この記事では、反田恭平(そりたきょうへい)さんの両親、特にお父さまとの関係、そして、生まれた時からの本人の特性や才能に対してのお母さまの対応、反田少年が子どもの頃に熱中していたこと、そして、音楽の道へ進んだきっかけなどを楽しみながら知ることができます。お母さまは、息子の教育方法についてのツボをわかってるって感じなんですよ。
反田恭平(そりたきょうへい)さんの生い立ちは?
反田恭平さん 生まれた時は仮死状態だった!?
誕生日 1994年9月1日(27歳)
逆子(さかご)で心肺停止状態での出生だった!
通常の分娩では、赤ちゃんは頭から出てきますが、足から出る逆子では、頭を出すことが大変になります。赤ちゃんが最初に呼吸するまでの時間が長くなるため、脳へのダメージが心配されるのですが、成長発達の影響がなく、よくぞ元気に育ってくれました。
反田さん自身は、「僕は一度死んでいるんですよ。」と語っていますので、本当に大変だったのでしょうね。そういう思いがあると、自分の命に対して小さい頃から特別な思いを抱きつつ成長を遂げてきたのかなとも思ってしまいます。
反田恭平さん 出身地
北海道札幌市生まれ。
一時期名古屋で生活していましたが、幼稚園の年長から東京都にお住まいです。
反田恭平さん 血液型
AB型・・・・・余談ですが、牛田智大さんと一緒ですね。
反田恭平さん 家族
反田さんは、ご両親と本人の3人家族です。
父親;サラリーマン
普通のサラリーマンで転勤族のため、単身赴任期間もあったようです。
お父さまの出身大学は、東京大学とのうわさもありますが、どうやら確実ではないようですね。
お父さんは、クラシック音楽には鈍感であり、ショパンの曲は大嫌いだったそうです。
ショパンの曲は、汚い曲にしか聞こえなかったそうです。
本人がピアノを練習していると、テレビの音量を上げていたのです。
反田さんが音楽の道に進むことも大反対でしたが、反田さんがコンクールで1位をとったことで仕方なく承諾したそうです。
音楽で食べていこうと思ったら、それぐらいの結果を残せなければ無理だと考えるのが当然かもしれませんね。お父様の気持ち、わかります。息子の本気度を試したかったんじゃないかなとも思います。
母親;主婦
音楽好きでエレクトーン演奏をしており、クラッシック曲も弾いていたようです。
漫画「のだめカンタービレ」、「ピアノの森」を愛読していました。
そして、本人にも読むようにお母さんが勧めたのです。
きっとこれは、お母さんが、本人の才能と性格を見抜き、仕掛け人として動いていたのですね。
反田恭平さん 成長過程でのエピソードいろいろ(*^-^*)
反田さんには、なかなか興味深いエピソードがあります。
活発で好きなことにはとことんチャレンジする反田少年!
その姿が目に浮かんできます。
母親が息子の才能に気づき音楽教室へ
反田さんは、4歳から始めました。電子ピアノを母親が本人のために買い与えたのですが、、、。
お母さんがある時エレクトーンを弾いていたところ、それを聴いていた本人が、すぐさま「ミッキーマウスマーチ」を両手で弾いてみせ、お母さんはそんな息子に驚き、すぐに本人に「どうして弾いたのか?」と尋ねたところ、「簡単だったから弾いた!」といったのだそうです。
この時にお母さんは息子の才能に気づき音楽教室に通わせたそうです。
耳から聴いて、即、両手で弾けるって、信じられないです!
これは、普通ではないですよ!
反田さんの音感の良さは、小さい頃からお母さんが良い音楽を聴かせていたのかもしれないって思いました!
お母さんのお腹の中にいる時から、音楽をたくさん聴いたのだと思います!
そして、本人が4歳になった頃には、音を聴き分ける脳がすでにぐんぐん育ってきていたのでしょう。
ピアノ教育の世界では、「良い耳を育てるには、良い音楽をたくさん聴くことが大切」と言われますものね。
反田さんの音楽教室での様子は、下記の記事にまとめてありますので、お読みいただけると嬉しいです🎵
↓↓↓
反田さんの小学生までの夢はサッカー選手!
