反田恭平さんがショパンコンクールを目指した理由は?人気&実力あるのに。

Haruharu笑顔

この記事では、日本一チケットが取れないピアニストである反田恭平さんが、

あえてショパンコンクールに挑戦しようと思った理由、そして、ショパンコンクールに挑戦したからこそ見えてきたものは何だったのか?

そんなことを知ることができます。

2021年の第18回ショパン国際ピアノコンクールで2位入賞の反田恭平さん。

実はこの結果を残すことができて、反田さん自身、内心ほっとしているのです。




反田恭平さんがショパンコンクールに挑戦した理由は?

反田さんがショパンコンクールに挑戦しようと思った理由は、た~くさんあります!

他のコンテスタントたちと比べても、おそらく、反田さん程にショパンコンクールへの挑戦理由が沢山ある人はいないことでしょう!

存じあげていない方もいらっしゃるかもしれませんが、、、

反田恭平さんは、ただのアーティストではないんです!

反田恭平さんは、ジャパンナショナルオーケストラ(JNO)の社長です!

わぉっ!!!

・・・ということは、

そうですよっ!

社員に¥お給料を支払い生活を守っていく立場の人なのでありまっす!

そのためには、

クラシック音楽を聴きにコンサートホールまで足を運んできてくれる人たちを増やすこと!

また、リピーターが増えるような取り組みを考えて、ガンガン収益を上げていかなければならないのです!

一に努力、二にも努力、といっても、その努力の方向性が反田流なんですよね~。

反田流ってなにか?と言いますと、、、

何千歩、何万歩先を見ての綿密な計画に裏付けられた努力でしょうか。

何事も計画なんです!反田さんは、計画して実行する能力が特に優れているのです!

そういった能力は天性のものでしょうか!!!!

反田恭平さんには、目の前の夢、少し先の夢、数年後、数十年後の夢、といった先々のシナリオがちゃんと明確化されていて、それも、日々アップデートされているようなのです!

それは、どんなシナリオなんでしょうか?

気になりますよね~!!!



反田恭平さんの壮大で崇高な人生シナリオ

反田恭平さんの壮大で崇高な人生しなりをを下記にまとめてみました!!!

① 反田さん自身が有名になる

↓↓↓

② ジャパンナショナルオーケストラ(JNO)が有名になる

↓↓↓

③ 将来、建てたいと思っている学校が有名になる

↓↓↓

④ 日本の音楽会の希望の光となる

このシナリオはいかがでしょうか?

崇高な目標とシナリオですよ!!!

素晴らしい!!!

ブラボー!!!

なんてったって、反田さんが有名になることで、”日本の音楽会の希望の光”となるところまでいっちゃいますから。(*^-^*)

こんな素晴らしい夢があって、それを公表しているのですから、必ずその夢は叶うと思います。

また、反田さんは、新たな経験から、夢がどんどん膨らんで進化していっているように思います。

今、乗りに乗っている感じですね~。

反田さんの夢はほんとに無限大ですね~。

やっぱり夢を叶えていく人って、周囲に自分の夢を宣言し、応援者や協力者を見つけていくんですよ。🎵

自分ができないことをチャレンジしていく人を見ているとついつい応援したくなりますものね。

反田さんの場合は、見ていて、サクサクと進んでいく様子が見ていてわかるので楽しくなるんです。

さて、日本においては、一番チケットが取れないピアニストとして有名であった反田さん。

普通だったら、それで満足してしまいそうですが、、、

そうではなかったんですよね。

反田さんは、日本においては、一番チケットが取れないピアニストでしたが、

海外でのコンクール受賞歴がほぼほぼ無かったため、

ある種の葛藤をデビューしてからずっと続いていたというのです。

その葛藤たるもの、なんと、デビュー当時からずっと抱えていたのです。

ビックリしますよね。

葛藤を抱えながら過ごしてきた6年間は、外からはわからない苦しみだったに違いありません。



常に反田恭平さんの脳裏につきまとっていた葛藤とは?

