者は数名しかいません。
反田恭平さん:モスクワ音楽院の予備科から入学ってどういうこと?
反田恭平さんは、2014年に桐朋音楽大学に在籍しながら、モスクワ音楽院主席(外国人枠の最高得点)入学しています。これは、「公益財団法人ロームミュージックファンデーション奨学生」として、予備科から入りました。
しかし、この予備科というものが、くせもので、1年間、ロシア語とソルフェージュと実技のレッスンを受けるシステムになっているのです。(ソルフェージュとは、楽譜を読むことを中心とした基礎訓練のことですが、反田さんには、必要のないカリキュラムだと思うのですが、一律なんですね。)
そのため、卒業までに6年間もかかるのです!
反田恭平さん:予備科の1年間でロシア語は上達したの?
予備科のロシア語授業での宿題が、半端なかったそうです!
ロシア語の短編小説を10ページ分を丸暗記しないといけないという課題があって、余った時間でしかピアノの練習ができなかったというのです。
その課題をクリアするために、一日6時間、ロシア語の勉強をしていたそうなのです。
反田さんは、とにかくロシア語をマスターしないと、ピアノの練習をすることができないという環境に置かれていたため、必死にくらいついていったのです。
正直つらかったそうです。
その努力の甲斐あって、1年間で、英検で言えば準2級レベルまでになったそうです。
スゴイですね~!
必死になれば、語学をマスターすることができるのでしょうか。。。
やっぱり、反田恭平さんは天才です!
反田恭平さん:モスクワ音楽院でのピアノの練習はどうだったの?
反田恭平さんさんは、勉強の空き時間にピアノの練習をしていたのですが、練習室を押さえるのも大変だったよう。
ようやく取れた練習室のピアノも、白鍵が剥がれて木がむき出しになっており、黒鍵も茶色になっていたそうなのです。
ペダルもなかったり、、、。
普通の環境以下の厳しい環境であったのです。
反田さんは、練習室でのピアノを弾いていて、指がささくれてしまうこともあったそうです。
反田恭平さん:モスクワ音楽院を途中で辞めたのはなぜ?
予備科から入学した反田恭平さんがモスクワ音楽院を卒業するには、6年間かかってしまいます。反田さんは、3年半このモスクワ音楽院で過ごすうちに、その環境に慣れてしまったのです。反田さんにとっては、慣れることが一番の敵だそうです!
その他の理由としては、反田さんは、ある先生と上手くいっていなかったそう。モスクワ音楽院には、主のような年齢不詳の怖い先生がいたそうです。特に留学生を目の敵にしているような人だったそうです。
反田さんは、学生でありながら仕事もしていたため、日本にちょくちょく帰らなければならず、出席日数が足りなくなっていたのです。
その怖い先生から、「学生は仕事なんかせず、学ぶことが大切」と言われていました。
この大学に誘ってくれた恩師であるヴォスクレセンスキー先生がかばってくれていたのですが、これ以上、迷惑はかけられないと思い、1年間、考えた末の決断だったそうです。
反田さんは、この時、ショパンコンクールに挑戦しようと考えていたのです。
2020年開催予定だった「第18回ショパンコンクールへの挑戦!」です。
(実際は、コロナ禍で1年延期となり2021年に開催されました。)
2017年 ショパン国立音楽大学研究科入学(23歳)
この時、反田さんがショパン大学を進んだのは、ショパンコンクールへの出場を考えてのことです!
これもまたスゴイですね。
2020年 ショパン国立音楽大学研究科終了!!!!
2021年には、同大学研究科(3期目)!!!!
なんと、ショパンコンクール2021出場の年(27歳)となりましたね~!!!!
計算しつくされてる感じですね。(^^;
反田さんは、こういったところも、只者じゃないって感じるのです。
反田恭平さんがモスクワ音楽院で学んだことは?
モスクワ音楽院では、500人の学生が寮での生活を送っているのだそうですが、その規模の大きさに、まずは驚いたといいます。
反田さんは、始めに身体を大きくするよう言われた!
反田さんは、モスクワ音楽院に入学した当時の体格は、身長170cm、体重49㎏だったそうですが、入学時に、「まずは身体を大きくするように」指導されたそうです。
え?そこからの指導なのですか~?と驚いた方もいると思うのですが、
反田さん自身も、高校3年生の時にはじめて大きなコンサートホールで演奏(日本音楽コンクール)し、自分の小柄な体格から出せる音量の限界に気づいていたそうです!!!
なんと、太るために、反田さんは、1日1袋のポテトチップスを食べることを日課にしたそうなのです。
反田さんって面白いですよね。
ポテトチップスを食べることが怖くなりました~(^^;
美味しくて止まらなくなる食べ物のひとつです。。。(^^;
反田さんは、音楽以外の趣味を持つことの大切さを知った!
反田さん曰く、音楽院で抜きんでている人の共通点は、多彩な趣味を持っているということだったそうなのです。
ですので、反田さんもピアノ以外に色々なことにチャレンジしたのだそうですよ。
充実した時間を送っていたのですね。
反田さんは、フォルティシモ(とっても強い音)を鍛えた!
ロシア留学の時に、徹底的にフォルティシモの幅を広げられるよう鍛えたのだそうです。
なるほど、、、。
そうだったのかと納得しました。
だから、細身でイケメンの反田さんには、今後出会えませんよ~。
私は、今の反田さんは若いながらも貫禄が出てきて、年長者からも信頼を集めることができる風格として捉えています。
とっても良いと思っています。
いい音楽を作り上げるためには身体づくりが基本であるという学びを得た反田さん。
反田さんは、モスクワ音楽院に留学したことで視野が広がり、身体づくりにも真剣に取り組むようになっていきました。
反田恭平さん:2015年 第25回チッタ・ディ・カントゥ国際ピアノコンクール古典派部門優勝(イタリア)
反田恭平さんは、日本の音楽コンクールには、中学、高校時代には出て入賞した経験が沢山ありましたが、海外のコンクールの経験はありませんでした。
そんな中、2015年にイタリアでのコンクールに出場したのですが、本人曰く、イタリアンが食べたいからイタリアのコンクールに出たそうなのです。
しかしながら、2014年からモスクワ音楽院でフォルテシモを鍛え上げていたため、それを試すためもあったかもしれないと思いました!
また、ショパンコンクールに挑戦することも考えていたでしょうし、その前に経験しておきたかったのかなと思います。
とは言え、イタリアを選らんだ理由には、反田さんらしさを感じます。
微笑ましいですね。
このコンクールでは、今までに持っているレパートリーで十分だったので、
反田さんにとっては、それ程準備も大変ではなかったそうです。
余裕な発言ですね。さすが大物です!
この記事のまとめ
反田恭平さんの大学時代は、既にプロのピアニストとしても活動をしており、桐朋学園とモスクワ音楽院の両方に在籍するなど、日本とモスクワを行ったり来たりと大変充実した時間を送っていました。
その中で、自分の将来を見つめ、進路を見直し、ショパンコンクールを目指すために、ショパン大学へ進学することを選んでいきました。
モスクワ音楽院においては、弱点であったはフォルテシモを重点的に磨き、海外で通用する身体づくりもしていきました。
いががだったでしようか?
スゴイですよね。
バイタリティー溢れる反田恭平さん!
これからの活躍が楽しみな方ですね。
いつも最後までお読みいただきありがとうございます。
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