反田さんは、ハイハイしている頃からボールを追いかけていたそうで、小さい頃からクラブチームに入ってサッカーをしていました。初めてクラブチームに入会した時は、名古屋に住んでいたそうです。
反田さんのお母様は、あまりにもよく動いてじっとしていない我が子の子育てが大変だったのでクラブチームに入れたようですよ。(^^;
そして、反田少年は、小学生までは、鍵盤の前に座るよりも、グラウンドを駆け回る方が好きで、ワールドカップのサッカー選手になることが夢であり、攻撃的なポジションでプレーするドリブラーだったのです!
「ドリブルのリズムがいい!」とコーチに褒められていたそうです!!!
ピアノをやっていた影響なのか、表拍のリズムから急に裏拍でフェイントをかけると相手を抜かせるという感覚があったのだといいます。(*^-^*)
とても音楽家らしいエピソードで面白いですね!
幼少時からのサッカーの練習もピアノを弾くとこと同様、運動神経発達によい影響を及ぼしたのでしょうね。
ピアノの練習ってじっとしていることができるようにならないと始まらないですよ!
実は、反田さんは、子どもの頃にバイオリンを習いに行ったこともあるのだそうですが、じっとしていられなかったので、「向いてないです!」とバイオリンの先生から即言われてしまったそうですね。(笑)
楽器を始める時期って、そういう子どもの特性もあるので、開始時期は、子どもの発達によって違ってきますよね!
反田さんは小学生の時、「綿あめ買ってくれたらピアノの練習するから!」などと言って母親にねだっていたようですから。
この頃は、どうもじっとしているピアノの練習時間は、15分、30分がやっとだったようですね。
・・・が普通の小学生は、皆これが普通ですよね。(笑)
でも、この時期に、好きなサッカーに熱中することで、将来に必要な社会性を身に着けていったのだと思いました!
反田さんが音楽の道へ進む転機は小学5年生(11歳)だった!
①サッカーの試合での骨折で心折れた反田少年!
反田さんは、サッカーの試合中に右手首を骨折し、もうこれ以上痛い思いをするのは絶対に嫌だと思い、その夢を諦め音楽の道に進むことを決めました。
小学生の頃からピアノの腕前はかなりのもので、小学4年・5年生の時には、「幻想即興曲」を、小学5年生の時には、ショパンの「エチュード」を弾いており、音楽の道に進めばいいのにと周囲からは言われていたそうです。
②「ショパンコンクール2005」のドキュメンタリー番組を見て感動した反田少年!
この時、反田さんは初めてワールドカップと同じようなものが、音楽の道にもあることを知ったそうです。
そして、世界最高峰のショパンコンクールには、世界中から選ばれしコンテスタントたちが集まってくるのですから、自分も将来この舞台に立ち演奏したいという夢が生まれたのです。
そして、ここから音楽家になる夢への挑戦が始まったのです。
今でもその時に観た関本昌平さん(第4位)と山本貴志(第4位)さんの2人は反田さんの中では、ヒーローであり続けているのです。
12歳から新たな夢がはじまったのですね。
反田さんは、プロを目指しての練習は遅いスタートだったと語っています。
反田恭平さんの人生を変えた指揮者の体験!
桐朋学園子供のための音楽教室仙川教室に通っていた時に、
「指揮者の曽我大介先生による夏の指揮者体験のワークショップ」
のチラシが目に入り、面白そうだなと思って参加したそうです。
それは偶然なのか必然なのか、、、。
チラシがあっても目に入らないこともありますし、、、。
そのワークショップでは、最終日に受講生がオーケストラを指揮するという企画があり、
3曲の中から選択することができたのですが、
反田さんは、チャイコフスキー『白鳥の湖』を選びました。
本番で、80名のオーケストラ団員を前にして反田少年は指揮棒を初めて振ったのです。
指揮棒を振り上げたその瞬間に金管楽器がワッと鳴り、それで世界が変わった!
と語っていますが、その気持ち解りますよ~!!!!
その時にクラシック音楽のカッコよさに目覚めたそうです!
その瞬間に、既に指揮者になりたいと考えた反田さんは、
曽我大介氏にどうしたらなれるかと尋ねたのです。
すると曽我氏は、
まずは、ピアノをある程度極めて、それから指揮者になったらどうかな?
と答えたそうですよ。
反田さんは、指揮者になるためにピアノに真剣に取り組むようになったのだということがわかりました。曽我大介氏の教えを守って進んでいったのですね。
反田さんの中学時代は?
母親が進めた漫画「ピアノの森」に夢中に!
中学生の時に、母親から漫画「ピアノの森」を勧められ愛読するようになると、主人公たちが弾く作品を全て調べ上げ、楽譜を購入し弾いていたそうです!!!!!
