この記事では、西川悟平さんが、どのような経緯で、パラリンピック閉会式での演奏をすることになった経緯を知ることができます。なんだか、この経緯も面白いんですよ。悟平さんらしいです。
西川悟平さんが東京パラリンピックを夢見るようになったのはいつ?どうして?
西川悟平さんは、「東京パラリンピック2020」での演奏を夢見るようになっていました。
それは、偶然の始まりでした。
そう、偶然なんですよ~!!
6年前、悟平さんがまだニューヨークにいる時のこと、
東京でオリンピックが開催されることが決まったというニュースが入ったそうなのです。
おぉっ、きたきた~!!!!
その時、悟平さんは、
「年齢的に言っても、自分が生きている間に、東京でオリンピックが開催されるのは、
これで最後じゃないか!」と思ったそうです。
そう思った悟平さんは、「東京オリンピックでピアノ演奏したい!」と、
周囲の人たちに話していたそうなのですが、実は、初めは冗談だったそうなのです!
え~っ!そうだったの????
そんな冗談から始まったことが、、、、
自分で何回もそれを口にするうちに本気になっていったというのです。(*^-^*)
そうなんですよね~。
自分で言っているうちに、本当に脳が錯覚してしまうんでしょうね~。
西川悟平さんは、会う人会う人に自分の夢を口にしていったそうですよ。
「はじめまして、西川梧平です。
えっと、僕の夢はね、東京オリンピックでピアノを演奏することなんです。」 |
。。。と言った具合に。(*^-^*)
梧平さんは、第一声に自分の夢を語るので、インパクトがとっても高かったのだそうです!
そうですよね~、
第一声にこんなこと言われたら、
どんな人なんだいって思いますものね。
これは、夢を叶えるための必殺技かもしれませんね。
パラリンピックでの演奏の夢はどうして叶ったのか?
西川悟平さんは、ロンドンデビュー公演中にステージ上で聴衆を前にして
「東京オリンピックでの演奏が夢である」と話したのです。
たまたま、その公演にスコットランドの映画プロデューサーが来ており、
悟平さんの発言に興味を示し、翌日2人は食事を一緒にすることになったのです。
そうしたところ、そのスコットランドの映画プロデューサーが、
「自分が携わっている映画が、来年、日本で公開されるので、
その映画のオープニング・パォーマンスで30分ぐらい弾いてくれないか?」
と悟平さんに話を持ち掛けてきたというのです。
きっと、悟平さんのピアノ&人となりが気に入ったのでしょうね。(*^-^*)
翌年、本当に、そのスコットランドの映画プロデューサーは、悟平さんを訪ねて
ニューヨークまで行ったのだそうですよ。
本気だったんですね~。
こうして、悟平さんは、東京での演奏が実現したのですが、
東京での演奏時にも、自分が東京オリンピックでの演奏を夢みていることを話したそうなのです。
そうしたところ、
その東京の会場に偶然にも、
東京オリンピックの組織委員の会長の秘書さんが来ていたそうで、
その翌週には、30分ぐらい演奏する機会を設けてもらうことができて、
即、組織委員会のメンバーとして名前が載ることになったのです!
とんとん拍子ですね。(*^-^*)
こうして、西川悟平さんがロンドン公演で東京2020で演奏したいと発言してから、
その噂はヨーロッパ中に広がり、アメリカまで入り、アメリカから日本へと、
世界中に噂が広がっていったのです。
西川悟平さんのように世界で活躍する人の噂話は世界中に広がるものなのですね。(*^-^*)
そして、ついに、西川悟平さんのもとに、
日本のパラリンピック閉会式のプロデューサー小橋賢児(42)さんから、連絡が入ったのです!
それも結構直前だったそうです。
悟平さんは、もう自分にはオファーはないと諦めかけていたそうなのです。
良かったですね~。
オファーが来て!!!!
〔小橋賢児さんのプロフィール〕
小橋さんは、8歳で芸能界入りをして俳優として活躍していましたが、一時期、芸能活動を中断し、イベントプロデューサーなどを行っていました。 そして、2012年公開のドキュメンタリー映画「DON’T STOP!」という映画の監督としてデビューしました。車いすで生活する男性のアメリカ横断に同行したドキュメンタリー映画です。 その後も俳優、プロデューサーとしてマルチに活動している方です。 |
小橋賢児さんも、実は、、、、悟平さんに1回30分だけ会っていて、
弾丸初対面トークを聴いていたひとりでした!
