坂本龍一さんが死去されたニュースが4月2日に報道されました。わたしは、坂本龍一さんが連載されていた「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」を拝読させていただいていましたので、その中で、「死後の世界」について書かれていたことを思い出し、振り返っているところです。
坂本龍一さん:「死後の世界」についてどう綴っていたの?
みなさまは、「死後の世界」について考えたことはありますか?
「死後の世界」はあると思いますか?
わたしは、「死後の世界」はないと思っているのに、心のどこかで亡き母が「死後の世界」で生きているかなと考えているところもあります。
坂本龍一さんが映画「コンタクト」について思うこと
坂本龍一さんは、ジョディ・フォスター主演でロバートゼメキス監督が撮った、『コンタクト』という映画について書かれていました。
『コンタクト』は、NASAで惑星探査のリーダーも務めたカールセーガンの小説を原作にしたSF大作です。
公開当時かなり話題になった映画でしたのでご覧になった方も多いかもしれませんね。
この『コンタクト』という映画のあらすじですが、主人公のエリーは、”フォスター”が演じていました。
エリーは、天文学の研究者で、幼い頃から「宇宙には何か生命体がいるのではないか?」と興味を持ち続けていました。
しかし、エリーの最大の理解者であった父は若くして亡くなってしまいます。
そして映画の後半ですが、宇宙船ポッドに乗り込んだエリは、最愛の父と出会うのです!
エリーは、ワームホールを抜けながら時空間を移動していったのですが、その先には、
青い海が広がっていて、その白い砂浜には父が立っていたのでした。
実際には、父ではなく、地球外の知的生命体が父の姿を借りて現れたものだったのですが。
しかし、エリーはそれでもその再会に救われたのです。
この広い宇宙で私たちは一人ぼっちではないというのがこの作品のテーマでした。
坂本龍一さんはこの作品に対して以下のように綴っています。
カールセーガンは、コーネル大学の教授でもありましたし、彼のアカデミックなキャリアを考えると、ここまでロマンティックな物語を描くことに普通は抵抗があるはずです。
それでもセーガンは一流の科学者として活動しながら、同時にこうした想像力を持ち合わせていた。
僕はこのことには重要な意味があると感じます。
坂本龍一さんの映画への思いがひしひしと伝わってきます。
作者がどんな経歴の持ち主で何を表現しようとしていたのか、その作品から何を感じ取るのか。
それは、それぞれの受け止め方で違ってくるのでしょうが、この作品について、坂本さんが、余命宣告を受けてから思い出して綴っていたという事実から、この作品を心の支えといいますか、拠り所の一つとしていたのではないかと私は感じたのです。
夢があるんです!
希望があるのです!
坂本龍一さんが亡き「アントニオ・カルロス・ジョビン」について思うこと
そして、もう一つ、綴られていたこと、それは、20世紀を代表するブラジル音楽の作曲家である「アントニオ・カルロス・ジョビン」についてです。
坂本龍一さんが敬愛してやまない音楽家といえば、「アントニオ・カルロス・ジョビン」。
アントニオ・カルロス・ジョビンは、ふるさとであるブラジルの自然を深く愛するエコロジストとしても知られていたそうです。
ですから、ジョビンは、リオデジャネイロで行われた地球サミットにも曲を提供しているそう。
ジョビンは、アマゾンの熱帯雨林が伐採されていくことには、人一倍ひどく心を痛めていたそうなのです。
そして、生前には、下記のような言葉を残していたといいます。
神が、こうもあっけなく、アマゾンで300万の樹木を打ち倒させているのは、きっとどこか別の場所でそれらの樹木を再生させているからだろう。
そこには、きっと、猿がいれば、花もあり、きれいな水が流れているに違いない。
僕はね、死んだらそこへ行くんだ。
日本人は、殆どの人が無宗教ですが、日本人を除いた大方の国の人は、自分が信じり宗教があり、それが基礎、核となって、死後の世界などについても考えることができるんだと感じます。
それは、死期が近づいてきた人間にとっては必要な考え方になるのだろうか、、、。
救いになるのだろうか、、、。
坂本龍一さんが「死後の世界」について考えていることは?
坂本龍一さんの思いを感じていただきたく、引用させていただくことにしました。
よく家族で夜空を眺めては、「あのきらきら光っている星が亡くなったおじいちゃんだよ」と、親が子供に言い聞かせたりしますよね。
科学的に言えば強い光をはなっているのは遠く離れた恒星で、太陽の何千倍ものエネルギーを持っていますからとても人間が住める環境ではないはずです。
でも子供には、親のその言葉を信じたい時がある。
セーガンやジョビンの想像力、そして死んだらお星さまになるという素朴なファンタジーを今の僕は決して否定したくありません。
果たして死後の世界があるかどうか分からないけれど、ぼんやりとそんなことを考えています。
この記事をまとめてみた感想です
人には、想像力というものが備わっています。
苦しい時ほど、創造性が発揮されるのではないかと感じます。
そして、その想像力が現実の痛みを和らげることができるのではないかと思いました。
人間に与えられた創造性、これは、AIの時代になっても、人は、それを支えとして生き抜いていくことになるのではないでしょうか
それが、私たち人間が最期の最期までできること、なのではないかと感じました。
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