ピアノを15歳で始めて、プロとしてデビューできるって信じられますか?
そんな、前人未到のピアニストがこの世の中に存在するのですよ。
それは、西川悟平さん。
この記事を読むと、西川悟平さんが、音大合格のためにどのような方法で練習してきたのかを知ることができますよ。(*^-^*)
西川悟平さんは、『7本指のピアニスト』として知られるようになったのですが、
今では『奇跡のピアニスト』と呼ばれています。
「2021パラリンピックの閉会式」にピアノ演奏をしたことで、さらに注目されるようになりました。
悟平さんは、ジストニア発症して一時はピアノが弾けなくなりましたが、
懸命なリハビリによて、7本の指で演奏ができるまでに回復し、プロのピアニストとして復帰しました。
そんな西川悟平さんのストーリーは、涙と笑いのストーリー!
奇跡としか言いようがない人生を歩んできた西川悟平さん。
悟平さんは、とっても魅力的で、ユニーク。そして、味わい深いお人柄です。
そんな西川悟平さんのストーリーを楽しみながら読み進めていってくださると大変うれしいです。
西川悟平さんは「絶対無理だ」と言われたことを次々と可能に!
西川悟平さんは不可能と言われることを次々と可能にしてきた人生を送ってきました。
そのため、自ら「奇跡が起こった!」と語っているのです。
夢を心に持ち続けると、誰にでも奇跡は起きると信じています。
西川梧平さんのオフィシャルサイトプロフィール冒頭部分より
さて、どんなことが起こったのでしょうか?
その前に、西川悟平さんのプロフィールから、はじめたいと思います。
西川悟平さん:プロフィール(出身,年齢,家族など)
〔出身〕 大阪堺市浜寺
〔生年月日〕 1974年(昭和49年)10月25日生まれ
〔年齢〕 現在、47歳 令和4年の誕生日で48歳になりますね。(*^-^*)
〔血液型〕 O型
〔小学校〕 堺市浜寺小学校 1987年卒業!
〔最終学歴〕大阪音楽短期大学部ピアノ科卒業
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〔家族〕 両親と3歳下の弟との4人家族
お父様は、西川幹彦さん、浪曲師 「5代目吉田奈良丸」を名乗ってみえました。
お父様の性格は、明るく、ユーモアがある方だったようです。
悟平さんが一番辛かった時にも笑わせてくれるようなお父様でした。
安心感を与えてくれるお父様だったのでしょう。
今は、ご両親ともに亡くなられていますが、
そんな素敵なご両親の元で安心してすくすくと育つことができたのでしょうね。
〔友人関係〕 世界中に友達がいる
色んな価値観を持っている友人がいたため、判断に迷った時など、意見を求めていたようです。日本人の友人に相談すると、「やめておいた方がいい」と言われることが殆どだったそうですが、外国人の友人は、「やってみて、だめだったら、戻ってこればいいからやってみたら?」と言われることが多かったそうです。
〔英語力〕
YouTubeを見ていると、悟平さんの英語は、とっても流暢で抑揚とリズムに魅力を感じます。話し方にもエンターテインメント性を感じます!
長年、ニューヨークで生活されているのだから本場の雰囲気ありますね。
〔性格〕 「シャイで赤面症!」
「シャイで赤面症!」は、今でも変わらないですね。
周囲の人たちにとても気遣う方であると思います。
最近は、神経性脱毛症で2つ円形脱毛ができていたとのこと。
本人は、自分では気づいていないけれども、
体にストレスが出てしまうのでしょうね。
小学生の時のあだ名はドラえもんの「のび太」だったのはなぜ?
小学生の頃の悟平さんは、「変わった子だ変わった子だ」と言われていたそうです。
それは、まず、先生が何を言っているのかわからなかったので、
先生に、「宿題をやってこい!」といわれても、何が宿題なのかもわらなかったと語っています。
学校の授業には全く興味が持てず、何をやっても怒られて、あだ名はドラえもんの「のび太」だったそうですから。
でも、ここからが、西川悟平さんの驚くべき才能なのです!!!
注目してくだされ~!!!!
興味のあることは、勉強しなくても覚えられるのに、
興味のないことは、何回聞いても全く覚えることができなかったといいます。
「興味のあることは、勉強しなくてもすぐに覚えられる!」って言えるってすごいです!!!
それだけ、興味があることに脳が反応するんですから!!!
でも、このすごい能力を知る人は、たぶん、本人しかいなかったのかもしれませんね。
意外と自分の能力って自分でわかっているんじゃないかしら、、、。
小学5年生の時の夢は、国際的映画スターになること!