アニメの力はすごいですね。
子どもが興味を持って自発的に勉強しようと思わせてくれるアニメの力!
それにしても、反田さんらしいと思ったのは、作品を全曲調べ上げるといったころなのですよ~。ショパンコンクールの曲を選ぶ時も、徹底的に調べ上げているのですから。これは、反田さんの気質なんでしょうね。興味のあることは、とことんやり切ってしまうという。これは、男性の脳の特性とも言われています。一つのことへのこだわりの強さは、女性よりも男性の方が強いのです。コレクターと言われる人も男性が多いのも、こういった男性の脳の特性からなのですよ。
漫画「ピアノの森」ってどういうストーリーなの?
「ピアノの森」は、一色まことによる青年漫画で、掲載期間は1998年から2015年、全26巻あります。2007年にアニメーション映画化しました。テレビアニメは、NHK総合にて、第一シリーズが2018年4月から7月、第二シリーズが2019年1月から4月まで放送されました。
「ピアノの森」のあらすじ
主人公の一之瀬海(カイ)は、「森の端」に捨てられたピアノをおもちゃ代わりにして育ってきました。
ある日、カイが通う小学校に転校生として、世界的なピアニストの父を持つ雨宮修平がやってきます。
雨宮は、カイが森でピアノを弾いているところを見て驚き、そのことを小学校の教師であった阿字野壮介(あじのそうすけ)に伝えます。
かつて天才ピアニストであった阿字野はカイの才能に気づき、弟子として迎えます。
雨宮や阿字野と出会ったカイはピアニストとしての才能を開花させていき、やがてショパンコンクールで世界に挑戦します!(ウィキペディアより引用)
反田さんが、大好きだった漫画「ピアノの森」のアニメ版で、阿字野壮介(あじのそうすけ)役のピアノを担当することになりましたが、2021年のショパンコンクールでも、「あなたが弾いているのですよね?」と外国人から声をかけられたといいます。
反田恭平さん コンクールに挑戦の巻🎵
反田恭平さん 中学生からコンクールに次々と出場!その理由とは?
それは、反田さんの父親の存在がありました。
え?どういうことなの?と思いますよね。(^^;
反田さんのお父様は、クラシック、特に、ショパンの音楽は大嫌い!
反田少年が、お父さんに「高校から音楽科に行きたい!」と話したところ、
音楽の道に反対だった父親は、「中学3年生までにコンクールで1位を取ったら!」と返事をしたのです。
こんなことになったのは、実は、お母さまの作ったパンケーキを反田さんが大きい方を取ってしまったことからだそうです。
お父さんもパンケーキが大好きだったんですね。きっと。
ですから、機嫌をそこねて、こんな展開になってしまったそう。
お父さんは、きっと、コンクールで1位なんて取れっこないと思って無理難題をふっかけてきたのでしょうが、、、
反田少年は、ここからが凄いんですよ。( ^^) _U~~
次々とコンクールに出て1位獲得に挑戦していくのです!
下記は、その時に反田さんが、コンクールで受賞した結果です🎵
調べてみたところ、一位は3回、取ることができていましたよ!
反田少年は「やった!これで音楽の高校へ進学できるぞ~!!」と大喜びだったでしょうね!
お父さんも自分が言った手前、もう反対だと言えませんものね。(^^;
2008年 第18回 日本クラシック音楽コンクール 最高位
※この時の最高位は、父としては1位ではないと認めなかったそうですよ!
2009年 第2回 エレーナ・リヒテル国際ピアノコンクール 第1位
2009年 第16回 全日本ジュニアクラシック音楽コンクール 第1位
2009年 第63回 全日本学生音楽コンクール中学生の部 第2位
2010年 ショパン国際ピアノコンクール㏌ Asia 中学生部門 銀賞
きっと、お父さんも、この結果には恐れおののいていたのではないかしら?
「やるな~!息子よ!」と内心思っていたかもしれませんが。
息子とお父さんとの冷戦って感じ。
これも、ドラマチックなことですよね~!!!!
そして、反田さんは、高校から音楽の道へ進むことができたわけです。
2010年 桐朋女子高等学校音楽科入学 ※桐朋学園大学音楽部門より奨学金授与
そうですよ!すごいんです!
反田さんは、奨学金をもらって学べることになったんですよ!
これにも驚きますよね。
ちなみに桐朋学園には、男子部門、女子部門、音楽部門があって、音楽部門は共学なのです!