悟平さんの携帯の待ち受け画面が、
東京2020オリンピックのエンブレムの画面になっていたため、
それが大変印象的で強烈に記憶に残っていたのだというのです。
悟平さんの言葉とエンブレムの画像、
聴覚と視覚からの情報がそのプロデューサーの記憶に強烈に残っていたんでしょう(^^♪
ですから、悟平さんのことをすぐに思い出せたのですね。(*^-^*)
小橋賢児さんは、「西川悟平さんに頼むしかいない!」と思ったのだそうですから!!!!!
今回、開会式・閉会式のことやら、
色々と振り出しに戻ることが多かったので、
時間的にも限られる中、新しく担当になった方は、相当大変だったこと推察します。
ひょっとしたら、西川悟平さんの存在がなけれは、
東京パラリンピック閉会式の企画も窮地に追い込まれていたのかもしれませんね。
そういった縁なるものがあるのだと思ったのです。(*^-^*)
角野隼人さんのラジオ番組に西川悟平さんがゲスト出演
話は変わりますが、
たまたま、角野隼人さんのラジオ番組に西川悟平さんがゲスト出演されていたので
動画をアップしました。
御覧くださいね。(*^-^*)
2人のトークに癒されますよ~(#^^#)
東京オリンピックの話は終わりの方ですが、、、、。
私が一番このラジオ番組の内容で驚いたのは、
西川梧平さんがピアノを15歳で始めて3年間のうちにどうやってコンチェルトまで弾けるようになったのか?????
ということでした。
西川五平さんは、「バイエルを弾く練習をしながらも、頭の中ではショパンの音楽が鳴っていた!」
というのです。
今まで、何度となくYouTube動画にてインタビューを受けている西川悟平さんなのですが、
一番知りたいことを深堀してくれるインタビュアーがなかなかいなかったため、
角野隼人さんにはお礼を伝えたいです。(#^^#)
やっぱり音楽家同士の話は、音楽についての話が色々と聴けていいですね。
ピアノの練習方法などもとっても参考になりましたし。
次回、またこのような機会があるならば、角野隼人さんから、西川悟平さんの音楽の作り方について是非ともふかぼって欲しいです!
この動画には、出てこない話なのですが、
実は、西川悟平さん、本当は、
東京オリンピックの開会式とパラリンピック閉会式の両方を狙っていたんですって(*^-^*)
オリンピックの開会式は、
「次期オリンピック開催国で実現できたらいいな~」と考えているようでしたが、
これも、本気になっていくのでしょうか?
ちなみに、次期オリンピックは、2024年 7月26日 から 8月11日 までの17日間、
フランス の パリ で開催される予定です。
パリでの演奏を狙っているのですね~。(*^-^*)
その先も楽しみですね。
東京オリンピック・パラリンピック開閉会式のコンセプト(参考まで)
東京五輪・パラリンピックの開閉会式の共通コンセプトは
「Moving Forward」
これは、(新型コロナウイルスが拡大している)という状況下で開催される大会だからこそ、
スポーツの力で世界中をつなげ、未来に向かって希望を生み出す場にしていきたいという
思いを込めたのだそうです!
そして、閉会式のコンセプトは、
「Harmonious Cacophony(ハーモニアス カコフォニー)」
※ 和訳は示されていませんが、直訳では、「調和した不協和音」です。
素敵なコンセプトですね。(*^-^*)
このような言葉を具体的な形にしていくって素敵ですね。
英語表記のものを和訳していないというのも納得です。
和訳は、自分の中で広げていけばいいと思いました。
西川悟平さんの新たな境地とは?
NHKドキュメンタリーより、
この病気はギフトです!神様からの贈り物です!
西川悟平さんは、「7本も動くようになってありがとう!」といつも感謝しているのです。
「一般的には障がいと言われるが、今の方が深い演奏ができる!」と自信を持って語っています。
もう西川悟平さんにとって7本指での演奏は「障がい」ではないという解釈でいいと思います!
もし仮に、残りの3本が治療で治るって可能性があっても治さないと思うんだよね。
それだったら、今動く7本指で10本分ぐらいの勉強をしていこうと決めたの。
ゼロに戻して10本を動かす方に集中するんじゃなくて、 7本で10本分ぐらい弾けるぐらいにまでなろうと自分を変えたんです。 むしろ僕は、ベネフィットと考えている。 自分はいい方に考えている。 その分、考えることがいっぱいあるから。 |
動く指に集中して、自分の演奏スタイルを探し続けてきた西川悟平さんは、
自分のピアノの音色を追求していく楽しさとその魅力に気づいてしまったのです。
悟平さんの音色への探求心が半端ないです!!!
悟平さんは、音に次の音を重ね、
独自の響きを作っていくという試みの楽しさに目覚めてしまったのですが、
これは、料理でも洋服のコーディネートでもその他何につけても言えることだと思います!