そんな、悟平さん、小さい頃から映画好きで、お気に入りの映画 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『インディー・ジョーンズ』、キョンシーの映画を何百回も繰り返し見ていたそうですよ。
気に入ったことには、過集中する特長があったのですね!
ここまで、繰り返し見る程好きなことがあることも才能のひとつですね。
このような特性を自分が一番よく理解しているものです。
小学生の頃から大きな夢を持っていた悟平さんは、
自分の夢をちゃんと書き残していているのです。
夢を叶えるためには、「努力が必要ですね」とも書いていました。
小さい頃から、もう自分の考えをしっかり持っていたと思うのです。
現在、悟平さんは、国際的なピアニストになって活躍中ですが、
スウェーデンが制作するの映画の「主人公」として取り上げられることになったそうです。自分の歩んできた人生が映画化されるって、すごいことですよね。
「これって、国際的映画スターになったようなものじゃないかな?」と悟平さんは語っています。
西川悟平さんが奇跡を起こした音大現役合格!
西川悟平さんの身に、はじめに起こった奇跡をお話ししていきます。
西川悟平さん:15歳(中学3年生)にピアノと出会い、音大ピアノ科現役合格!
それは、とても常識では考えられないことだと思うのですが、
なぜ、こんな困難な道にあえてチャレンジし、成しえることができたのでしょうか?
かなり強烈な動機と情熱があったのでしょうね!
もちろん、才能もなければ到達困難な道ではないかと思うのですが。
西川悟平さんがピアノと出会ったきっかけが知りたいですね!
ワクワクしてきましたね~!!!!!
西川悟平さんがピアノと出会ったきっかけって?
西川悟平さんは、中学生の時に、ブラスバンド部でチューバを担当していて、
3年生の時に、「チューバで音楽大学へ行きたい!」と
思っていたんです。
でも、音大の入試にはピアノが必須だと知って、
ブラスバンドの顧問の先生にピアノレッスンをお願いしたところから始まったのです。
実は、その先生が可愛くて、音大出身だったので、
「自分も先生の後輩になりたい!」という不純な動機から始まったそうですよ。
今でも、その話になると、西川悟平さんは嬉しそうなのです。
ひょっとしたら、顧問の先生は、悟平さんの初恋の人かのしれませんね。💛
西川悟平さん:レッスン初日にショパンのノクターンに衝撃!
ピアノレッスンの初日に顧問の先生が弾くショパンのノクターンに衝撃を受け、
「ピアノってなんて綺麗なんだろう!」と、
すっかり魅了されてしまったのです。
悟平さんは、瞬時に、「ピアノ科に行く!」と決めたのです。
まぁ、なんて素敵な出会いなんでしょう!!!
こんな出会いって、こんなに即決できる出会いってあるんですね。
迷うことなく。
しかし、これからが、大変な道のりになりました。
でも若さあってできることですね。
なんと、西川悟平さが、ピアノの練習を始めたのは、中学3年生の春休み
(高校1年生からと言ってもいいでしょう!)からで、実際は、16歳になっていたそうですよ。
そんなにもショパンのノクターンを魅力的に弾ける先生が梧平さんの身近にいたことにまずもって感謝ですね!
西川悟平さんのブラスバンドの顧問の先生の対応はどうだったの?
当時、顧問の先生は、悟平さんに「絶対無理!」という否定的な言葉しか言わなかったそうです。自分に後から後悔し、ずっと悟平さんに謝りたいと思っていたそうですよ。
ブラスバンド顧問の先生も辛い思いをされていたのですが、
令和元年に、悟平さんのコンサートに来てくださったそうです!
悟平さんがショパンに魅了されたことはすごくよくわかります!
顧問の先生が絶対無理と否定した言い方をした気持ちも痛いほどわかります!
西川悟平さん:音大ピアノ科を目指して猛練習
西川悟平さんの「音大合格までの道のりは?」
音大は、受験する専攻にかかわらず、バイエル程度のピアノ実技が入試にあると知った梧平さん。
ピアノを始めてから、音大の入試までに3年を切っていたため、
それまでに、バイエルが弾けるようになるか不安で猛練習をしたのです。
とにかく、悟平さんは、思い込みの激しさと意気込みが半端なく、
ピアノがある祖母の家で、練習曲のハノン60曲を繰り返すなどの練習に明け暮れていました。
悟平さんは、自分で「一日15分、必ずピアノを練習する」と決めたのだそうですが、一度ピアノの前に座ると、実際には、一日7時間から10時間ぐらいの練習になっていたと言います。
西川悟平さんが音大合格のために実行したことは?
