坂本龍一さん,闘病中愛に救われた,入院中パートナーと「ロミジュリ」,頼れる友達がいる幸せとは?

坂本龍一さんの連載「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」を読んで感動したことをまとめています。

その中でも、病気になってからの生き方について感動する記述が沢山ありましたので、皆様にもぜひ知っていただけたらいいなという思いでいます。



坂本龍一さん:友達という存在がいることが幸せ

坂本龍一さんは入院中の時とにかく気が滅入っていたそうです。

そんな時に、友達という存在についても考えていたというのです。

坂本さんは、昔から「自分には友達がいない」と言うのが口癖であったと語ってみえます。

そして、20年くらい前に一度友達の定義をしてみたことがあったそうです。

面白いですよね、そういったところが。

その時の結論は、「自分が本当に困った瞬間に真っ先に電話できるのが友達だろう」ということに落ち着いたようですね。

本当に困った時とは、例えば、家が火事になったり、泥棒に入られたり、あるいはトイレの水が止まらなくなったりなどだそう。

そして、今回、坂本龍一さんは、自らの死に直面して改めて相談したいと思える人を数えてみたそうです。

そうしたところ、ありがたいことに、アメリカにもヨーロッパにもそしてもちろん日本にも何人かいると思ったそうです。

坂本さんにとって友達とは、思想信条や趣味が違っていることについては、全然問題なく、ただただ、頼りになる人、そんな存在が少なくても確実にいるので、それだけで自分は幸せだなと感じたと綴られています。

その中のひとりが、ドイツ人アーティストのカールステン・ニコライという人です。

カールステンは、強面だけれども、「おとっつあん」と呼びたくなるような家族思いの気持ちの良い性格で、出会ったその日から仲良くなったそうです。

大手術を控えていた坂本龍一さんが時に真っ先に連絡したいと思ったのが、カールステンだったそうですから、カールステンも、きっと、おそらく、坂本龍一さんの訃報にショックを受けているのでしょうね。

坂本龍一さんが辛い時に一番話がしたいと思った友人カールステンってどんな人?

わたしは、カールステンってどんな人なんだろう?と興味を持ったので、調べてみることにしました。

ウィキペディアによりますと、カールステン・ニコライ (Carsten Nicolai)は、1965年生まれの は、ドイツのミュージシャンで、アルヴァ・ノトAlva Noto)の活動名で知られているとのこと。

カールステンの音楽のジャンルは、エレクトロニカ・グリッチ(英語版)ミクロサウンド(英語版)・実験音楽などがあげられ、坂本龍一さんとのコラボレーションにより、日本国内での知名度も高まったそうです。

カールステン・ニコライは、実験音楽のミュージシャン、池田亮司とのユニット・Cyclo.での活動でも知られているとのこと。

なるほど、そうか、、坂本龍一さんは、カールステンが興味を持って取り組んでいることと方向性が似ているんだな、、。

坂本さん自身が追求していることと、カールステンが追求している音楽には、共通することも多かったため、仕事仲間としては最高のパートナーだったんでしょうね。

そして、人間的にも素晴らしい人であったことから、友情を抱き信頼を寄せていたのでしょうね。

カールステンは、少年時代には、こうもりに魅せられ、こうもりとコミュニケーションがとれると信じていたという、そんな、純粋というか、夢を持っているというか、不思議というか、そんな人であったといいます。

それが、現在のカールステンの音楽的興味や外見に影響を及ぼしているとされているのですが、こんなところも坂本龍一さんは気に入っていたのかもしれませんね~。

カールステンは、建築とランドスケープデザインを学んだのち、音と空間の理論的性質へ興味をいだき追求しはじめました。

まるでルネサンス時代の音楽家のようだなと私は感じました。

坂本龍一さんと同様に、新しい音楽を試みている音楽家であると。

カールステンは、音をループ回路のオシレータと音声信号発振器を用いて変形させることや、シークエンサーは使用しないけれども、リズム構造を曲に加えるための編集は行なっており、