小林愛実さんも桐朋学園出身!反田さんと小林さんは同じ高校なのです。小林愛実さんとは、小学校から高校まで一緒だったことになります!!幼馴染なのよね。!(^^)!
憧れの音楽の高校に進学できた反田さんでしたが、高校時代は怒られてばかり(-_-メ)
ですから、反田さんは、毎日が絶望的で楽しくなかったそうなのです。
でもどうしてなのかわかりません!
なんで奨学生なのに怒られてばかりなのかしらね?
それは、反田さんは、ピアノの基礎ができていなかったからなのだそうです!
反田さんは、課題曲以外は、古典派の練習をさせられて、コンクールも受けさせてもらえなかったため、反抗期も重なって、かなりぐれてしまっていたそうです。
でも、反田さんは、自分の夢を叶えるために努力は続けていたのです。
音楽の大学へ進学をしたいと思っていました。
そして、とうとうお父さんに、「音楽大学に行きたい!」と言ったのです!!!
さて。お父さんは、どういう反応をしたのでしょうか?
やっぱり、その時も、父親は、「コンクールで1位を取らなければ許さない!」と言ったのです。
こう言われたからには、グレている場合じゃないですね。結果を出さないといけない!反田さんは、音楽大学に進むために頑張っていったのです。
反田恭平さん YouTube動画 リスト「愛の夢」
反田さんの本当にピアノはまろやかですね。(*^-^*)
2012年(高校3年生18歳)第81回日本音楽コンクール第1位 最年少で受賞
なんと高校生の優勝は11年ぶりの快挙でした。
反田さんが頭角を現したのは、高校生の時なのです!
その結果、音楽大学に進学することを父親に認めてもらえたのです。
反田さんは、中学・高校時代の5年間の基礎練習があったおかげで取れた賞であると語っています。怒られてきたけれども、結果的には、先生に恵まれていたのだと感謝しているそうです。
2013年 桐朋音楽大学入学 ※キャンパス特待生
反田恭平さんは、キャンパス特待生ってことは、すごく優秀で期待の星だったんですね。
特待生制度とは、入学試験または、所定の学内試験における専門実技の成績が極めて優秀であると認められた者に、「入学金」「運営維持費」「授業料」等の全額または一部免除をもってこれを顕彰するものです。
過去3年の実績を調べてみたのですが、2019年度 7名、2020年度 15名、2021年度 20名と少しずつ増えてきていることを知りワクワクしてきました。これからも、素晴らしいピアニストがどんどん出てきそうですね。
反田さんは、普通の大学生とは違って大学も掛け持ちしていました!すごいですよね。そんな音大時代のことをまとめた記事は下記からどうそ🎵
↓↓↓
この記事のまとめ
この記事では、反田恭平さんが生まれた時から音楽大学進学するまでの歩みをまとめました。
ここでわかったことは、反田さんのその才能をいち早く見つけたのは、お母さま。
そのお母さまによって、音楽教室へ通うことになりました。
そして、中学生にたまたまオーケストラの指揮者体験をしたことで、反田さんは、将来指揮者になる夢を抱くようになりました。
指揮者になるためには、ピアノを極めることが大事であるといわれ、ピアノに真剣に向き合うようになりました。
そして、音楽高校や、音楽大学への進学に反対であったお父さまに対しては、コンクールで1位をとるといった結果を出し、しぶしぶであっても認めてもらうことが出来ました。
お母さまは、反田少年が楽しく学べるように、漫画「ピアノの森」や「のだめカンタービレ」を勧めたりしていましたね。
反対する父と協力する母、このような両親に育てられた反田少年だったのです!
そして、ピアノの基礎ができていなかったので、中学、高校時代にしごかれていたという事実も判明致しました。(^^;
そして、しごかれた成果、高校3年生で日本音楽コンクールに出場し、最年少での優勝を果たしたのです!
快挙でした!
いつも最後までお読みいただきありがとうございます!!!
反田恭平さんに関する記事は他にもありますので、よろしければ下記からご覧になってくださいませ🎵
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反田恭平;奈良に音楽の学校を創設する夢近づく!ジャパンナショナルオーケストラ活躍!
反田恭平さん,ショパンコンクール戦略も天才的;侍ヘア&肉体改造&プログラム&審査員対策って?
反田恭平,2021ショパンコンクール2位,モスクワ音大恩師「10年に1度の逸材!」とべた褒め(^^♪
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