反田恭平さんのショパンコンクール受賞直後のインタビュー内容です。受賞直後に、反田さんは、一番苦しかった時のことも語ってくれていました。自分が精神的にかなり危険な状態だったことも、このインタビューの時に語ってみえました。本当に、2位に入賞できてよかったなって、あらためて感じている今日この頃です。
反田恭平さん:ショパコン2位入賞の感想は?
反田さんは、『一気に世界が変わってしまった!』『大変恐縮でむしろ恐れがある。』とお話しされてみえました。
それは、具体的にどういったことなのでしょうか?
お話ししていきたいと思います。 (*^-^*)
反田恭平さん;『一気に世界が変わってしまった』と語っていた
反田さんは、「自分の心が勝手においていかれて、周りがチヤホヤ騒いでるなという感じ。」
「自分はそれを俯瞰して見ている感じ。」であるとお話しされていました。
幸いにも、このインタビューを受けていた時は、反田さんは、ヨーロッパにいたため日本のテレビやニュースを全く見ることができなかったそうです。
反田さんの携帯には、なんと、メッセージがなんと500件以上もきて、携帯が壊れそうなぐらいだったそうです!これは、本当に驚きますよね。
反田恭平さん:『2位に入賞は、本当に大変恐縮だし、むしろ恐れというのもあった』と語っていた
反田恭平さんは、2位入賞したことの意味をとても真摯に受け止めていました。
そして、その謙虚な姿勢と苦しかった気持ちを素直に語ってくださっていました。
わたしは、そんな反田さんの姿も、大勢の聴衆が魅了してやまない理由の一つであると感じます。
しかし、通常ならば、2位に入賞という素晴らしい結果を残すことができたのですから、「とっても嬉しい!」という気持ちになるのでしょうが、この「大変恐縮である」という言葉をお聞きし、反田さんの当時の思いは、こんなふうだったんではないかなと私が感じ、考えたことをこれからお話ししていきたいと思います。
反田さんは、このショパンコンクールのコンテスタント達のレベルが非常に高かったこと、誰が入賞してもおかしくなかったということで、自分が選ばれたことに対して、本当にこの自分がこの2位入賞というものを頂いてもいいのかという気持ちになってしまっていたのだと思いました。
海外コンクール経験の少なかった反田さんにとって、今回のショパンコンクールは想像以上につらく、メンタルの状態は、今振り返ってみるととても危険なところまでいってしまっていたのですから、自分の評価を現実よりも低く低く見積もってしまっていたと思われます。
メンタルが不調になると、自分はダメだなっていう思いの方が強くなってしまいます。
そして、もうひとつ、『恐れ』という言葉です。
わたしは、昔、企業の保健師としてメンタル相談を行っていました。ですので、そのような言葉にはついつい、とても敏感になってしまうのです。
そうったこともあり、この『恐れ』という表現にも、2位入賞したことへの責任、そんなに重責を感じなくてもいいのですが、かなり自分を追い込んだ考え方になってしまっているという風に受け取れました。
こんなにスゴイ賞を受賞してしまって、これから大変だな、そんな思いが反田さんの脳裏を駆け巡っていたのでしょう。
すごく真面目な気質がそうさせているんですよね。
その後に何度もインタビューを受けていく中で、話の内容や、今の気持ちなど、少しずつ変化していったのですが、そんな心理的変化を見守っていくのも興味深かったです。
本当に本当に、反田さんのメンタルが壊れなくてよかったとホットしています!
壊れてしまっていたら、日本のクラシック界はいったいどうなってしまっていたのかなって。
ショパンコンクールに出なくても日本一チケットが取れないピアニストだったのですから!
反田恭平さん:ショパンコンクールの間の心身の状態がかなりヤバかった!
反田さんは、こんなに国際コンクールを受けることが大変だとは知らなかったそうです。
ショパンコンクールは、予備予選から本選までの期間が長いですから、本当に大変でしたよね。
反田恭平さんのメンタルがかなりヤバい状態であったということを、前の章で記述させていただいたのですが、ご本人がインタビュー時に語った言葉を掲載させていただきます。
反田さんは下記ののように話されました。
「1か月間本当に苦しかったし、正直、すごいプレッシャーもあったし、今まで体験したことないくらい辛かったし、全然そういう体質ではなかったのに、緊張でもどしちゃったり、でも、最終的に今こうして笑っていられるのは、本当に幸せなことだと思う。」
わたしは、反田さんの言葉の中で、『最終的に今こうして笑っていられるのは、本当に幸せなことだと思う。』というところに反田さん自身、メンタルが回復して良かった、そういう思いをしみじみと感じていた、本当に、無事に終わったことを一番幸せに感じていたんだなと思ったのです!
反田さんは、コンクールの期間中の、感情の浮き沈みが激しかったそうですから。
これは、躁(そう)と鬱(うつ)の波の間隔が短くなってきていたということだと思われます。
反田さんは、もう少しでメンタルがやられてしまい病気になってしまっていたかもしれないのです。
この状態については、茂木健一郎さんも反田恭平さんとの対談の中でお話しされていました。
茂木健一郎さんは、反田さんの著書である「終止符のない人生」を読み、そう感じたのだそうです。
反田さんは、病気になるギリギリのところで、何とか持ちこたえていたのだと思われます。
もうメンタルが危ないと感じた時に、自らの判断で、一旦ピアノから離れる時間を作ったそうなのです。
これが、いわゆる、セルフケアと言われるものです。とても賢い選択だったと思います。
本当に、このことにより、メンタルが復活できたのですから。
人間、どんな素晴らしい賞をもらっても、一番幸せなのは、笑って過ごせることなんですよね。
反田恭平さん:コンクールがあまり好きでないのにショパコンに出た理由とは?