クリック音、グリッチを、装飾的な添加としてではなく、曲の根源的なリズムや和声的要素として用いているそうです。

ファクシミリの音やモデム、電話のピッピッという音やボタンを押す音といった日常の何気ない音の素材をしばしば引用して曲に取り入れているそうです。

このことを知って、こんなところも、坂本龍一さんとの共通点があるあると知りました。

坂本龍一さんは、世界の色々な方との交流があったと思いますので、その中で、心から頼れると思える存在、友達と出会うことができた人生だったのですね。

沢山友達がいるようで、実は、頼れる人がいないという人もいますよね。

そういう私も、その一人かも。 (>_<)

頼れる友達がいないといっても、何かきっと他に頼れるものが見つかるのではとは思うのですが、わたくしも、人生の最期に会いたいなと思える友達を作っておきたいなと感じます。

打算ではなく、純粋に、これからの人生、そういう付き合い方ができたらいいなと感じています。



坂本龍一さん:パートナーの愛に救われた

坂本龍一さんは、何度も何度も手術を受けて大変な思いをしてきました。

ちょうど、コロナ禍であり、入院中は面会ができず、パートナーの方に会いたくても直接会うということもできなかったのです。

坂本さんは、手術が終わって食事がとれるようになってからは、病院食への不満が出てきてしまったそうです。

食欲が回復してからは、わがままを言って鰻屋カツ丼を差し入れてもらっていたそうですよ。

それも、毎日のように。

坂本龍一さんには、パートナーがいて、その方が差し入れに来てくれていたのです。

食事は大事ですものね。

けれども、コロナのせいで面会禁止だったため、直接話すことができなかったのです。

お互い寂しかったでしょうね。

それで、いつしか病院の向かいのシャドウを挟んで互いに手を振り合う習慣ができたそうです。

とってもロマンティックな感じですよね。

素敵だわとニンマリしてしまいます!

夕方、スマホのライトをつけて、「ここだよ!」道路越しにパートナーは手を振るのです。

そうすると、十回の病室の窓から、坂本龍一さんがそれに答えてライトを振るのです。

そのライトは、豆粒のように光が左右に揺れて見えるのです!

パートナーとしては、坂本さんをベッドから立ち上がらせようという目的もあってこの方法を思いついたということです。

すぐそばにいるのに会えないので、ロミオとジュリエットみたいだね、なんて言いあっていたそうで、この習慣に「ロミジュリ」という名が付いたそうですよ。

「ロミジュリ」は、1ヶ月ぐらい毎日続いたそう。

その後、坂本さんが入院する度にパートナーの方は、同じようにしてくれたということで、坂本さんは、「ベタな言い方だけど、つらい時にこそ愛に救われると思いました。」と語っています。

そういった気持ちを正直に雑誌に投稿されるところも坂本龍一さんの魅力だと感じます!

そのパートナーの方とは、入籍されなかったようですが、色々な事情があったのでしょうね。

入籍するとかしないとか、愛するということには、あまり関係しないですものね。

入籍していないからこそ、純粋な愛を感じるところもあります。

パートナーの方にとっても坂本龍一さんとの時間が財産だったのでしょうね~。

おそらく。

人は亡くなってしまっても、その人の記憶の中で生き続けていくのですから、このロミジュリは、パートナーの方にとって、かけがえのない思い出になっていくのでしょうね。

今は、きっと、この思い出が辛い時期になっている、そして、何年後かには、この思い出が宝物に変わっていくと感じるのです。



坂本龍一さん:人生の最期の愛と音楽

坂本龍一さんは、人生の最期の最期まで音楽とともに生きられました。

そして、それを支えていたのが愛でした!

パートナーとの愛、友人との愛などです。

他にも、医療関係者への感謝の気持ちなど。

おそらく、他にも沢山の方の愛を感じてみえたのではないでしょうか。

そういった愛を感じる中で最期まで音楽制作をされていた。

そう、ですから、いろんな形での愛を人生の中で見つけていきたいとあらためて感じたわたしです。

Haruharu笑顔
Haruharu

最後までお読みいただきありがとうございました。

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