使える素材が少ない方が、それをどうやって上手く活用して良いものを生み出せるのか?
と真剣に考えるものです。
「サイコロの目の出方が何通りあるのか?」
という算数みたいなもので、組み合わせ方により、
無限に自分で音色を作っていくことができるのだということに私もこの度気づきました。
人は、ある程度の枠の中で工夫して生きることで、
自分の可能性に向き合うことができるのかもしれない。
選択肢がありすぎても迷ってしまうけど、
自分にはこれしかないと思って夢中になって出口を見つけようとするから、
新しいことに出会えるのでしょうね。
西川悟平さんがピアノを弾く理由は?
それは、純粋に、ピアノが好き!ということ。
西川悟平さんは、
ピアノを弾けなければ、自分が何かわからなくなってしまい、 自分の表現の方法を失うことになってしまう。 それぐらいピアノは大事なもの。 病気で指が7本しか動かなくなっても、ピアノを続けたのは、ただ好きだったから。 と語っています。 |
ただただ好きなことだったから、、という理由、、、
原点に戻れますね。
好きなことを続けていくことって、大事なことですね。
当たり前なことだけど見失ってしまいますから。
カタチに拘るとね。
どんな形であっても、好きなことを続けることができる、
こうでないといけないってことはないっていうことについて考え直した私です。
プロとしてピアノを弾くことは一生無理だと宣告を受けても、ピアノが好きだという気持ちは消えなかった
西川悟平さんは、プロとしてピアノを弾くことではなく、
ピアノを弾くことそのものが、
自分を表現する手段であり、生きることそのものなのでした。
ピアノを続けてきたのも、素晴らしいピアノ曲が沢山あって、
あれも弾けるようになりたい、
これも弾けるようになりたいという思いで、
次から次へと練習を重ねていったといいます。
ただ、それだけだったといいます。
ピアノを始めた年齢が遅かったため、もともとプロの演奏家になろうと思っていたのではなく、
リクエストに答えることができるピアノの先生を目指していたのですから。
その先に、結果として、演奏家としての活躍があったということなのです。
自分が好きなことを自ら選んで続けていくその先には、何が待ち受けているのでしょう?
人生って、はたから見た幸せや成功と、内面で感じる幸せとは一致しないことが多いと思います。
「自分が嬉しくて楽しくて続けたいことに出会えているか?」
他者から認められているとか評価されているとかではなく。
これは、私にとっても、常に自問自答が必要だな~。(^^;
西川悟平さん;コンサートではトークも評判に!
今では自由自在に面白トークを繰り広げる西川悟平さんも、
初めは台本を書いて練習していたそうですよ!
何度も話すうちに話せるようになってきたのだと語っています。
実際に、2時間のコンサートでは、トーク8割、演奏2割なんだそうです!(*^-^*)
こんなにトークが長いとは自分でも思っていなかったそうなのです。
「ピアノ界のさだまさし」とも言われているらしいですね。
梧平さんとしては、
言葉でしか現せないことはトークで、
言葉で表現できないことは、
ピアノで表現しているのだと言います。(*^-^*)
いわゆる流行りの「二刀流」ですね!
悟平さんの人生は、どこを切り取っても興味深いので、話は尽きないでしょうね~。
特に、ニューヨークでの20年間の生活は、なかなかハードな体験であり、それを悟平流に語ってくれるので、ツボにはまるのです!
悟平さんのお話しには、面白可笑しいように話ながらも、
実は、人生の悲劇と喜劇が織り交ざり、ついつい引き込まれてしまう内容なのです。
そして、話のネタの展開のさせ方で気づかされるのは、相手の話を傾聴し共感するということ。
例えば、悟平さんの鉄板ネタである、
「強盗と仲良くなった」というお話があるのですが、
強盗の背中に哀愁が漂っていたそうで、
「この強盗の子供時代はどうだったのだろう?」と疑問に思い、
話を聴き、それがなんと8時間にも及んだそうなのですが、
最後には、その強盗は、盗んだ物を全て返してくれて、
おまけに自宅の修繕までしていってくれたという話なのです。
・・・・超省略系で記述いたしました。(*^-^*)
かなりハードな自分の体験談をもとに語ってくださるので説得力があるのですが、
心理学を学んだことがある人であれば、学問としての裏付けにもガッテンすると思います。
私も、ガッテンしましたよ。(*^-^*)
そんな究極な場面でもこの傾聴技法が使えて有効なんだということを。(*^-^*)
冷や汗ものですが、自分の命がかかっている時ですから真剣ですよね。
西川悟平さんの映画を作るなら、この強盗事件は外せないと思います。(^_-)-☆
映画も寅さんシリーズとかあるように、悟平さんシリーズもいいかも。
おわりに;感想など
人生って本当に偶然の出会いの連続で流れ作られていくもの
ある時はつまずき、埋もれて、失意の中に落とされ、でもどん底を経験したら、
後は、少しずつ快方に進んでいくのが人生。
人生山あり谷ありですものね。
悟平さんは、失意のどん底にいた時にも、
恩師であるブラッドショー氏がそばにいてくれて支えてくれたり、
友人が声をかけてくれて次への扉を開けてくれたり、
スポンサーが途切れることなく、
「ゆっくり治していけばいい」とサポートする側になってくれたり等、
常に孤独になることなく複数の支援者がいたのです。
どん底の時でさえ、流れる時間の中で、人との関わりと出会いがあれば、
出口が見つかるのだと思ったのです。
悟平さんも始めは、
自分の曲がった手を見られるのが恥ずかしくて嫌であるという気持ちがあったのですが、
子どもたちが全く気にしていないことに気づき受け入れることができるまでになったのですから。
個性があれば生き残っていける!