反田さんは、ショパンコンクールというものがあることを12歳の時初めて知り、①ファイナルで弾くことがその頃からの夢であったこと、そして、②自分のピアノのレベルが世界でどの程度なのか知りたかったという理由からだそうです。
反田恭平さん:12歳からファイナルでコンチェルトを弾くことへの夢を抱いた少年だった!
ショパンコンクールのファイナルでの演奏時間は40分間あります。
ですので、反田さんは、『40分夢が叶い続けた!』という表現をされていました。
私は、反田さんのその表現「夢が叶い続ける」というものに新鮮さを感じました!
反田さんは、12歳からの夢だったステージを全身全霊で楽しめたんだと思いました。
そして、反田さんにとっては、このコンクールは通過点にしか過ぎないということでしたので、『12歳からの夢』を叶えた今、これからの夢が気になるところですね!
反田恭平さん:12歳までの夢はサッカー選手になることだった!
反田さんは、12歳まではサッカー選手になりたかったそうです。
サッカーにも大変熱が入っていたようです。
そして、それまでは、ピアノは趣味程度に弾いていたとのことです。
ですから、当時のピアノ教室の先生に言わせると、このような成長を遂げた反田さんについては以外だったとのことですよ。
反田恭平さん:12歳から本格的にピアノレッスンを開始
「普通の人は、だいたい12歳頃にピアノを辞めてしまうことが多いのだけど、自分はそれとは違って遅いスタートだった。」とお話しされていました。
やっぱり、自分にスイッチが入ってこそ結果が出せるんだと思いましたが、反田さんの才能は生まれ持ったものも大きいですよね。成育歴を見ても、、、、。
反田さんは、高校在学中に頭角を現すようになり、日本一チケットが取れないピアニストとして有名になっていました。
ショパンコンクールには、入賞できなかった時のリスクも背負っての出場でした。
反田さんがショパンコンクールに出場することに対してあまり賛成しない人もいたのですが、自分の夢を叶えるために努力したのですね。
受賞直後のインタビューでは、特に、子どもたちに夢をあきらめないで欲しいということを伝えたい気持ちが全面に出ていたと思います!!!
反田さんの教育者としての姿を感じ取ることができました。 (*^-^*)
反田さんの子どもの頃についてまとめた記事は下記です。
反田恭平さん:「ピアノの練習」をどう捉えているのか?
反田さんは、日頃からあまり鍵盤に向かう練習をしていなかったので、指がなまる感覚を今まで感じたことがなかったそうですが、「今回は、2日、3日弾かないだけで、すごく指が固いし重くなる感覚があり、これからは、一日1~2時間は練習しようと思っている。」と話されていました。
そして、反田さんはまた、「決して鍵盤に向かう練習だけが大事ということではないと思っている。鍵盤を触らなくてても、楽譜を読むこと、楽譜を遠目において絵画のように見てみるとか、本を読んだり、映画を観て泣いたり笑ったりの感情もとても大事であると考えている。」とも話されました。
反田さんのピアノの練習についての考え方は奥が深いですね。
その反田さんの言葉を聴いて、私は、ハットさせられました!
人生経験全てが音楽表現に生かされていきますものね。
心豊かに生きることが音楽の表現に影響を及ぼしていくのですね。
これから音楽家を目指す人たちには、反田さんのこの言葉は、とても参考になったと感じています。
反田さんは、素晴らしい教育者になって日本のクラシック界を盛り上げてくれそうですね!私は、すごーく、期待しているのです!
反田恭平さん:これからの目標&夢は? 後輩育成か?
大尊敬するピアニストの内田光子さんが、1970年第8回(51年前)に2位になって、それから同じポジションに立つ日本人が誰一人いなく、ましては優勝する人もいなかったので、今回、ショパンコンクールに出る限りは優勝を狙っていたと話されていました。
ただ、いざ出場してファイナルまで行ってみると、順位は後からくるものでいいかなという感じになったそうです。
そして今は、将来、学び舎を建てたいと思っていると語っていました。
未来の日本の素晴らしいピアニストたちに、自分が取れなかった1位を託したいなと思い始めたそうです。
今自分がショパンについて勉強して研究していることを、伝えられるような立派な音楽家になりたいと思っていると、、、。
そのために、会社を立ち上げて、自分のオーケストラを作って、学生がいつでもオーケストラと演奏できるようにと思い、計画的に進めていると話されていました。
反田恭平さんは、きっと、受賞後のインタビューの内容もきちんと用意していたのでしょうね。
話の筋道がしっかりしていますし、こうして記事を読み返してみると、自分の経歴やこれからの目標などをちゃんと受賞直後に発信できているんですからね。
そんなところも、反田さんの凄いところでしょうね!
なんてったって、社長でもありますから。
「反田恭平さん=用意周到!」って感じです。 (^_-)-☆
チャンスを決して逃さない、逃したくない、そんなところがありますね。
そして、今回2位受賞されたこの実績を持って、反田さんなら、きっと、命をかけて自分の目標に向かっていかれることでしょう!
そんな気迫を感じます。
もう、これは、長生きして反田さんの活躍を見守っていくしかないですよ!
最後までお読みいただきありがとうございました!
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