海外の人と話をした時に、「何のコンクールとったの?」と聞かれたら

「興味がないから受けていない」というのは言い訳にしかならない。。。

・・・ということです。

反田さんは、プロになってから、コンクール受賞歴というものの必要性、受賞歴というパスポートが必要であるということに気づいたのです。

世間はやはりコンクール受賞歴とか、そんなところで判断するんですよね。

こうした一般常識的なところは最低限抑えておかないと話しにならないですもの。

厳しい世界ですね。

そんな現実を目の当たりにして、反田さんは社長として社員を守っていけないという責任が出てきたのです。

自分ひとりなら、自分が興味ないことはやる必要がないと思うのですが。



反田恭平さんはコンクール嫌いだったが考えが変わっていった

反田さんは、自分が立ち上げたジャパン・ナショナル・オーケストラのメンバーが国際コンクールに挑戦する姿を見て、すごいと思っていたのです。

そもそもジャパンナショナルオーケストラのメンバーってその実力たるものが凄いんです。

みんながソリストとして活躍できるレベルなのです。

コンサートマスターの岡本誠司さん(バイオリン)がミュンヘン国際音楽コンクールで優勝し、務川慧悟さん(ピアノ)もエリザベート王妃国際音楽コンクールで3位に入賞しているのです。

コンクールの後に一緒に演奏すると、彼らの成長がよくわかったので、コンクールの捉え方が変わっていきました。

反田さんがコンクールに対して持っていた否定的な考え方とは、音楽に順位をつけること。

反田さんって意外と素直な性格で、コンクールに対する捉え方の変化についても、

自分の考え方の未熟さを素直に認めているのです。

反田さんは、ストンと自分の中に落ちるとそれからの行動は素早いですね。

本当に。

自分が立ち上げたジャパンナショナルオーケストラのメンバーたちのためになることをしたいという思いもすごく沸き起こってきていたのです。

自分が声をかけて集めたメンバーですからね~。

このジャパンナショナルオーケストラ(JNO)を日本だけでなく世界中の人に知ってもらいたい!

ジャパンナショナルオーケストラ(JNO)を有名にしたい!

そのためには、自分がショパンコンクールに挑戦し結果を残す必要があったのです。

反田さんは、ジャパン・ナショナル・オーケストラのメンバーで世界中で演奏活動をしたいと思っているので

そのため、このJNOを宣伝したかったのです!!!!!

自分が一歩前に進んで日の目を見る瞬間があれば(コンクールに入賞すること)、

それをパスポートとして活動していけると考えるようになっていました。

ですので、コンクール中には、ちゃっかり自分のオーケストラのことを宣伝していたのですよ。

ここが笑えるところですし、余裕を感じさせてしまうところでもあります。

Jそして、NOのメンバーは皆何も言わないけれども、次は社長じゃないか、、、という無言の圧力を感じていたようですよ。(*^-^*)

何も言わないってことは、結構辛いこともありますよ。

そこに触れられないっていうことですものね。



反田恭平さん:ファイナル(本選)での演奏が夢だった!

ショパンコンクールのファイナル(本選)での演奏が夢だった!

反田さんは、純粋に子供のころからショパンコンクールのファイナル(本選)で一番好きな曲ショパンの「ピアノ協奏曲第1番」を弾くことが夢でした。

反田さんは、ショパンの「ピアノ協奏曲第1番」が一番好きな曲なんだそうですよ。

ですから、ファイナルまで進むことが夢だったのです。

そのために、ピアノを頑張ってきたのです。

それは、なんと反田さんのお母さまの憧れのステージでもありました!!!

なんといっても、お母さまが、いち早く、我が子の才能に気づき応援してきたのですから。

集中力のない我が息子にどうピアノのレッスンを続けてもらうのか、、、とか、、、

遊びの延長でピアノを弾いて楽しめるように、さりげなく、「のだめカンタービレ」とか「ピアノの森」の漫画を読むように勧めたりね~。

そういう意味では、お母さまも戦略家といえるかもしれませんね。

反田さんのお母さまは、ショパンコンクールの3次予選の結果が出る前にポーランドに来ていたそうです。

そして、ファイナルで反田さんが演奏している間、お母さまはずっと泣いていたそうなんですよ。

うう、、、っ、、、そうですよね。。。

感動の涙ですよね~。

でも、反田さん、実は、お父さんとは、1年以上連絡をとっていないようですが、、、。

お父さんは、反田さんが活躍していることをどう思っているのでしょうか?