それは、「音大に受かった後のことを想像しての毎日の練習。
そして、頭の中で楽しくピアノを弾く音大生になった自分の姿を想像して練習を続けました!」
なんと、それは、イメージトレーニングだったんですね!!!!!!!
そういったプラスのイメージトレーニングって大事ですね!
そして、悟平さんは、ピアノの練習だけでなく、
自分を奮い立たせるためにレコードを聴くことも日課にしていました。
このレコードを聴くという日課がかなりの効果を生み出しました!
バイエルの練習をしていた時にも、悟平さんの頭の中では、ショパンの音楽が鳴っていて、
それをイメージしていたそうなのです。
バイエルの練習とピアノコンチェルトの練習を同時に進めていったのだそうです。
時間が限られている中で自分で編み出した工夫。
音楽をまず聴いて脳にインプットしていくことがいかに大事であるか知ることができました。
西川悟平さん:18歳(1992年)ピアノを始めて3年弱でニューフィルハーモニー管弦楽団とピアノコンチェルトを共演
なんと、ピアノを始めてから4か月ほどでショパンのワルツを発表会で弾き、音大入試直前には、ピアノコンチェルトを弾けるまでになっていました!
悟平さんは、自分で考えた練習を積み重ねて、3年足らずで達成したのです。
普通では到底考えられないことです。
感動します!!!
それとともに、やはり、才能もあったのでしょうね。
悟平さん本人も、指はもともと速く動く方だったと話していました。
努力だけでそこまでのレベルに到達できるものでははく、天からの授かりもののようにも感じます。
西川悟平さん:大阪音楽短期大学部ピアノ科にみごと現役合格
周囲からは、「絶対不可能」と言われていましたが合格できました!
幼少時から英才教育を受けてい人たちでも、合格するのが難しいと言われている音大に!!
悟平さんは、4年生に編入するつもりで、短期大学部に入学したそうです。
本当は、4大に進学したかったんですね。
夢を切り開くエネルギーってすごいですね。
若さもありますよね。
「失敗したとしても後悔しない生き方を」と言葉でいうのは簡単ですが、なかなかできることじゃないと思います。
当時、悟平さんは、「15歳でピアノを始めた自分は、プロのピアニストにはなれない。ただカッコよくピアノが弾きたい」との思いで練習励んでいました。
それでも、「ピアノの先生になれるといいな」程度には考えていたそうですが、
「先生、あの曲弾いて!!」と子どもたちからリクエストされたら何でも弾けるピアノの先生になりたかったのです!
これこそ、かっこいい先生ですね。
悟平さんは、自分のピアノで人をあっと喜ばせたいという思いが強かったのかな。
子供にとっても大人にとっても、リクエストした曲をその場でサラっと弾いてくれる先生がいたら
本当に楽しくなっちゃいますよね~🎵
この記事のまとめ&感想
西川悟平さんは、15歳の時にブラスバンドの顧問の先生が弾くピアノ
「ショパンのノクターン」に魅了され、即座に音大ピアノ科へ進む決心をし、
周囲の人が絶対無理だと言われても、自分の思った道を歩んでいきました。
人生を左右してしまう程の感動がそこにあったのです。
「感動すること」は、これ程までに人の人生の方向性を変えてしまうのですね。
そう思うと、小さい頃に、色々な体験をする中での感動、ひとつひとつが本当に大切なことであると、本当に体験こそが財産となることを深く感じるのです。
そして、音大受験に間に合うように自分で考えた練習方法が素晴らしいと感動しました!
バイエルの練習とコンチェルトの練習を併用していくなんてことは聞いたことがないですよね。
それは、普通ではありえないマニュアルにはない練習方法です!
普通の常識的なピアノの先生だったら、基礎から練習しなさいと言うだけで、3年弱で音大合格するレベルまで生徒を指導することはできなかったと思います。
ですから、「もう、今から初めても遅いんじゃないの?」と思うことでも、チャレンジしてみたらできるかも!!と勇気づけられますね。
これからの人生、西川梧平さんに習って、楽しみましょう!!!
西川梧平さんの音大ピアノ科合格までの奇跡のストーリーをお話ししました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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西川梧平さん,15歳からピアノを始め『ニューヨーク・プロデビュー』って本当? | アラカン女子Haruharuの音楽のんびりLOVEライフ (ongakulove.net)
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