私は、ニューヨークっていったいどれだけ懐の広いところなんだろうと感じずにはいられないでのす。
「ニューヨークに夢を叶えるために行くぞ!」と言っても、
200か国ぐらいから、その国の頂点である優秀な人材の集まりであるニューヨーク、
その第一線で活躍するのは、大変難しいことなのですが、
そうでない人にとっても生き抜くチャンスもある!
ということが梧平さんの人生から知ることができたのです。
悟平さんも、「自分は、個性というもので生き残っていけた!」と話しています。
その個性とは、なんと、金メッキなんだそうですよ。
かつての自分の劣等感だった一番のものが個性になるなんで素敵な考え方ですね。
自分の中にあるもの全てが個性として生かせると思うと、
今の自分をしっかりと見つめてみようと思えますね。(*^-^*)
ピアノが弾けるってどういうことなんだろう?
「ピアノが弾ける」という「弾ける」という言葉の意味についても、
1本の指さえ動けば、音を奏でることができ、「弾ける」という考え方に共感できました。
1本でも指が動くのであれば、ピアノは弾ける
ブラッドショー氏が、悟平さんに言った
「1本でも指が動くのであれば、ピアノを弾きなさい。」の言葉は、私の心に深く響きました。
私もアラカンになり、以前には感じなかった老化現象を感じる年齢に突入してきたのですが、
自分の状態(能力)に合わせ演奏方法などを工夫して、
体が動くかぎり音楽を続けていきたいという新たな気持ちが芽生えてきました。
私は、西川悟平さんを知っていくうちに、
自分の今後の人生の目標や可能性についても信じていこうと思えました。
自分の心身の不調にどう向き合っていくのか考えるきっかけに
人生後半になると、色々と心身の不調も出てくるのですが、
それとどう向き合っていくかについてのヒントが沢山あったのです。
今、まさに私は更年期障害の症状から抜け出せていない時間を日々過ごしているのですが、
「ありがとう更年期障害!」と言えるようになりたいのです。
更年期障害になったから、今こうしてブログの世界に足を踏み入れることになったのですから。
人生100年時代と長くなった分、岐路に立たされる時が増えた!
私の子供の頃には、よく大人から「伝記を読みなさい!」と言われました。
子ども時代だけでなく、人生100年時代になり、
大人になってからでも、人生の岐路に立たされることが多くなってきました。
こんな時代だからこそ、色々な人の人生を知り学ぶことは
自分の視野を広げていくためにとても大切なことだと思うのです。
私は、西川梧平さんの影響を大いに受けてしまったひとりです!
私の場合は、もともと速弾きが苦手でありミスタッチだらけなのですが、
ピアノの音色を追求しピアノを楽しんでいきたいと思ったのです。
たとえ将来脳梗塞になったとしても、
自分が好きな音楽を通してリハビリしていきたいと思いました。(*^-^*)
同じものを観て聴いても、その時に自分の心に刺ささる内容もそれぞれ違います。
西川梧平さんの言葉を何度も見聞きしていると、
不思議と自分でもできるような気持ちになってくるのです。
前向きな発信活動を続けている西川悟平さんは、
世界中の人を前向きにしていくれる貴重な存在ですね。(*^-^*)
そして、年齢を重ねていっても夢を語れる人でありたいと思っています!
年を取ってからは、
自分よりも若い人たちと夢を語りあい楽しい時間を過ごしていくのっていいですね~。
楽しそうです!
そんなおばあちゃんになりたいな~。
西川悟平さんのコンサート是非ともお出かけくださいね!
コロナが収まってきたら、東京銀座のセブンススタジオに行ってみたいな~。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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