気になりますね。

ちょっと前、反田さんが「徹子の部屋」に出演していた時に、黒柳徹子さんからお父さんとの関係について、ツッコミを入れられていまして、、、。

徹子さんが反田さんに、お父さんがテレビを見ているかもしれないので、お父さんにメッセージを送るように、と言ったのです。

それに対して、反田さんは、ちょっと怯んだ感じでしたが、「お父さん、産んでくれてありがとう。」と、とっさに言ったのです。(*^-^*)

いや~。産んだのはお母さんですが、、、お父さんがいなければ産まれてなかったので、それは、間違いではないと思うのですが、私としては、ツボに入りました。(*^-^*)

いつも完璧な回答をする反田さんも、徹子さんに突然振られると、こんなこともあるんだなと。

話が脱線しましたね~。

えっと、音楽の道に進むことに大反対だったお父さんだけに、今さら、素直になれないんですよね。

息子の前では。。。

コンサートにも来たことはないそうなんですが、、。(^^;

ショパンの曲が特に大嫌いなお父さまだそうですで。

でも、心の中では、誇りに思っていそうですがね~。(^_-)-☆



反田恭平さんがショパコンに挑戦したからこそ見えてきたものは?

このショパンコンクールへの挑戦を契機に、反田恭平さんは自分の役割を再認識し、次へのステップに勢いがついています🎵

それは、日々の反田さんの言動からよ~くわかります。

自分が2位だったことについて意味づけをした!

日本人から1位を出したい!

↓↓↓

音楽アカデミー創設(2030年予定)をすることで貢献したい!

↓↓↓

ショパンコンクールへで1位を取れるような教育システムをどんどんサポートしていきたい!

もっとショパンの曲を学びたい

ショパンコンクールを終えてからポーランドでの演奏の依頼が増えたんです。

反田さんは、ショパンの作品をコンクールで弾いたといっても、ごく一部であるため、全曲、パレチニ先生の下で勉強したいなと強く感じたそうなのです。

新しいコンクールを作る方向性が見えてきた!

コンチェルトって、その人のすべての潜在能力が見えてくるので、そういうコンクールを作りたいなと思ったそうですよ。

わお~っ!!!!

そうなんですね~。

コンチェルトのコンクールって面白そうです🎵

そして、そのコンクールの審査員には、幼なじみで付き合っているの疑惑の小林愛実さんにオファーしているのですよ。

それを、反田さんのラジオでも言っていますね。

だから、この計画も実現すると思います。

そして、このコンクールのチケットも入手困難になりそうですよね。

海外から反田さんの作ったコンクールを聴きにくる人が増えると思うから。

そして、奈良県が拠点のジャパンナショナルオーケストラ、音楽院、となると、、、

「音楽の都=ウイーン」から「音楽の都=奈良県」へ変わりますよ~!!!!!

この拠点を奈良県にしたのも、本当に、素晴らしい選択なんですよね~。

とにかく楽しみがいっぱいですわ。

ワクワクしてきます。

日本の人口が減少し、日本の将来に対して希望が持てないような昨今、

反田さんのエネルギーに満ちあふれた言動は、本当に希望をもたらしてくれます。

こうやって、若者たちが頑張ってくれていることに日本人としても誇りに思うのです。

この記事のまとめ

反田社長は、自分の実績は、自分だけでなく、自分の仲間や、これからの日本のクラシック界、ひいては、世界中の子どもたち(ピアノを見たこともない等)のためにもなるという、強い思い、信念があったということがわかりました。

ショパンコンクールへの挑戦は、反田恭平一個人としての幼い頃からの憧れ、夢といった本当に純粋な動機から出発したことは確かですが、反田さんが成長し、大人になっていく中で、社会的な立場からの夢もたくさん抱くようになっていったのです。

きっと、反田恭平さんの頭の中には、常に、常に、夢と戦略が沢山詰まっているのだと思います。

これからの活躍が期待できますね。

本当に楽しみです。

こんな夢のある音楽家が生まれてきてくれてありがとう!!!!!と声を大にして伝えたいです!!!

Haruharu笑顔

最後までお読みいただきありがとうございました。

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